見出し画像

永遠なんてものは

いつか壊れてしまうことに対する恐れを常に抱えている。

いつか割れてしまうことが怖くて、あえてお気に入りのお皿に出会おうと思わない。
いいと思ったものは大体儚くて、手にしたときに割れてしまうのではないかとドキドキする。
だから安易に触れたくない。

永遠なんてものはこの世に存在しない。
でも永遠というものをずっと探している。
だからおさないひかりさんの詩の一節に触れて、私は泣いたりもした。

先日とある展示をみた。
その中に「繊細でいいこと」と題して、作家自身が購入した焼き物の指輪が展示されてあった。
「これはどこかにぶつけるだけで割れてしまう指輪だ」という説明を受け、それでも作家はそのことを承知で指輪を購入したそうだ。
「指輪をきっかけにものを意識する生き方に関心をもった」とコメントしていた。
そして「その指輪が割れなかったら一日を丁寧に過ごした証明になる」ともコメントしていた。

その展示をみて私の心は揺さぶられた。
私には今までそのような感覚がなかったからだ。
いつか壊れてしまう危うさを抱えたまま生活なんてしたくなかった。なぜならいつも不安だから。
壊れてしまったもの、欠けてしまったお気に入りのマグカップを見て、「こんなに悲しいのなら最初からなくてもよかった」と思っていた。

その作家はその指輪の展示に加え「壊すコミュニケーション」と題し、一度も使っていなかったお皿を自らの手で壊し、その破片を継ぎ直すということを試みていた。
金で継ぎ直されたお皿はとても美しかった。

壊れてしまったものはもう元には戻らない。
だけど、元通りにはならなくても、何か別のものになる可能性を秘めているかもしれない。
もしかしたら私があの日壊してしまった人間関係も、いつか何かの拍子に修復できるかも知れない。そんな淡い夢をみてしまった。

人生は今のところとても長い。
今なら何だってできるかもしれない。
まずはお気に入りのお皿を探すことから始めてみようと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?