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【短編】 月の色

 今日も、薄暗い帰り道に、黄色い月がぼんやりと浮かんでいる。あそこにウサギが住んでいる、というのは有名だ。しかし、何故、月は黄色いのだろう。ふと、そんな事が気になった。
 くだらない事のようだが、一度気になると、知りたくて仕方がない。僕は、色々ともっともらしい事を、頭の中に並べてみた。しかし、それらしい答えは見当たらなかった。

「今夜は、眠れそうにないな」

 そうつぶやいた時、都合よく一匹のウサギが通りかかった。真っ白い、ちょっと太った中年のうさぎだ。服は着ていないが、手には書類ケース、足には男物の革靴を履いている。
 そういえば、テレビか何かで、最近は人間と共に会社で働くウサギが増えている、とか言っていた気がするなぁ。こいつもきっと、その類だろう。
 まあ、そんな事はどうでもいい。とりあえず、彼に聞けば何かヒントくらいはくれるだろう。僕は、そいつに声をかけた。

「月から来たウサギさんですよね?」

 ウサギは、怪し気にこちらを見ている。いきなり見ず知らずの人から声をかけられたら誰だって警戒する事くらいわきまえている。だが、僕には、そんな事を気にしている余裕はなかった。今夜の安眠がかかっているのだ。
 僕は、早く謎を解きたくてウズウズしていた。

「月って、どうして黄色いんですかねェ?」

 僕は、もう一度声をかけた。

「白い時もありますよ」

 ウサギは、答えた。そういえば、早朝に見る月は白かったなァ。とすると、また謎が一つ増えることになる。僕は、頭を抱えて考え込んだ。
 ヒントくらいもらえると思ったのに、謎がもう一つ増えて返ってくるとはなんたる不覚。僕は、頭をかきむしってしゃがみ込んだ。
 ところが、すぐに素晴らしい仮説が、僕の頭の中を駆け巡った。ウサギはすでに百メートルくらい先を歩いていたが、僕は、それを追いかけながら叫んだ。

「月でウサギは、毎朝、朝礼をしているんですね。だから、沢山のウサギで白く見えるんだ!」

 ウサギは振り返り、薄笑いを浮かべながらこう言った。

「本当にそんな風にお考えですか?仮に月が白い理由がそうだとして、月を埋め尽くす程のウサギが、それ以外の時間、どこでどう生活しているというのです?」

 その表情は、少し馬鹿にしたようにも見えた。僕は、半ばヤケ気味になって、さらに仮説の続きを述べた。

「月は地下都市が発展してると聞いたことがあるぞ。だったら、何層にもなっている地下に、地表を埋め尽くす程のウサギが住んでいてもおかしくは無いじゃないか」

 それを聞いて、ウサギは感心したように言った。

「なるほどね。確かに月は地下都市が発展しています。しかし、月はそんなに人口過密では無いし、そんなに色白ばかりじゃありませんよ。それに、毎朝、月中のウサギが朝礼するだなんて、そんな馬鹿げた事、あなた方人間だってやらないでしょ?」

 それもそうだ、惑星中の全人口がそろって朝礼などありえない。こんな馬鹿げた事を良く考え付いたなと、自分でも恥ずかしくなった。しかし、まだ謎は解けていない。さっきより頭がモヤモヤして破裂しそうだ。

「だったら、月が黄色かったり、白かったりするのは何故なんです」

 僕は、先を急ごうとするウサギの腕を掴んで尋ねた。

「そんなの、自分で月に行って確かめてくれば良いじゃないですか」

 ウサギは迷惑そうにこう言うと、僕の手を振り払って走り出そうとした。冗談じゃない。逃げられてたまるか。このウサギに逃げられたら、永久に謎が解けないような気がして、僕はウサギの腕を掴む手に力を入れた。

「何をするんだ、やめないか」

 ウサギは怒鳴ったが、僕はいっそう手に力を入れた。自分で月に行って確かめろなどと言われても、こっちだって困る。彼らは、隣町にでも行くように、月と地球を行ったり来たりしているが、地球のロケットなどまだ一般市民の乗れるようなものではない。行って確かめろと言うなら、月まで連れて行ってもらわなければならないのだ。僕は、ウサギに頼んだ。

