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『ニッポン戦後サブカルチャー史』を語らせて - #好きな番組 を思い出す

はじめに

こんにちは。上手に文を描ける様になりたい人、みそいちです。

#好きな番組 というお題を見ました。
私の若い頃はバラエティ全盛で、『トリビアの泉』とか『うたばん』とか、『学校へ行こう』とか『笑ってコラえて』とか。テレビをつけたら毎日いつでも、新鮮で・身近で・斬新で・面白い、エンターテイメント番組を見れました。

ですが、それらの思い出、結構昔です。今、テレビ無し生活を送っている身からすると、思い出を掘り起こすのがやや難しく感じます。
そこでまず始めに、私の中での一番新しい「この番組オモシレー!!!」の記憶から書いてみます。
それは、NHK放送『ニッポン戦後サブカルチャー史』です。

(今日の一曲)

バケモノ番組 『ニッポン戦後サブカルチャー史』

この番組、非常に人気が高く、ご存知の方も多いと思います。
概要を改めて転記します。

「ニッポン戦後 サブカルチャー史」は、戦後から現在へと到る、ニッポンのサブカルチャーの変遷を辿り、その本質へと考察を深めていく、前代未聞!?の歴史番組です。

今、世界を席巻する、ニッポンの「サブカル」。「クールジャパン」前夜に何があったのか?

「大島渚」が、「新宿カルチャー」が、「天才バカボン」が、「YMO」が、「エヴァンゲリオン」が…何を変え、どう今につながるのかを巡る旅。ナビゲーターは演劇界の奇才、宮沢章夫。愛と独断に満ちたサブカルチャー論をお送りします。

NHKより

初放送は2014年夏。NHK・日曜0時〜という微妙なコンディションながら、シーズンⅢまで続けられ、副読本も出版されました。とっても好評だったと伺えます。

番組の魅力 - その時代性

番組が放送された、2014年はどういう時代だったのでしょう?

こちらのはてなブログ(id:wt2010さんのエントリ)では、「低俗メディアとスマホ普及によるオタクの一般化と社会の低俗化で」、オタク文化が大衆化・一般化・陳腐化のトレンドを辿った年代と評しています。
この感覚、私も少し分かります。

13年には『進撃の巨人』のアニメが始まり、日本アニメが改めて、世界的に注目されていきます(進撃ブーム)。
16年のリオデジャネイロ五輪の閉幕式では、安倍元首相がマリオの格好で出演し、アニメ・ゲームが日本文化の本流となっていることを印象付けられました。

『ニッポン戦後サブカルチャー史』は、そうした時代:サブカルがメインに(というのは色々間違っている気がしますが)移っていく時代に作られた番組でした。

それはまさに、14年という時代の人々の関心に、ビッタシあった番組だったと思います。
にわかに・忽ちにメジャーになっていく「オタク文化」。その急速な変化に対し、オタク文化に慣れていない人は勿論、オタク文化に浸っていた人も戸惑っていたと思います。更には、メジャー化するおたく文化を担っている新しい若者たちも、自らが楽しんでいる文化のルーツに、高い関心があったと思います。
そうした人々のモヤモヤに対し、非常に適切な形で解答を示してくれたのがこの番組でした。

番組の魅力 - その直接性 映像の強さ

発想が良くても、内容が伴っていなければ人は感動しません。『ニッポン戦後サブカルチャー史』は、内容も素晴らしかったです。

番組では、戦後から10年刻みで現在までの「サブカル」の歴史を振り返っていきます。
具体的に、紹介されたキーワード拾うと:太陽族・ビートニク・大島渚・スーダラ節・ガロ・明日のジョー・anan・みゆき族・ホールアースカタログ・宝島・YMO・コムデギャルソン・浅田彰・ファミコン・コミケ・岡崎京子・新世紀エヴァンゲリオン・電車男・浅野いにお・初音ミク・etc…
この様な広範なトピックについて、それを飽きさせることなく伝えてくれてました。私は、多少のサブカル好きを自認していましたが、知らない内容も多く、見ていて圧倒されました。


私は本を読むのが好きで、インターネットが好きなわけですが、そういうピンポイントな対象に向けられるメディアばかりに触れていくと、マスを対象にしたテレビが退屈になっていきます。ゆえに、当時はかなりテレビを侮っていました。

が、『ニッポン戦後サブカルチャー史』で、私はテレビの強さを再認識します。
それは、取り上げる題材の広さとか、ナレーションの分かりやすさとか。メディアとして他の追随を許さない、メッセージの高品質さにです。
特にそれを印象づけられたのは、当時の人々の、実際の動きや声を伝える映像の強さでした。

番組では、当事の渋谷やヒッピーの喧騒の映像、『POPEYE』や『TRA』編集者など、当事者たちの肉声を伝えます。
それらの映像はどれも本当に力強く、魅力に溢れていました。

サブカルというのは、時代の本流から外れたところにあるカルチャーです。
そこには、鬱屈からなる激しさ・それぞれの生存を懸けた必死さがあります。
独自のファッションに身を包む、若者たちの溌剌した表情や、当時を振り返るアーティストたちの鋭い眼差しからは、それをありありと感じ取ることができました。
それは、非言語メッセージの豊かさ:文字を読むだけでは辿り着けない所にあるパワーを、真っ直ぐに思い出させてくれました(勿論、映像もまた切り取られたもので、対面でなければ・当時を生きなければ辿り着けないものはさらにあるわけですが)。

サブカルを問い直す

サブカルとは何か?
サブカルとは、「"今"にない表現を求める、創造性の爆発の場」なのではないかと、番組を通し私は感じました。

前段で述べた通り、2013年は、オタク文化がメジャーになっていく年でした。大塚英志さんの分類に依るなら、オタクがサブカルチャー(傍流の文化)からポップカルチャー(大衆の文化)へと変わる年です。
ポップカルチャーは、承認や連帯を供給するためにあります。オタクの世界がポップへと変わっていく、その時代の移りが止められないとして、オタク文化が好きだった人は、自分がその文化の何に惹かれていたか問い直す必要に迫られていたと思います。

『ニッポン戦後サブカルチャー史』は、サブカルの歴史を紐解くことで、サブカルの魅力を再認識させてくれました。それはつまり、「現状に満足できない人々の挑戦」という魅力です。
それは粗野ではありますが、熱いエネルギーと可能性、そして多様性に溢れた文化です。

番組第一期の最後、00年代のサブカルの振り返りでは、新しい表現の萌芽としてのヒップホップ:特に、地方の小都市を足場に表現していくラップ文化に焦点が当てられました。
彼らの力強さに、出演されていた市川紗耶さんが涙ぐんでいたのを思い出します。私も同じで、彼らの強さに、枠組みから離れたところで自分の思いを表現していく態度に、そしてサブカルという領域の魅力に、グッと心を掴まれた記憶があります。
フリースタイルダンジョンで、その文化にスポットが当たっていくのは、2015年からでした。

おわりに

この記事は、私にブッ刺さった番組である『ニッポン戦後サブカルチャー史』の思い出語りです。私の文化体験への趣味を、決定的に自覚させてくれた、思い出深い番組でした。
映像の素晴らしさをリコールしてくれた部分も、自分にとっては大きかったです。

本と違って、見直すことが難しいのが残念ですが(そんなことすると今の番組をみんな見なくなるから?)、サブカルに興味がある未視聴の方は、何とかして見てみるのも、損ないんじゃないかなーと思います。(調べてみると、去年には『世界サブカルチャー史』なんてのもやったんですね。観たい…。)

最後までご覧いただきありがとうございました!

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