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クラシック音楽鑑賞の秘訣ー「評論家」でも「レビュアー」でもなく…?

【はじめに】
この原稿を書いたのが2023年3月。今は2024年5月。音楽の聴き方がかなり変わったので、大幅に改変しました。一年も経つと、人って変わるのですね。

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まあ、音楽の聴き方なんて個人の自由です、というのが結論なのだが、これからクラシック音楽を聴いてみようとしている方々に向けて、私個人の音楽の受け取り方や感じ方について、少しまとめておこうと思う。

クラシックの演奏会に訪問して、それを聴いたり、感想をまとめたりするときに一番意識していることは、「マイナス面・批判に終始しないこと」である。

どの業界にも、「評論家」という仕事をする人間がいる。評論家は、良いことも言うし悪いことも言う。その評論をどこかに掲載することで、それを見た人々が、その演奏家のパフォーマンスを観に行くかどうかの指標にしている。

今風に言うと、レビュアー(レビューを書く人)に似ている。Amazonで新しい本を買いたいが、何を買ったら良いか分からない時、多くの人はレビューを参考にし、星マークの多い本や5段階のうち5に近い本から選択して買い物カゴに入れる。あるいは、旅行先でランチを食べたいが土地勘がないのであてが見つからない時、食べログを開いて3.5以上のお店を見つけ出し、そのお店に向かう。

レビューには大抵、面白かったり美味しかった時の賛辞のコメントか、つまらなかったり不味かったりした時の非難のコメントが寄せられているので、多くの人は、前者のコメントが多く書き込まれている本やお店にブックマークを付ける。私もよくやるので、当たり前と言えば当たり前だ。

しかし、私が演奏会の感想を書くにあたって気をつけていることは、「評論家にならない」ということである。私は、演奏会の舞台に立つ演奏家以上の技術や知識も持ち合わせていないのだから、本来彼らを正しく評価できるわけがないのである。Twitterなんかを見ていると、まさに評論家の如くあれこれ難癖をつける人がいる。文句だらけ。批判だらけ。中には誹謗中傷も。これはいけないと思う。

ところで、さっきの話に立ち返れば、Amazonのレビューに寄稿する人はみんな文筆家で、食べログのレビュアーは料理人か?というと、そうではない。個人の感想を勝手気ままに書いているだけである。小説家や厨房の板前さんからすると、評価されるなんてとんだ迷惑だ、なんて思っているかもしれないが、おそらくクラシック音楽の評価の際も、同じようなことが言えるだろう。だから感想をどのように書くかも、最終的には自由だ。

したがって、ここのお店は塩加減が濃くて好みではなかったとか、この本は私に合わなかったとレビューするように、「今日の演奏会は私の好みではなかった」「ここの部分の演奏はちょっと違うと思った」とか、純粋に思ったことを述べることもあって良いと思う。賛否両論あってなんぼの芸術である。

ただ基本的に、私がクラシック音楽を聴いたり、感想を書いたりする時に常に置いている視座は、「マイナス面・批判に終始せず、良いところを書く」というところにある。目の前で聴いた音楽は気持ちいいはずに違いないのだから、それをより多くの人に共感してもらいたい、その演奏会に足を運んでもらいたいという思いから、今見た音楽がどのようだったのかが、できるだけありありと目に浮かべられるように言葉を紡ぐ。私はそこまで語彙力も表現力もないので、再現性は薄いけれども。

とにかく、あえて批評しようとしたり、あえて粗探ししようとしたり、自分の好みと照らし合わせてマッチングするかしないか吟味し出したりとか考え出したりすると、つまんないので、オススメしない。できるだけ多くの良いところを探すと、楽しい。

ついでに書くと、「素人のくせに、プロの演奏家の演奏に文句言うな」というのは、私のような「素人」だからこそ言えるのだが、まさにその演奏をしていたプロがそれを言い出すと、それもまた違うのではないかとも、思う。

どの職種でもそうだが、お金を貰って何かしている以上、最善を尽くすことが求められるのであり、料理がまずいと言われたり、授業が分からないと言われたり、ホテルの応対が悪いと言われたら、たとえ相手がどんな人であろうと改善する努力はしなければならないし、評価・批評は甘んじて受け入れるべきだろう。

プロの演奏家の場合もそうである。私は文句は言わないが、どうしても口走ってしまう人の意見の中にも、幾らかは正論も含まれることがある。プロがそれに反論するのも違う気がするので、お互い穏便にいきましょう、とでもいうところだろうか。

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