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ハルカカナタ

「はるちゃんがみえたわよ!」
部屋の外から祖母がわたしを起こす声が聞こえた。
わたしは寝ぼけ眼で部屋の鍵を開けると制服姿のはるが立っていた。
「来ちゃった」
「もう1ヶ月ぶりくらい?もっと来ればいいのに」
「そんなにしょっちゅう休んでたら卒業できないよ」

はるはわたしの幼馴染だ。はじめてクラスが一緒になったのは小学校3年生の頃。一緒に描いた漫画を見せ合ったりスーパーファミコンのゲームを貸し合ったりしてよく遊んでいた。
中学校も同じ学校で2年生では同じクラスだった。帰る時はいつもはると一緒だったし、はるはよくウチにも遊びに来ていた。
わたしは近所の底辺高校へ進学して、はるは隣の市のそこそこの高校へ進学した。
しばらくは疎遠だったけど最近はたまに遊びに来てくれるようになった。

「またひっちゃかめっちゃかだね、片しがいがある」
「掃除なんてはるが来た時しかしないからね」





わたしは立派な引籠りになっていた。夢が破れたからだ。
中学校2年生の終わり頃から大人に混じって小さな劇団でお芝居をする様になった。稽古は毎日あって学校の終わってすぐに電車を乗り継いで四谷まで行って稽古。
夕方の17時についてから22時半まで稽古があった。
監督の松本さんは厳しかったけど優しい人だった。
「そろそろ三輪は帰る時間だ。お前覚え悪すぎるからちゃんと練習して来い。でも勉強もしろよな」
と言ってわたしは他の人より早く帰された。
「はい!お疲れ様でした!」
公演前は他10人程度の劇団員は始発まで仮眠を挟んだりして稽古したりしていたらしいがまだ中学生の私はもちろんそんな事は出来るはずもなく22時半きっかりに帰らされていた。

もちろん稽古にはそんなに参加が出来ないから端役ばかりだ。
最初の舞台はただ叫びながらナイフを振り回して警官に連行されるよくわからない役だったし、やっとセリフが与えられたと思ったらわたしのセリフは他の人よりうんと少なかった。でもわたしはそれでも楽しくて楽しくて卒業までに4公演に出演させてもらった。

期末テストが終わると松本さんに答案をチェックされる。
「なんとも言い難い点数だな…」
「いいんです、わたし演劇をやって生きていきたいんです」
「そうかぁ、でも大学まではしっかりいけよ。なんかあっても潰しが効くからな」
「はい!」
そういってもわたしは進学率6%、偏差値39の高校へ進学した。
もちろん松本さんの言う通り大学へ進学はするつもりだったし、勉強もしていなかったけど松本さんには「高校三年生になったら1年間休んで受験勉強をしろ」と言われていたからその1年で勉強をするつもりだった。だから勉強しないでも怒られない底辺高校を選んだのだ。偏差値テストでは私の偏差値は55くらいだったから先生も「あそこでいいの?」と聞いてきたし「演劇をやるんでいいんです」と答えていた。
でもその計画が崩れる日は高校1年生になってすぐに訪れた。

5月の終わり舞台が終わったばかりの劇団員は春休みを取っていた。
わたしはもちろん春休みなんて終わっていたし、偏差値39の勉強内容に驚きながらも高校に通っていた。数学は掛け算から教えてくれるし、国語は小学校レベルの漢字プリントをやらされていて退屈な授業で放課後の劇団の稽古も無く暇な日を繰り返していた。
夕方、松本さんからメールが届いた。

「大事な話がある。来週に全員を集めて話をしたい。参加可能な日を全員返信する様に」

わたしはてっきり次回の公演の演目が決まったのかと思って「土日も放課後もいつでも大丈夫です」と返信した。でもいつも公演が決まったらその旨はメールで伝えられたはずだ。少し変だなとも思った。そして翌週の土曜日に劇団員が全員稽古場に集められた。

「次の公演の話かな?」
「公演ノルマ高いとかそういう話じゃない?」
「もしかすると大きな劇場でやるとか?」
「イヤな知らせじゃないといいけどな」

そんな話をしていると松本さんがゆっくりとドアを開け稽古場に入ってきた。
そしてすごい勢いで土下座をした。

「みんなすまん!!!!」

涙を流している松本さんをわたしたちは初めて見た。
なんでも松本さんに様々な事情が重なって劇団を解散しなければいけないという話だった。父親が倒れた事、スポンサーだった会社が倒産した事、そんな中で金策をしていたら詐欺師に騙されて借金を1500万背負った事を涙ながらに語った。松本さんは前世で何かやらかしたんじゃないかというくらいの不幸が前回の公演中にまとめて起きていたのだ。
劇団は台本から演出の総監督、時には音楽まで松本さんが担当しているくらい松本さん頼りの劇団だった。もう解散するしかなかったのだ。

