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夢とか仕事とか幸せとか

こんにちは、みさとです。今日は曇り空のNYのブルックリン。NYなのにあまり寒くならない日々が続いていて変な感じです。
NYに来て5年目、照明デザイナーだった私はNYに勉強しに来たはずが、なぜか最近はアーティストになって活動もしておりますこの頃です。

今回結構大きなテーマです。人生の中でとても大切なこと、ずっと考えていることを自分の経験を交えて書いていこうと思います。
まだまだ未熟な、人生の若造なので、皆様から見て私に見えていないことはたくさんあると思います、きっと今の考えもこれから生きていくうちに変わるでしょう。でも今思っていることを素直に今書いていこうと思います。
長くなるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

「夢」イコール?

突然ですが、あなたもこんな経験ありませんか?
「あなたの夢はなんですか?」
学校などで事あるごとに聞かれ、自分の夢を発表したり、文集に書いたりする経験。
で、その質問に対して、「サッカー選手になりたいです」とか、「保育士さんになりたいです」とか、そういうことを答える。

私が幼稚園年少さんの時代、将来何になりたい?という先生の問いに、清々しいくらいはっきりと「雪だるま!」と答えていました。
当時の謎行動を親から色々聞きますが、なんでそんなことしたのか言ったのか、自分でも意味がわかりません。笑
翌年は少しだけ考える脳みそを得たのか、私の夢は「お花屋さん」。
なんとなく可愛いから、あと他の子が何人かそう言っていたから。
その翌年は「お花屋さんは蜂が来て嫌だからやめた。ケーキ食べたいからケーキ屋さん」と言っていました。
私は別にお花屋さんやケーキ屋さんになりたいとか全然なくて、なんか周りに聞かれるけどよくわからないし、なんとなく適当に言ったまで。まぁ子供なんてそんなもんですよね。笑
そう考えると雪だるまは、自分なりの素直な答えだったんでしょうね。笑

小学校に上がった後は結構一貫して私の夢は「世界を旅すること」でした。クラスメイトの多くは「何かになりたい」という形で答えていましたから、私の答えは周りとズレていて、少し気まずかったのを覚えています。

「夢は?」という質問、特に子供に聞く時には、暗に「大きくなったら何になりたい?」という意味で聞いているような気がします。
スポーツ選手、ユーチューバー、フライトアテンダント(昔でいうスチワーデス)、お医者さん、先生、コックさん、美容師さん…etc

ずっと思っていたんですけど、
夢って、イコール、職業なんですかね?
私たちは人生の中で、何かにならなくちゃいけないんでしょうか?
何者かになって何かを成し遂げるということが、夢が叶ったということで、みんなそれを目指していかなくちゃいけないんでしょうか?
そして「その夢」を叶えたら、私たちは「幸せ」になれるんでしょうか?

私の中にはずっとこの問いがあって、特に迷った時や挫折した時によく考えています。
照明デザイナーとして夢の道をどんどん進んでいる時は出てきませんでしたけどね。笑

バス旅行で母と議論

ある時、家族でバス旅行に行きました。
日帰りだったか一泊二日かなんかの気楽なやつで、もうどこに行く途中だったかも忘れてしまいました。読売新聞かなんかで掲載されている安いツアーで、当時両親が結構ハマっていたんですね、それに誘われてついて行ったんです。
その時私は高校生で、大学受験を控えていました。
受験の時って当然、将来のこととか考えさせられますよね、でも私は何がしたいのか、何になりたいのか、ぜんっぜん分かりませんでした。
なんせ世界一周が夢ですから、なりたい職業とかなかった。強いて言うなら旅人?(ダメ感がすごい答え。笑)
どうやってみんなが志望校を決めて、そんなにきちんと一つの学校を目指せているのかも不思議でならなかった。羨ましかった。
私はいくつか大学に見学に行って、なんとなく社会学という分野に興味を持ち、そして図書館が綺麗だからという理由だけで、とりあえず第一志望を明治大学にしました。
(まぁ落ちちゃったんですけど、次候補の東京吉祥寺にある成蹊大学の社会学部に晴れて入学しました。余談)

で、バスの中で、私は受験に関して悶々していたので、隣に座っている母とその話をし始めたんです。
そもそも前提として、両親とも子供には大学は卒業して欲しいという希望を持っていました。特に母親は、本人は大学に行きたかったが、女性に学はいらんという古い祖父の考えがあって大学に行かせてもらえなかったという悔しい思いもあり、その思いが強かったと思います。
で、なんとなく当たり前のこととして、私も大学に行きなさいという流れができていて、なんとも有難すぎることなんですが、その当時やりたいことも行きたい学校も見いだすことができなかった私にとっては、そもそも大学に大金をかけて行く意味が見えなかったんですね。
大学に行く意味がわからない、そんなお金をわざわざかけるのももったいない、そんならいっそ働きに出たり、なにか職業に活かせる専門学校で技術を学んだ方がいいんじゃないかと思っている、と母親に伝えました。母親は、大学を出ておけば潰しがきくから、分からなくてもなんでも行きなさいと一点張り。潰しがきくとか当時意味が分からなかったし、どうでもいいと思ったし(今はめっちゃよく分かる!お母さんありがとう!!笑)私はむしろ母親の思いを押し付けられている気がしたんで、生意気に、お母さんの夢押し付けないで、みたいなことを言って、そういうことじゃないのよ!と言い争いになりました。
バスの中、ワイワイと楽しく盛り上がっているおばさま集団の中で、私たちの結構重い話でしかも言い争いっぽくなって、周りに申し訳なかったことを覚えています。笑

