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「可愛い後輩」×「会議」× #5F9EA0

『先輩、とても退屈です』

 隣に座る先輩にメッセージを送ってみる。

 週に1度のミーティングは面白くもないし、正直無意味だと思っている。勉強会も兼ねたこの集まり、正直何も得るものがない。

『私だって退屈』

 ちらりと横を見ると、表情を崩さずに頷きながら熱心にメモを取る先輩の姿が見える。業務上、パソコンを使うことが多いから、メモは紙よりも電子。覗き込まれない限り、何をしているのかは分からない。

 私はもはや指を適当に動かす元気すらもないのである。

 こんなところで、使いもしないツールの説明やらを聞いているなら、さっさと作業を進めてしまいたい。

 今朝、確認したばかりのリストをそっと開く。赤字で“今日中!”と書いた下には、5つほど箇条書きに書かれている。杉並商事予算票、経理に書類の提出、ラフを3枚完成させて、企画書の確認……毎日、時間が経つほどにやることが増えていって、正直言ってすべて終わらせることは不可能なんじゃないかと思えてくる。

 だから、この1時間は無駄だと思えるし、毎回同じ話をしていてよく生産性が保てるなぁと感心している。

「うーめー」

「っおわ」

 会議が終わると、みんなが疲れた顔をしてデスクまでとぼとぼと歩いてく。先輩が私の背中に被さって、そのまま体重をかけてきた。

「せんぱーい、重いです」

「まぁ、そういうなって。」

 私が鬱陶しそうに肩を揺すると、ケラケラと笑って隣を歩く。

「うめ、なんで会議中にあーいうこと言ってくるかなぁ」

「そりゃあ、本音で話せるのは先輩しかいませんし。」

「まぁね。」

「だって、無意味だと思いません?私は、これからやらなくちゃいけないこと、たーっぷりあるんです。今、何時だと思います?14時ですよ、14時!定時に帰らせる気、ないですよね」

「そんな、鼻息荒くするなって」

 ぽんぽん、と軽く頭を叩かれる。

「フォローできるところはするよ?」

「先輩、昨日部長からアホみたいな量の書類の束渡されてませんでした?」

「あー……」

「それに、明日は私と飲む約束ですよね?」

「……お互い、頑張ろ!明日は定時!」

 先輩は憧れだ。どれだけ忙しくても、メイクが崩れていることがないし、大きな声で笑うところもいい。先輩の笑い声を、女としてはなーなんて言っている男性社員がいるけれど、なーんにも分かっていない。先輩の笑い声を聞いているだけで、私も不思議と口角が上がってくる。

 大好きなお菓子を机に3つ以上ストックしていないと不安になるところも、二の腕のお肉がコンプレックスなところも素敵だ。

 先輩の場合、すべてが魅力になってしまう。

 いいな、先輩みたいになりたい。少し前を歩いている先輩の背中を見つめる。くびれがきゅっと締まって、白のカットソーに七分丈の黒のパンツというシンプルな格好なのに洗練されているように見える。ヒールは7㎝。高すぎず、低すぎない。コツコツと音を立てて、大股で豪快に歩いていくのがアンバランスで、好きだなぁと思う。

 目の前には「企画書」以外、何も書き進んでいない画面がチラチラと光る。白って明るい。仕事をするまで、一番明るい色は黄色だと思っていた。

「目ぇ、いった……」

 目をぐりぐりとマッサージをする。あんまりやり過ぎはいけないと思っていても、1日10時間もチカチカと光る画面を見ていたら仕方ない。ゴリゴリと音がしそうなほどに固まった目に、少し強すぎるほどの刺激は気持ちいい。

 あんなに仕事を抱えていたはずの先輩は、1時間前に颯爽と帰っていった。誰よりも仕事を任せられてしまうのは、先輩が問題なくこなしてしまうからだ。自分の首を絞めることになってますよ?と言ったら、金はもらってるし。といつも笑う。このフロアの誰よりも男前だよなぁ……ぼんやりと残っている数人の男性社員を一瞥する。飲み方が男らしいと定評のある山田さんですらも、先輩のようなことは言わない。まぁ、山田さんはお酒で仕事の量をコントロールしているだけだろうけれど。つまりは、世渡りが巧いのである。

 先輩は、不器用なのだ。先輩はガサツだといわれる。見る目のないやつが多すぎるだけで、先輩はとても気が回るよなぁと思う。

 金曜日。昨日、終電間際まで働いていたせいでただでさえ小さな目が、さらに縮んだような気がする。

「うめ、眠そうだね?」

「おかげで企画3本上がりましたよ」

 よくやったー!と犬を撫でるように、わしゃわしゃと髪を乱される。

「ぐしゃぐしゃになったー」

「寝ぐせついてたから、大丈夫。」

 それ、全然大丈夫じゃないし。言い返すと、いつも通りの笑い声が響く。でも、今日の先輩はなんかちょっと違う。

 薄いグリーンのワンピースは、先輩のくびれに沿って綺麗なカーブを描いて、膝の真ん中でふわふわと揺れている。襟元は少し広めのVの字で綺麗な鎖骨がくっきりと覗いていた。

「なんか、今日素敵ですね?」

「うん」

 豪快に、ではなく。ふわっと花が開いたように笑う。

「うめには、一番に報告するね」

 先輩がひと房垂れた髪を耳にかけながら、私のもとに近づいてくる。

「私ね、結婚、するの」

 そういって、笑う先輩からはふわっと優しい香りが漂う。

「……だから、今日オシャレなんだ」

「あはは、ご報告ってやつをするの。こういうときは、ちょっと女らしい恰好しておこうかなって思って。それに、今日はうめとイタリアン行くじゃない?どっちかっていうと、そっちのほうが目的としては大きいかも。」

 先輩がいつものように笑わない。私は、先輩の大きな笑い声が好きなのに。そんな女の顔をして笑う先輩は、大嫌いだ。

「すっごく似合ってますよー!」

 胸がざわざわと音を立てて、頭が冷えていくような感覚がする。

 ワンピースは似合っていると思う。でも、このワンピースを着ている先輩は嫌いだと思った。

 いつもの、パンツスタイルの先輩のほうがずっと素敵。でも、これは先輩に言っちゃいけないことも分かっている。

 先輩に恋人がいることは知っていた。こんなに素敵な人なんだもの、居ないほうがおかしいくらいだ。こんな日が来ることも、分かっていた。

 でも、それは“つもり”ってやつだったのかもしれない。

 誰にも言えない“何か”をそっと箱にしまって、重りをつけて深いところに沈ませる。これでいいんだ、とガンガンと雑音が響く頭の片隅で、何度も何度もつぶやいた。

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