松本さんが稽古場を去って行くと他の劇団員は「知り合いの劇団に入る」といったり「諦め時かぁ」なんて呟いていたがわたしは驚いて声も出なかった。

帰りにホームセンターに寄って鍵を買った。それをドアに取り付けて部屋には誰も入れなくなった。高校は自然的に退学になった。
もう誰にも会いたくなかった。

それからは誰も起きていない夜中に起きて冷蔵庫を漁って食事をしてシャワーを浴びるてTVを見るだけの生活だった。親は事情を知っていたから特に何も言わず冷蔵庫にはいつも食事がラップをされ用意されていた。
いつの間に慣習が出来た。週に1度くらいは出かけなさいと親が机の上に置いていった3000円を持ってパジャマのまま家から歩いて5分くらいのブックオフに行き、漫画や本を買い込んで1週間読む。次の週もブックオフへ行く。次の週も。その次の週も。家には本がどんどん溜まっていったしわたしはすべてを忘れたくて本を読み漁った。あぁ、わたしはこれからどうなるのだろう。床には読み終わった本や脱ぎ散らかした服、飲み終わったペットボトルやお菓子の袋が散乱していて寝る場所もなかったから押し入れで寝ていた。
押し入れで寝る時に襖を閉めると部屋で寝るときよりも寝床を真っ暗にできる。わたしはそこで暗闇を見つめながら「ドラえもんでも来ないかなぁ」と思っていた。そしてすぐに「来たところでなあ…」と思っていつも寝ていた。そんな暮らしが半年くらい経とうとしていた。



ある日、急にはるがウチを訪ねて来た。
誰とも会いたくないと思っていたわたしだが驚いてしまって、ドアを開けてはるを迎え入れてしまった。

「すごい部屋…」
「掃除なんてしてないからね…」
「髪もぼっさぼさじゃん」
「美容院なんて行ってないからね」
「ちょっと掃除していい?」
「え?」
「こんな部屋でくつろげないもん」

くつろぐ?尋ねに来ただけじゃないの?そう思っているとはるは祖母からゴミ袋を貰い部屋に散乱したゴミをゴミ袋に詰めはじめた。わたしはおろおろしながら手伝おうとすると

「みわちゃんは座ってて。普段掃除しない人が掃除すると余計散らかるから」
と謎の理論を言いわたしは押し入れの中に座った。
「押し入れで寝てるんだ、ドラえもんみたいじゃん」
「四次元ポケットがあれば完璧なんだけどね」

掃除をしているはると話をする。
「どうして来たの?」
「坂野さんがみわちゃんが学校辞めて引籠りになったって言っててさ。じゃあ家にいるかなと思って来てみた。」
「学校は?」
「サボった。」
「え?なんで?イジメでもあってるの?」
「まさか、わたしが空手習ってたの知ってるでしょ。ダルいからサボっただけ」
「え?じゃあ不登校なの?」
「ううん、今日初めてサボった、なんか休みたくて」

わたしがよくわからない顔をしているとはるは聞いてくる。
「本棚ぐちゃぐちゃだね。同じ漫画は揃えた方がいいんじゃない?」
わたしは本棚は一応持っていたけど本棚に本を収納するときはつっこむだけで巻数なども位置もバラバラになっていた。
「大丈夫、適当に突っ込んでおけば」
「これだけの量だもんね、適当に突っ込むよ」
そういってはるは本を本棚に無造作に入れはじめた。
わたしはまだよく分かってなかった。なぜ過去の親友が部屋を掃除しているのか。



部屋はきれいさっぱりに片付いた。無造作に散らばっていた本は本棚に入れられ、入りきらなかった本はサイズごとに積んである。散乱したゴミはゴミ袋にまとめられ洗濯物はすべて洗濯カゴに入れ脱衣所に持って行ってくれた。さすがに洗濯はしてくれなかったが部屋に掃除機はかけてくれた。

あまりにもひっちゃかめっちゃかな部屋だったので片付けが終わるころにはお昼を過ぎていた。もうなぜはるがウチにいるのかもよく理解しないまま二人はくつろいでいたし祖母が気を利かせて「出前を取るかい?」と聞いてきたので二人はそばの出前を取ってもらいそれを食べながら話をした。

「みわちゃん劇団辞めちゃったんだって?」
「辞めたんじゃないよ、解散してなくなったの」
「なくなったって、他の劇団とか行けばよかったのに」
「うーん、なんかわかんないけど休みたくなっちゃったから休んでるの。はると一緒だよ」
「あ、ワサビ使わないなら貰っていい?」

そんな話をしながらテレビにはアニマックスを流していた。

「最近はじまったこの鋼の錬金術師って面白いんだよ」
「へぇー、最近のわかんないや」
「でも15時ごろから再放送の時間帯だし知ってるのやるんじゃないかな」
「セーラームーンとか?」
「やってるよ、このあとやる」
「やってるの?!みたい!」

そんな話をしながらセーラームーンを見た。小学生の頃見たセーラームーンのままだったしとても懐かしい気持ちになった。はるは絵がすごく上手くてセーラームーンもすごく上手に描いていた。わたしは密かにはるは将来竹内直子みたいな漫画家になると思っていた。

