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雨の日は嫌い。

湿気で息が吸いづらいし、どんなに撫で付けてもねこっ毛がぽわんぽわんするから。

アルバイト先へ向かう足取りは重く、このまま改札をくぐって消えてしまいそうになる誘惑を、通帳の残高に思いを馳せて思いとどまる。次の収入の当てがないと、やめられないな……。

遅刻してはいけないと思い直して、小走りにバイト先のコンビニに向かう。

店の入り口脇にあるゴミ箱の影から覗いている、しっとりと湿った猫と目があった。薄く汚れた灰白色の足と茶色の背中。たまに見かけるけど、決して警戒を緩めない。実家に残して来てしまったミーコと似た毛皮に思わず手を伸ばしかけたけれど、ほんの少しの動きを察したのか、彼は身を翻して視界から消えた。


ママの顔を見るのが嫌で、実家を飛び出したあの雨の日からそろそろ1年半が経つ。ママがママの恋人に見せる、媚びた顔が嫌で。

子供の頃、学校から帰ってあたしを迎えてくれるのはミーコだけだった。空きっ腹を抱えてママの帰りを待った、白く霞んだ灰色の思い出。寂しさに潰れそうになった時、いつもでも触れられる位置で低く喉を鳴らしていたミーコに、あたしはどれだけ救われただろう。

ゆっくり目を閉じた。

目を開いて、気圧のせいで重い頭を一振りして、あたしは店に入り、タイムカードを押して、着替え、レジに入った。


いつもと変わらぬ、記号のような顔をした老若男女の客を無感情に捌く。無言でトレイに小銭を投げる男。マスクでくぐもった声でぶっきらぼうにタバコの銘柄を告げる女。お菓子の棚の前でレジの様子を伺う子供。惣菜をかごに入れたり戻したりする老人。

品出しをしていたら、酒の匂いをさせた男に肩を掴まれた。ママの恋人と同じ臭い。同じ表情の男。店内放送が遠のいて、心臓の音だけが大きく耳の中で響く。あたしはきゅっと目を瞑る。

「ねえ。おじさん誰? 彼女の知り合い?」

肩が開放されゆっくり目を開けると、白い手が汚い男の腕を掴んでいる。視線を上げると、酒の臭いをさせた男とあたしの間に、若い男が立っていた。酒の臭いをさせた男は舌打ちをすると、彼の手を振りほどいて何も買わずに店を出ていった。

「あぶねぇな。コンビニの中でまであんな事する男がいるのかよ」

彼は眉をひそめてつぶやくと、困ったように小さく笑った。

「大丈夫? レジお願いできるかな?」

かすれた声で告げた彼が、湿ったちょっと長めの茶色い髪を白い手でかき上げる姿はなぜだかミーコを思い出させた。

助けてくれたお礼を言わなくちゃと思ったけれど、声が出なかった。

震える手でお釣りをトレイに載せて、ビニールシートの向こうへトレイを押す。彼は首を少し傾けて、3秒程あたしの顔を見てから唇を動かした。

だ・い・じょ・う・ぶ・?

小さく頷いて後ろを向いた。涙を見られないように。

振り返った時は、彼は店をでるところだった。


タイムカードを押し、湿気を吸っていつもより重く感じる制服を脱ぎ、今日の夕食にする惣菜を選んで外に出る。湿った、でも新鮮な空気。

足元をちいさな茶色い影がさっと横切る。

「……うちに来る?」

声をかけたけど、もう猫の姿は見えない。彼はミーコじゃない。

「自由がいいか」

あたしは、また会えるといいなと思いながら、誰もいない家へと帰る。



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