まぁ結構長い間そのことを話し合ったんです。
で、母親が言ってくれたのが、
「何をしたら自分は幸せなのかということを考え、それを叶えるためにはじゃあ何が必要なのかを考えて、今必要なことをしていきなさい」ということでした。
例えば、世界的なファッションデザイナーになりたいとか、リゾート地に移住して楽しく暮らしたいとか、夢はなんでもいいんですが、それをしたら自分は幸せだというビジョンがあったとして、じゃあどうやってそれを叶えるのか?と真剣に考えなさい、ということです。
それを実現させるために必要な技術は?お金は?そのお金はどうやって手に入れるの?その技術を身につけるためには何を学ぶべき?そのお金を手に入れるための仕事は?そこに向かうためにはどの学校に行ったらいいのか?と、どんどんと叶えるための方法を逆に辿って行く感じです。
母曰く、学歴社会の世界で、大学卒と高校卒の給料は違うし影響も大きい、私は今ビジョンが見えないからこそ、後々役立つこともあるだろうから行っておいた方がいい、と。
長い議論と話し合いの末、妙に納得して、眉間にしわを寄せながら大人しくなった自分を覚えています。

母の夢を押し付けられているなんてことを考えていた自分の、なんと思いの至らない若者だったことか。
周りのおばさま達には悪かったけど、あの時母ととことん議論できたことは本当に良かったと思います。

何をしたら私は幸せか、それを叶えるためには何をするのか。
「幸せ」ということがまず最初に来ていることが、ポイントだと思います。

そういう風に考えたことがなかった私。その後はいつもこの考えを引っ張り出して見つめ直しています。

一本道の美学と、寄り道スパイラル

漫画の主人公みたいに、目標に向かって、ひたすらに脇目も振らず突っ走れるのってかっこいいですよね。
ストイックに、夢中に、熱く、まっすぐ目標を見据えて。私もすごい憧れていました、そういう風になりたいって。
でも私はそうできなくて、そんな自分を中途半端な奴だといつも自己嫌悪になっていました。
でも思うんですけど、そこまで夢中になれることを見つけるのって難しいし、まっすぐ走り続けるって結構ハードル高いですよ。
それができる人って一部で、本当にすごくて、めちゃくちゃリスペクトなんですけど。
でもその形って全員に当てはまることじゃないなぁって。だからそうできなかったとしても気にしなくていいんじゃないかなぁって。笑

10代か20代の頃か、自己嫌悪な私がたまたま見た記事で、もう記憶が曖昧で申し訳ないのですが、日本を含むアジアの国の人の考え方と、欧米の人の考え方の違いみたいなもので、おぉって目から鱗が落ちたことがありました。
アジア人は、まっすぐ一直線に上に向かうことが素晴らしいとするが、欧米人は色々と違うことをやりながら、螺旋階段みたいに上に上がっていくことを良しとするみたいなことでした。あーこれ楽しそう、興味あるー、これも勉強してみよー、これもやってみよー、そうやって寄り道しながら、レベルアップしていく感じです。
これってスティーブジョブスが言っていた、ドットをつなげるっていう話とすごくリンクしていますよね。


こんな感じの図でした。


私はこのことを知ってから、ものすごくホッとしたというか、これでもいいんだって、肩の力が抜けました。
少し寄り道したって、一見バラバラなことに手を出したって、螺旋階段のように上に上がっていけるのならオーケーだし、むしろ色々なスキルや経験が身について、もっとその人物を面白いものにしてくれますよね。

流れを見て、流れに乗れ

大学時代、映画の世界に興味を持った私は、卒業後、映画・ドラマの制作現場の世界に入りました。
本当に過酷な仕事だったので、その業界は10ヶ月程で離れてしまいましたが、フリーランスで色々な作品の現場に連れていってもらい、とても面白い経験をしましたよ。その話は別の機会にポストしようと思います。
その時参加させていただいた作品の一つ、竹中直人監督のホラーコメディの映画の仕事で、照明技師のYさん率いる照明チームに参加させてもらうことになりました。

