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パーフェクトな選択はない。

「その時のじぶんにとっては、その選択がパーフェクトであったのだ」と解釈することが、その選択を肯定することだと思っている。言い聞かせるのではなく、解釈。つまり、ポジティブな思考でいるということ。

帰省するといつも、自らの暮らしや子育てについて、厭でも見つめ直すことになる。他者(両親)の暮らしの中に間借りして、僅かな間でもその懐かしい色に溶け込むから。

普段の私は、頭ごなしにあれこれ否定してもらえる環境にないものだから、じぶんが戸惑いながらも向き合っている育児が、ダメダメのダメだということに気付かされたり。母という人が、丁寧に作り込んだ食事の温もりには、味以上のものが含まれていることにハッとさせられたり。

「移住」ということの価値や「故郷」の概念について考えさせられたり。しかし、これはなぜだろうな。海を感じて、その波の音や浜の香りが胸に沁みたということもあると思うのだけれど、遠方を訪れて、距離に運ばれることで、暮らす場所というものがどれだけじぶんに影響を与えるのか、与えられてきたのかと、しんしんと思い詰めるのだ。

全てパーフェクトな選択というものはないな。そう思うし、いくら「かろやかな生き方」などといっても、人は何らかに帰属するのだ。じぶんには様々な選択肢があったということに、今更ながらに気づかされる。いやこれからだって、あるけどね。

この移住は、成功だったのかなあ。
このテーマを心に抱えるという部分すら、移住の醍醐味というか、旨味みたいなものなのだろう。


仕事をしていなかった時、夫の書棚は覗かなかった。『不思議の国のアリス』の冒頭みたいだけど、挿絵も写真もセリフもないような啓発本を食わず嫌いしていたから。フリーランスで仕事を始めてからというもの、夫の書棚に並ぶ書籍たちの背表紙が刺さる、刺さる。そういや、って思い出したけれど、夫は(畑こそ違うが)私よりも長くプランナーをやっている人だ。「話し方」「サービスの価値」「マネジメント」みたいなことと向き合ってきた人だもんなあ。頼れば、先輩らしく核心ついたこと言ってくれるもんね。本を捨てるのって好きじゃないから、私が吸い上げさせてもらうよ。

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