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このさえない現実を夢みたいに塗りかえればいいさ

“そう何度でも 何度でも 僕は生まれ変わっていける
そしていつか捨ててきた夢の続きを”
──Mr.Children 蘇生

イヤホンから流れるみずみずしいメロディーに背中を押され踏み出した一歩は、吹き抜ける春風とともに空高く舞い上がった。

仕方なく、交互に動かしていた足を止める。澄み切った空を眩しく見上げ、踏み出した一歩は「新しい」なんて言葉で表現するには大げさな、平凡な一歩だった。

それでも、あのフレーズとともに受け取った気がしたのだ。「過去の自分」からのバトンを。これでもかと手を後ろに伸ばし、パシッと音を立て受けとった確かな感触を握りしめて。最初の一歩は大きく腕を振り、前だけを見ていた。まるで400メートルリレーのような一瞬のスローモーション。

「過去」と「今」がつながった瞬間。

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“間違っていた”と思うできごとをいつまでも思い出してはクヨクヨすることを「後悔」と呼ぶのだろうか。もしそうだとしたら、わたしは毎晩のように後悔を繰り返していた。ふとんに入り、目をつぶる直前。決まって思い出すシーンや言葉たち。わざわざ引っ張り出しては頭の中で反芻させた。

大切がゆえに縛ってしまった一言。臆病な自分を認められずに聞けなかった本心。傷ついてもいいからと会いに行った雨の日のこと。無責任に押し付けた告白。

「あのときのわたし、間違ってたな」

どれも自分で選んだことなのに。思い出してはいつまでも嘆いていた。

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ある日、なつかしい着信画面がディスプレイに映った。連絡を絶ってから365日を何度も繰り返したなんでもない日、「話がしたいから」そんなシンプルな理由だけで電話を鳴らしたという。

「本当はあのときね......」会話の合間に切り出しながら少しずつほぐせる糸を見つけていく時間は遠い昔の答え合わせをするみたいで恥ずかしかったけれど、嬉しかった。そこにいたのは、365日を何度も遡って笑う、自分。

「間違っていた」道の上には、草が生え、花が咲き、「今」を生きていた。相手とのわだかまりの上に築けた関係。一度思い切りさようならをしたからこそできた再会。引き裂かれるほど苦しくても自分の本音に従って離れた場所との新しい距離感。

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それは、「間違っていてもいいから」と選んだからこそ生まれた「今」だった。

そうだ、わたしは「今」を生きているんだ。「今」しか生きられないんだ。

過去に戻れたら絶対に選ばないであろう、あの一言も。あの行動も。ちゃんと生きていた。呼吸をしていた。だから、「わたし」は「わたし」として今を生きれられているんだ。

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気づけた。

だからこそ次は、幸せを選ぼうと思う。

自分の本音を誤魔化さず、勇気を出して、ちゃんと自分を大事にできる選択を選びたい。

そして呪っていた過去の自分へ。ありがとうと気持ちが込み上げてきた。間違ってもいいから「やってみよう」「何かを変えよう」と踏み出してくれた。少なからず不安や怖さがあったはず。それでも踏み出してくれた一歩だ。過去の自分の頑張りを、ベストを、「結果」だけを見て隅に追いやるのは失礼だ。

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もう、後悔しなくていい。ぎゅっと握りしめていなくていい。「もう、いいんだよ」と手放した。

自分で自分を許せなかったこと。間違いを認めてあげられなかったこと。選択が自分を苦しめていたんじゃない。起きたできごとへの解釈が自分を苦しめていたんだ。ごめんね、自分。

“叶いもしない夢を見るのはもう止めにすることにしたんだから
今度はこのさえない現実を夢みたいに塗りかえればいいさ”
──Mr.Children 蘇生

あのとき間違えて良かった。だってまた何度でも選び直せるんだから。未来の自分から「ありがとう」と言ってもらえる走りを「今」するんだ。

過去の自分がそうしてくれたように。

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