Kalyanamisatita @気功と瞑想の間

湘南の西の端っこ辺りに暮らしています。タイの古都チェンマイで学んだ気功を教えたりしてい…

Kalyanamisatita @気功と瞑想の間

湘南の西の端っこ辺りに暮らしています。タイの古都チェンマイで学んだ気功を教えたりしています。仏法を学びながら日常生活の中で実践していきたいです🙏✨

最近の記事

左脳さん、右脳さん。

Twitterで話題のネドじゅんさんのご著書。しばらくAmazonさんの利用をしてなかったこともあり、ネドじゅんさんのnoteにある変容カードだけで満足してしまっていた(というか、なぜか変容カードがこのkindle本の内容なのかと思いこんでいた💦)。またぼちぼちAmazonさんのお世話になり始め、右脳さん、左脳さん読みたい!となった時にしばらくこちらの本が謎の販売停止に遭うという・・・(タイミング😂!!)過程を経て、やっと読めました!! 先日、ネドじゅんさんとスペースで対談

    • ティク・ナット・ハン師のセレモニーによせて

      22日からベトナムのプラムビレッジをはじめオンラインを通して各地で行われていたセレモニー。今日は火葬の日で師を乗せたトラックが街を移動する様子がずっと配信されていた。 街の中を進むトラックと道路脇でそれを拝む人々の姿を見て、スピリチュアルリーダーが存在する場所を羨ましく思った。 そしてふとお祖父ちゃんのお母さん(私の曾祖母だけど生前に会ったことはなかった)が亡くなった時、葬儀に参列したような記憶が微かに蘇った。 35年以上も前の記憶。それが本当に自分の記憶なのかは定かで

      • 私が東洋医学を好きなワケ

        西洋医学や科学文明を信じていないとか そういうことではなく 分かりやすく車に例えてお話ししてみますね 腕利きの整備士(西洋医学のお医者さん)がいたとして どんなに腕利きの整備士が完璧に車(身体)をメンテナンスしてくれたとしても 自分自身がぽんこつドライバーだったら・・・ 私にとって東洋医学を学ぶことは 車を走らせる技術を磨くようなものなのです 先人の知識や考え方をベースに、自分自身で車のメカニズムを研究したり、メンテナンスをしたり、車体に負担のない上手

        • 気功のこと

          ”天から黄金の光のシャワーが降りてくるイメージを〜” しないで下さい! って、今やっている気功を習い始めた頃に言われて 何だかとてもしっくりきました そこから物質・体(rupa)と観念・心(nama)の話とか 少しづつ色んな学びがあって なんやかんやで5年以上続けながら まだまだ学びの途中だけど その中で自分が人に伝えられることを少しずつ生徒さんにシェアしております           ☆★☆★☆★☆ なんだかんだ言いながらも続けてきたこの気功 続けてき

          ながらベジカレー

          今日は飴色玉ねぎでも作りながら玉ねぎを炒める観察の瞑想をしよう と決めたのに ダライラマ法王の対談ライブが始まるよとFacebookからお知らせがピコンと。 結局聴きながら調理のスープカレーになりました。 辛みは今日も安定のかんずりさんです。

          3度の飯よりカレーが好きかもしれない件

          昔はカレー食べると何故かイライラするからカレーって嫌いだった。なんでだろう?スパイスの刺激だろうね。そんなことも無くなったのは瞑想の成果かもしれない😆 家族がいるから毎日カレーって訳にはいかないけど、1人だったら毎日カレーでも大丈夫な気がする。 ayuさんのnoteの記事に触発されて、植木鉢の受け皿と化していた無水鍋のフタと大事にしまい込んでいた本体を引っ張り出し、野菜は煮込まずに無水調理でトッピング! 特にダシらしい出汁は使わなかったために玉ねぎの甘みだけではなんだか

          3度の飯よりカレーが好きかもしれない件

          人間はAIに支配されるようになるのだろうか

          地元の映画館で風の谷のナウシカ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ゲド戦記とスタジオジブリの4作品を先日まで特別上映していた。 上映最終日にたまたま時間があったので観てきた。 こんな世の中だし大好きなナウシカを観ようかと思ったが、そういえばもののけ姫は10代の頃に観たきりだった。今一度観てみることにした。 公開が1997年、今から23年前。10代のあの頃はきっと、宮崎監督が描いた物語の本質が何も響いていなかったな。 その後、宮崎監督の描く世界が気になりネット動画などを漁っ

          人間はAIに支配されるようになるのだろうか

          反対側から考えてみる

          このCOVID-19の猛威が収束したとしても、きっと形を変えて別のウィルスがまた猛威を振るう時が来るんだろう。 人間が対抗すれば対抗するほど、さらに進化して、強さを増して。 などと想像してしまう。 「希望の光」か。 ここで人間以外の生物の側から考えてみる。 小さな抵抗でほんの少しの間、人間の動きを封じ込めることができた。 そのお陰でほんの少し、人間以外の生物が生きることができる場所が増えた。 でも、人間はまた元の生活を取り戻そうとする。 それどころか、更に人間

          あらがわないこと

          体調が悪い時、その体調の悪さに抗おうとせず落ち着いてその感覚を観察していると、その不調が割とあっさり去っていくことがある。 これが自然治癒力、免疫の力というものだろうか。 抗おう、抗おうとすることで、体が勝手に治っていこうとするプロセスを自分自身が邪魔をしていたのだろうか。 また、体調の悪い時、その不快感に心を囚われず落ち着いてその感覚を観察していると、その不調を作り出している小さな原因に気づかされることもある。 その原因は何を隠そう、この私が作っている。 私は治療

          安心感

          先日、日本とアメリカの教育の違いについて思うところや、教えることについてnoteに書きましたが。 https://note.com/misatita555/n/n4e6c96b32f3b 子供にとって、安心感を作ってあげるということはとても大事なことなんじゃないかと思っています。 間違っても失敗しても大丈夫。安心してチャレンジできる。そして何が正しいか正しくないか、自分で考えて行動できるようになる。 これは大人にとっても難しいこと。大人になってもやり続ける必要があるこ

          今日は仏日

          執着を手放すとは 自分の感情に蓋をして見ないようにするとか、遠くへ投げやって見えないようにするとかいうことではなく よく見えるように、対象からステップバックして、自分の心に何が起こっているのかをきちんと観て そこに巻き起こる感情に飲み込まれることなく、しっかり立っている感じのことかな 洗濯機の中にある渦を外から観ている感じ そんなことは暇があるから考えていられるのかもしれないけれど だけどその時間は敢えて作るものなのかもしれない チェンマイにいるカリヤナミ(善友

          正しい言葉と教えるということ

          ”その言葉が、真実ではなく、事実ではなく、利益をもたらさないと知るなら、ブッダはその言葉を語りません。 その言葉が真実であり、事実であり、利益をもたらすと知るならブッダはそれを語る時を知っています。 その言葉が真実であり、事実であり、利益をもたらすと知り、適切な時である場合、聞く人が「好まず、不快なもの」か、あるいは聞く人に「好まれ、喜ばれるもの」かにかかわらず、ブッダはその言葉を語ります。” (中部経典58)『エイトマインドフルステップ バンテ・H・グナラタナ著 出村

          正しい言葉と教えるということ