撮影休憩中に、大御所の照明技師のYさんとカメラマンKさんが、当時22歳くらいだったやる気溢れる小娘の話を聞いてくださって、アドバイスをくれました。
その当時私は、さっき言ったみたいに夢に向けてまっしぐらに憧れてたし、その当時は映画の照明の仕事が「これだ!」と思ってたので、
「私は映画の照明やりたいんです!」と、ドーンと言ってた訳ですね。
私はてっきり、おー勢いがあっていいね!そのくらいじゃなきゃね!とか言ってくれるかと思いきや、大御所のお二人とも、
「うーん、でもね…」と。
私のボス、照明技師のYさんが
「流れを見て、流れにうまく乗ることが大切だよ。んで、たまに流されてみたりしてね、へへ(笑)」

え?流れ?
そんなふにゃふにゃしてていいの?
なんて思った当時の私。

わたしゃてっきりその道のトップの人ですから、まっすぐまっすぐひたすらにストイックに一つの目標に向けて頑固に走り続けてきたのかと思ってたんですよ。そんな方々から、「流れ」とか出てきちゃったので、なんか肩透かし食らった気がして。

絶対照明がやりたいんです、むしろこれ以外ないんです!くらいな勢いだったんです、当時私は。
でもY さんがくれた言葉は、
これだって決めてしがみつくことなく、流れを読んで流れにうまく乗って、しなやかに柔軟に、方向転換もしながら、生きていきなさいと。

当時20代前半の私はその言葉が理解できなかった。どんな状況でもしがみついてひたすらにまっすぐ行くのがかっこいいと思っていましたから。
でも少なくともその言葉は私の中に、分からないままに残りました。

今やっとその意味が分かり始めたところ。
歳を重ねるってのはそんなに悪いことじゃないですね。笑

今感じていること

色々な経験と挫折と、いただいた言葉たちのおかげで、考え方が変わったと思います。そしてこれからもきっと、変わっていくのでしょう。

今までの私の夢は、世界で活躍できる照明デザイナーになることでした。
日本で照明デザインをしていた時は、やりたいことがやれて、やりがいを感じられる大好きな仕事だった。そこで次の夢を得てNYにやってきた。NYでの照明デザイン事務所で照明デザイナーとして働くことは、私の夢が叶ったことだったけれど、実際そこで私はハッピーじゃなかった。

やってみて見えたこと、やってみなければ分からなかったこと。
夢と信じていたことが思っているのと違うこともある。
また、そういう経験を通して視点が変わることもある。

他の私のブログの中でも書いてますが、夢の職を離れてから私はちょっと人生迷子ですが、今は素直に、楽しそうと思うことをやっていっているところです。
迷子っていうのは、照明デザイナーが自分の夢だと思っていたから、それを失ってどうしたらいいか分からなくなったんだと思います。
自分の夢をガチガチに固めて信じ込んでいて、自分の幸せが置いてけぼりになることってのも人生の中であるのかもしれませんね。

幸せを軸に置くと、一つのことに固執しないで、何が自分にとって大切なことかがシンプルになっていくような気がします。

何をしていようと、どこにいようと、何者であろうと、楽しく幸せを感じられる形で生きていられたらいいなぁと、それが大切だよなぁと。

(私個人の考え方であって、もちろんみんな違った考え方でいいんです。)

今夢は?と聞かれたら、「ハッピーに生きること」って答えます。笑
そのためには自分の好きなことをして、やりがいを感じられる仕事で十分なお金を稼ぎ、心身ともに健康にいて、旅をして色々なものを見て、色々な経験をしていきたい。色々な人に会って、気持ちのいい人たちを友に持ち、大好きな人たちを愛して愛されて、笑いたい。そのためには何が必要で、そのためには今何をするべきなのかを本気で考え、今できることをしていく。

具体的に言うと、
イラストに関しては、前回のイラスト展示で良い反応をいただけたので、自分を信じてもっと展開していこうと思っています。
展示会をもっとやっていく
各地のイベントに参加して、色々な人に会う
コミッションを増やし、展示販売、プリントやイラストグッツで多少の収入も上げていく
もっと自由でストレスのないスタイルで働く方法を模索していく
コミュニティにもっと参加して友達を広げる
照明は変わらず大好き、これからは今までと少し違った形で関わっていく
と思っています。

今できることとして現在は、
プリントショップ等の準備
同時にローカルアーティストのプラットフォームに参加。そちらのショップも準備中
日本帰国の際には日本でイベント参加を計画中
今度新たに日本の本のブッククラブに参加してみる
と、まぁ小さいことですが、楽しみながら進めていっています。

まだまだたくさん間違って、迷って、分かっていないことがこれからの人生の中で分かっていくのだと思います、そう思いたい。笑

今ここから、10年先を見て、私が何者になって、どこで何をしているのか、全然分かりません。笑
でもきっとどこかで、レベルアップしたやり続けていたイラストやら照明やらを抱えて、愛する人たちに囲まれて嬉しそうに笑っているんじゃないかと思います。

そんな感じです。

将来あなたが何者であろうと、何をしていようと、
笑顔のキラキラしたあなたでありますように⭐️

寒さや色々なウイルスなどに負けず、健康に楽しく過ごしてくださいね。
ニューヨークから愛を込めて

みさと



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