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私が福祉に拘っていた理由。29歳会社を休職して気づいたこと。

久しぶりにnoteに文章として残しておきたくて、2023年9月27日現在の今の気持ちです。

実は、5月から調子が悪く、毎日吐いたり頭痛したり集中力が続かなかったり、ありえないようなミスをしてしまって子供たちに迷惑をかけたり、そんなこんなで4月に異動させてもらってから調子が悪い日が多く、8月末に限界を迎え、現在休職させてもらっており、この間も精神科に行って延長の診断書をいただいたというのが最近の現状です。

なんで、ずっとやりたかった福祉の仕事なのに。
なんで、ずっとできていてやりがいもあって辛いこともあるけど楽しくてずっと続けていきたいと思っていたのに。

って思ってたんだけど、なんで「福祉に拘っていたのか」ということを最近ずっと考えていました。

この記事できっかけは書いているのだけど、私が福祉を目指したきっかけって紛れもなく今はなき祖母の存在でした。中学1年生の入学式前日の朝のことです。それまで何もなく元気に話していた祖母が急に話さなくなり、「具合が悪い」「救急車」と言っていた記憶があります。細かいことは覚えてないのだけど、そこで動けなくなって固まってしまった私と妹。

すかさずテキパキと様子を把握して緊急対応をした介護福祉士だった母親とすぐに来ていただいた救急隊の方と病院の方のおかげで一命を取り止め、その後数年におよぶ自宅介護の末、大学3年生の冬のとある朝、祖母は家族全員に見守られながら亡くなりました。

あの時、なんですばやく救急に電話できなかったんだろう。
なんで、母を見守ることしかできなかったんだろう。
なんで、もっと祖母と関わって過ごさなかったんだろう。

たくさんの後悔をしたまま、祖母とはもう会えなくなってしまった。私が高齢関連の事業所での就職を目指さなかったのも、お見取りに強いトラウマを持っていたからです。

そんな私は、中学1年生の頃から夢は福祉に携わることだったし、高校だって両親に頼み込んで地元からは離れた福祉科の高校にだって毎日始発で通ったし、高校で諦めそうになったけど、やっぱり福祉に携わりたくてまた両親に頼み込んで大学まで行かせてもらって福祉の仕事をずっと続けてきました。

そりゃ大変なこともたっくさんあったし、嫌なこともたくさんの残業もわからないなりにたくさんの業務をこなしたり、利用者さんとたくさん楽しい経験もしたし、笑い合って、時には怒ったり、話し合ったりもしてきて、そういうのがやりがいでした。転職したり、色々と現場を見てきて、「福祉の仕事って、すごいな」「まだまだ色々やりたいな」とずっと、ずっと思っていました。

だからこそ、今回の休職で「これからどうしよう?」と考えた時に「またこれからも続けていくのだろうか?」という疑問が湧いた時に「なんでこんなに福祉に拘っているんだろう?」と。

もしかしたら、祖母に対する十字架ではないけど罪滅ぼし的なところもあるんじゃないかなって思っていて。それに、両親にも無理やり大学まで行かせてもらって資格も取ったし続けることでしか生きている意味がないと思い込んでいたのかもしれないなあという結論が出た、というわけです。

もしきっと福祉の仕事を辞めたって両親も祖母もなんとも思わないと思う。きっと、元気にしてるだけでいいって思ってくれると思う。でも、それでもやっぱり期待に応えて生きていきたかったから続けてきていたんだと思う。

仕事が嫌になったとか、全然そんなことはないし、むしろ続けたかったけど、その中でもずっと「福祉以外を知らない自分」というところにある程度劣等感というものを抱いているのもあって、電話対応だってきっと苦手だし、パソコンはある程度できるかもしれないけど社会人の基本がわかってないんじゃないかなって部分も、ある程度あってそれがずっと怖いなって思っている部分も数年前から感じていたのも事実です。

でも、福祉の仕事って本当に可能性しかないし、すごい仕事だと思ってるよ。一生どこかで関わりたいとは思ってる。

今後、どんな選択を取っていくかは本当に自分次第だけど、なんでずっと福祉に拘っていたのかなんとなく結論が出たので文章に残しておきたかった。ただそれだけの記録です。



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