
保健室の先生だった私がシャッターを切る理由
私たちが出会ったのは、あの子がまだ10代のころ。
今から5年前。
私は6年勤めた保健室の先生という仕事を辞めて、写真をぽつりぽつりと撮りはじめていた。
そんな私に、あの子は写真を撮らせてくれた。
生まれて初めて開催した写真展にも、彼氏といっしょに来てくれた。
成人式の写真を頼まれた時は、すごく嬉しかった。
時が流れて。
私は写真家として独立して、お仕事をもらったり、賞をもらったりしながらも、まだどこかで保健室の先生という仕事に未練があった。
写真は大好きで、写真家になりたくてなりたくて。ずっと写真を撮っていきたくて。
でも、幼い頃からの夢だった保健室の先生という仕事、子ども達と密に関わるあの時間を、完全に終わりにしてしまっていいのかと、どこかで後ろ髪をずっと引かれていた。
先日、あの子が結婚した。
記念の写真を頼んでくれて、久々にあの子に会った。
彼氏は旦那さんになっていたし、あの子はとてもきれいだったから、涙が出た。
「涙でファインダーが滲むなんてプロ失格・・・!」という気持ちで、平常心を保とうと努力しながら、大切に、大切にシャッターを切った。
夢中で写真を撮っていたら、さっきまで「涙で被写体が見えないなんてプロ失格」なんて思っていた気持ちが、ふっと、どこかへいってしまった。
私は目を閉じた。
それでも、はっきりと写したいものが見えた。
「あぁ、私、ずっと同じことをしているんだ。」
そう思った。
写真は、口実なんだ。
つながるための手段なんだ。
保健室の先生をしていた時も、
写真家になったのも、
「あなた」とかかわりたいからだった。
「あなた」とつながっていたいからだった。
全然違う仕事をはじめて、なんだかチグハグになっているような気がしていた。
保健室と写真という、全然違う「点」だと思っていた。
その点と点が、スッと線で繋がったような感覚だった。
方法が変わっただけで、私のしたいことはあんまり変わっていないんだなぁ。
あなたにまた会いたくて、これからも写真を撮り続けていくんだと思う。
「ありがとう!」「おめでとう!」「やったね!」の気持ちを込めて、ビールで乾杯するかわりにシャッターを押すよ。
保健室にいた時みたいに毎日は会えないけど、今度は卒業がないから、いつでもまた呼んでよ。
ありがとう。おめでとう。またね!