見出し画像

バックパッカーはドМである

タイトルに語弊があったらゴメンナサイ。ドSなバックパッカーさんゴメンナサイ。もちろんバックパッカー全員に当てはまるわけではないこの方程式。私自身がドMである事とバックパッカー経験がどう絡んでいるのか…って話です。

バックパッカーがドMであると思う理由

パック旅行に比べて、航空券・宿等などを全て自分で手配するのがバックパッカー旅。年々、全てにおいて簡単・快適になってきてはいるものの不便さ無くしてバックパッカー旅は成立しない。


航空券のチケットはオンラインで簡単に取れるけれど、発展途上国では電車やバスの時刻を調べ、駅で現地人に交じって並び、日本人らしく順番を守っていると一生チケットを買えない…という経験はバックパッカーなら誰もが経験している事だ。チケット一つ買うだけでもかなりの労力を費やさなければならない。(もしかしたら、今の世の中ではオンラインで簡単になってる可能性あり)

なるべく旅にかかる宿代・交通費代を安く済ませ長期の旅をしたいのがバックパッカー。私がバックパッカーをしていた時はまだまだ地球の歩き方を片手に、宿情報は現地に着いてから調達するのがほとんどだった。空港やバス停に着いてから現地人に囲まれ、宿のコンディション確認と宿代の交渉に始まり、やっと決まって連れて行かれた宿が話と違う!!なんてことはざらで、そこからまた20キロ近くあるバックパックを背負い宿難民になってしまった経験も数え切れない。

一日3度の食事も毎日の悩みのタネ。読めないメニューに想像を働かせ注文した料理が口に合わないこともしばしば。

この数例から見ても、なぜ旅行に行くのにそんな不便さのオンパレードな旅を選択するのか理解に苦しむ人もいるはずだ。

なぜなら、この不便さこそバックパッカーの醍醐味だからだ。不便さ故に現地の人との関わりが生まれ、異国の地で己の第六感を試され、自分を信じて突き進むことの大切さを実感できるのかバックパッカー旅をだと私は思う。

この不便さを楽しんでしまう…と言うのが、タイトルにあるようにドMであると言うことに繋がる。

プレイ的なMではなく、精神的ドM。きっとこの方程式に共感してくれる人は少なからず存在するはずだ。

苦労した経験こそ笑い話・ネタになる

バックパッカーの武勇伝はいかに値切れたか、いかに辛かったか、いかに恥ずかしかったか…普通なら言うのもはばかれるような事がバックパッカーにとっては武勇伝になる。

大人になってうんちをもらす経験をした人はどれくらいいるだろうか。インドに行ったからには漏らすべき。その先に見える達観した世界がそこにはある。(…と信じているのはバックパッカーだけ?)

ただただキレイな海を眺めるバカンスも好きだけど、仲間と朝日を見るために夜な夜な登ったシナイ山やグァテマラの山での経験は深く私の記憶に刻まれ、共に登頂した仲間とはなぜか長く繋がっている。

一人旅の時と夫婦旅でマチュピチュを2回訪れているけれど、1回目に列車に乗っていた時よりも2回目に「インカ・トレイル」を歩きながら行った時の方がマチュピチュを強く感じることができた。

モロッコのサハラ砂漠では満点の星空を眺めながら用を足し、窓ガラスの無いバスに揺られて砂煙で顔が真っ黒になりながらの国境越え、現地人に荷物を狙われないか心配しながらの夜行列車…

危なかったシリーズはまたの機会にゆっくり書き記す事にして、数えきれない異国の地での一見しなくてもよさそうな苦労や危険な経験ほど、今の私を支えているし、私という人間の深みを出していると思っている。

ドMが生かされる育児と人生観

こんなバックパッカーの思い出も、育児と日々に追われている今となっては遠い過去のもので、夢だったのかな…と思ってしまう事もあるくらいだ。

バックパックを背負って旅していると、思い通りに物事が運ばない事、自分の国の価値観が全く当たり前ではないという事、信じるのは最後は自分の第6感であるという事、動いた分進めるという事、人が思っているほど世界は近くてただの同じ人間なんだって事…

こう書き出してみると、バックパッカーとしての経験で得た思いは子供たちに伝えていきたいと思っている事と重なることが多い。

バックパッカーをしていた時に感じた人生観は私をとても楽観的なポジティブな人間にした。そして、得体のしれない自信を与えてくれた。

ドMであるからこそ、辛そうな事でも結局は楽しんでしまえるようなスキルが育児にも人生にも活かされていると私は思う。

息子たちが私に「くそばばー!」とか言い出したら片道切符でインドに強制送還する予定です。笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?