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早くおばあちゃんになりたい女子高生


ある日の休み時間、私たちはベランダの手すりに寄りかかりながら、外をぼんやり眺めていた。春の温かい日差しが差し込む、気持ちの良い日だった。

隣にいる彼女は突然、小さくつぶやいた。

「いいなあ」

彼女の瞳の先にはグラウンド隣の運動場でゲートボールをしているおじいちゃん、おばあちゃんの姿があった。

「わたし、早く年を取りたいんだあ。おばあちゃんになって、ああやって仲間とゲートボールしたり、あったかい日には縁側に座って猫を膝に乗せたりしてさ。なんかそれってすごく幸せそうじゃない」。

彼女が言っていることがよくわからなかった。
だって、若い方が良いに決まっている。私たちはせっかく今、華の女子高生時代を過ごしているのに。

そんな言葉が頭に浮かんだけれど、彼女の真っ直ぐな横顔を見たら、何を言ったら良いかわからなくなって「そっか」なんて適当な相づちを打った。

***
それから10年、当時17歳だった私は27歳になった。自然と高校卒業後は彼女と連絡を取ることがなくなった。

けれど、最近彼女の言葉が何度も頭に浮かぶのである。早く年を取りたい。なぜか今はその言葉が、胸がぎゅっと掴まれるほどよくわかるのである。
自分の生活環境だけでなく世の中は、日々めまぐるしく変化し、子どもの頃感じていたように、毎日が新鮮で1年がとても長く感じる。

これから10年経って、次は37歳になる。月日の重さに対してまだ37歳なのか、そう戸惑う。

きっと時間の長さは一人ひとりによって異なるし、時空はそれぞれのライフステージによって伸縮するはずだ。少なくとも今の私に、1年はとても濃く長く感じる。

今後どんな世界になるのか、またどれだけの変化があるのか、そんなことを考えたら少し怖く感じる。一方でこれからどんな未来が待っているのか、今この時代に生きることを楽しみに思う。


この頃70年、80年という月日を生き抜いてきた、おじいちゃん、おばあちゃんと話をすることが多い。

彼らと話をするとき、不思議なくらい心が休まる。違う時代に生まれた人々と、同じ空間と時間を共有しているということが奇跡のようで、尊い。

生きてきた人生のこと、いま考えていること、大切にしていること…聞きたいことが次から次へと溢れてくる。

そしてひと通り話をしたあとは、長い人生に終わりの気配を感じている人々に、尊敬の念、そして湧き出てくる愛のようなものを抱き、涙さえも出そうになるのである。

そんなあったかくて、やるせない気持ちを感じたとき、自分も彼らのように長く生きたいのだな、と気づく。

長い長いと感じる人生を、生き抜いて生き抜いて、きっと最後は膝に猫を乗せながら、日向ぼっこをしたいのである。


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