「ねぇ、セーラームーン描いてよ」
「えー、久しぶりだから描けるかな…」
そういいながらもサラサラと見事なセーラームーンをすぐにはるは描きあげた。

「やっぱはるは上手いなあ、プロの漫画家みたいだよ。将来は漫画家になればいいのに」
「うん、わたしも将来は絵の仕事したいんだ」
「へー、じゃあ卒業したら代々木アニメーション学院とか行くの?」
「ううん、美大に行こうと思ってて」
「美大!」

美大なんてすごいと思った。あんな所は絵がトップクラスに上手い人じゃないと行けない。でも確かにはるは小学校でも中学校でも一番絵が上手かったし県から表彰された事もある。はるならいけると思った。

「でも親が反対しててね」
「えー、いいと思うけどな」
「普通の大学に行かせたいんだって、美大は受験させないっていうんだ」
「そりゃ大変だねぇ」
「中学校で劇団なんて自由にやってたみわちゃんが羨ましいよ」

確かにわたしが駅で見かけた劇団員募集のチラシを貰って来た日、母は反対をしなかった。オーデイションに行くといったわたしに「ちゃんとした服を着ていきなさい」と新品のワンピースまで買ってくれた。

「自由なんて考えた事も無かった」
「今だって自由に引籠りしてるじゃん」
「まぁ確かにそうだけど…」
「そういえばさっき掃除してたらソフト出てきたけどまだスーパーファミコン持ってるの?」
「あるよ」

そういって二人はスーパーファミコンでプライムゴール2で遊んだ。

「もう!また負けた!ヴェルディ強すぎなんだよ!」
「この頃のカズすごかったけどさすがにセンターラインから打ったシュートが入るとはね…」
「あ、こんな時間だ。そろそろ帰るね」
日が暮れかけたころ、はるは帰って行った。
「時々来ていい?」
「たまになら」
と簡単な約束を交わして。

それからはるは月に1回くらいはウチを訪ねてくるようになった。
来たら1ヶ月分の部屋の掃除をして、他愛もない事、思い出話をしながら祖母の頼んでくれた出前を食べてアニメを見てプライムゴール2をする。それがわたしの月に1度の楽しみになった。

はるは学校では恋愛どころか友達すらできないし、入った漫画研究会は女子たちがやおい漫画を描いているだけでつまらなくて幽霊部員になった。
学校に行って、帰るだけの生活だと言っていた。

「ここはタダでさぼれるし。わたしバイトさせてもらえないから」

といってはるは親の方針でバイトすらさせて貰えない事を笑っていた。
そう考えるとわたしは自由なのかもしれない。

はるが3年生になった5月。その日もはるは突然に来た。
アニマックスを見ながら二人で雑談をしていた。流れていたリューナイトというアニメは子供の頃見た覚えはあるけど全然どんな話だか覚えていなかった。
はるは突然なことを言い出した。

「もう来れないかも」
「え?なんで?」
「受験だよ、受験。美大一応受けれる事になって絵画予備校に通わないといけないんだ」
「えー、そんなのあるんだ、でも良かったじゃん」
「でも浪人はダメだからさ…一発勝負なんだよ。浪人したら次の年は文系の大学に行けって言われた」
「えー、じゃあ頑張らないとじゃん」
「うん、だからみわちゃんも頑張って自分で掃除できるようにならないとね」
「散らかしとくとはるが来てくれるような気がしてさ」
「なにそれ、便利に使わないでよ」

そうすると待っていたセーラームーンがはじまった。セーラームーンの再放送はもうすでに終わっていてセーラームーンRになっていた。
「ねぇ、みわちゃんはこれからどうするの?」
「うーん、わかんない」
「そっかぁわかんないよねえ、わたしもわかんないもん」
「美大行くんじゃないの?」
「行けるかどうかわかんないし行きたくもない大学に行くかもしれないんだよ?」
「それはわかんないねぇ」
「わからないけど、どうにかなりそうな気がするね。これプレゼント」
「なにこれ」
「劇団員募集のフリーペーパー。またやってみれば、と思ってさ」
「ありがとう、考えておくよ」

5月の少しぬるい風が換気をしている窓から入ってくる。
あれからも春は来たし、10回以上はるは来た。これからもしかしたら私にも本当の春が来るかもしれないしな、なんてロマンチックな事を考えながらフリーペーパーをボーっと見ていた。

「あ!みわちゃん歌うよ!」
「え?なんで?」
「最後だからだよ!ほら!」
「え、よくわからないけどわかった!」
「「なりたいものになるよね ガンバルひとがいいよね 涙もたまにあるよね だけどピッと凛々しく~♪」」

歌い終わった後、ふたりは卒業式が終わった後みたいに笑った。

はるが帰ってわたしはすぐ小さな劇団に電話をしてオーデイションを受ける事になった。ピッと凛々しく、なれればいいなと感傷に浸る。閉め忘れた窓からは少し涼しくなった春みたいな風が吹き込んでいた。

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