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もう会わないのか、もう会えないのか。

人は変わっていくもので、昔の自分が本当だと信じていたものが今となっては偽物に映ることがある。

ゾッコンに好きだった人のことを、何であの人のことが好きだったんだろうと時間が経った後に思うことはあるし、何であのときあんなこと言ったんだろうとか言われたんだろうとか、記憶から引っ張り出す景色はいつも"そのときの真実"として今となっては思い出となる。


もう会わないのか、会えないのか。
もう言わないのか、言えないのか。
もう聴かないのか、聴けないのか。


ただ一つ、言えること。

それはそのときの自分の、最善だったということ。わたしたちは一秒一秒自己ベストを叩き出して日々生きている。

それが失敗だったか成功だったかは、その後に浮かび上がってきたものでしかない。その時はその人のことが本気で好きだったことには変わりなく、そのときは本音を伝え聴いたことには変わりない。

愛している。ずっと一緒にいよう。結婚しよう。

そんな甘い言葉に裏切られた、嘘だった、のではない。時間が経ちそれがさらさらと砂の中から化石のように浮き彫りになっただけで、フィルムカメラの中セピア色した現実はお互いに本気で未来を想った真実だったはずだ。

だから、過去の自分にくよくよしたり、過去の他人にくよくよすることに何も意味は無い。自信を無くしたり自己嫌悪に陥ったりしなくていい。だって、そのときそのとき一生懸命になって歯を食いしばって本気で胸をときめかせて叩き出した自分の自己ベストなのだから。

更新し続けている。成長し続けている。だからこそ人は悔やむのかもしれない、情けなくなるのかもしれない。登った先に見える景色が見たくないものだったとしても、それを含めて全部「証」なんだ。

だから、夢中になって生きる意義がある。だから、一生懸命に価値がある。

わたしはそう信じたい。見えた景色は嘘はつかない。自分が辿ってきた道は、いつも自己最高記録の積み重ねなんだ。


そうやって自分を、他人を、許し愛し続けたい。

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