「あなた達の宇宙船にのせてください」

 ウサギは、僕の手を振り払ってこう言った。

「宇宙船ですって。あなたは、何も知らないのに色々と創造を膨らましすぎる。あなたはもっと、現実を知る必要があるようだ。」

「じゃぁ、教えて下さい」

 僕が言うと、ウサギはあきれたようにこう言った。

「仕方ありませんね。お教えします。今度の満月の夜、煙突に登ってみてください。そうすれば、あなたの知りたい事は全部、分かるはずですよ」

 そう言うと、ウサギは走って逃げて行ってしまった。僕は、それを追いかける気力も無く、ただ、ウサギの走り去った方をぼんやりと眺めた。どっちにしろ、走るウサギに追いつけるはずも無かったし、次の満月の夜には、全てが明らかになるのだ。
 それにしても、次の満月の夜、煙突の上で何が起こるというのだろうか。今度はその事が気になって、その夜はほとんど眠れなかった。


 疑問を抱いてから数日後、やっと、待ちに待った満月の夜がやってきた。ここ数日、睡眠不足が続いていたが、足取りは軽かった。

「次の満月の夜、煙突に登れば全てが解る」

 あの中年ウサギは確かにそう言った。今日こそ謎が解明されるのだ。しかし、煙突と言っても、どの煙突に登ればいいのだろうか。
 煙突は至る所あった。風呂屋の煙突、工場の煙突。それに、最近の暖炉流行りで、各家庭にも煙突があった。僕は、側にあった工場の煙突にもぼる事にした。
 赤と白の綺麗な市松模様の煙突を登り始めると、秋の風が心地良く吹き抜けた。僕は、とてもいい気分になって、月が黄色かったり、白かったりする理由なんて、もう、どうでもよくなってきた。
 しかし、これから、この煙突の上で何が起こるというのだろう。その好奇心が、僕を急がせた。僕は、黄色い月を真上に見ながら、せっせと煙突を登っていった。

 やっと、てっぺんまで辿り着いた。真上には、暗い空とは対照的に大きく明るい満月が浮かんでいる。煙突からは、白い煙がモクモクと昇っていた。それはまるで、月の引力に引かれるように空高く続いているように見えた。

「なんだか、気持ちよさそうだな」

 僕は、どういうわけだか、煙の中を覗きたくなった。僕は、恐る恐る煙の中に頭を突っ込んだ。目の前が真っ白になり、顔が、あたたかく、柔らかい物に包まれたような気がした。とても気持ちが良かった。僕は、前のめりになり、もっと奥まで顔を突っ込んでみた。

「しまった!」

 そう思った時には、もう遅かった。僕の体は完全に煙の中にある。もう落ちるしかないのだ。半ば観念した時、僕の体は煙と一緒に空へと舞い上がった。痛みは感じなかったが、僕はもう死んで、天国へ向かっている途中なのかもしれない。そう思ったが、そうではないようだ。

 相変わらず僕の周りには煙が充満していた。例の、あたたかく、柔らかい物に包まれたような感触も全身に残っている。ひょっとすると、この煙が助けてくれたのかもしれない。とは言うものの、一体どこへ連れて行かれるのだろう。少し不安になり、有り余る好奇心を後悔した。
 しかし、こうなったら、なるようになるしかない。下手に動いて落ちるよりはマシだろう。
 僕は、煙の中に寝そべって、フワフワと空高く舞い上がっていった。視界はモクモクとした白い色が続いていたが、案外、居心地良く、それなりに、真っ白の世界も楽しい物だった。

 数分間、白い世界が続いたが、やがて、視界が明るくなってきた。霧のように煙が晴れると、そこには、黄色い世界が広がっていた。その黄色とは、言うまでも無く、月の地表だった。
 僕は、煙突の煙に乗って月まで来てしまったようだ。
 なるほど、そういうわけか。あの中年のウサギが言ったのは、こう言うことだったんだな。満月の夜に煙突に登れば、月に行ける。初めからそう言ってくれれば良かったのに。だからあの時、宇宙船と言う言葉を聞いて、人を馬鹿扱いしたのだな。この煙の仕組みは良くわからないが、こんなラクな乗り物があったら、宇宙船なんて必要ないもんな。

 だんだん、黄色い地表が近づいてきた。僕の体は、ビルのような建物の屋上にフワリと着地した。着地してみると、意外に面積は小さく、ビルと言うよりは塔のようだった。

「本当にここは月なのだろうか?」

 地球の物と大して代わり映えの無い灰色の建物の、何の変哲もない金網越しに、下の世界を覗いてみた。十数階と見られるこの建物からは、下の様子はわかり難かったが、地表の大半は黄色く、所々に、コレと同じような細長い建物が建っているのが見えた。どうやら、ここが月というのは間違いないらしい。
 早速、下へ降りてみよう。僕は、狭い屋上を見渡し、下に続く階段を見つけた。階段を十数段下りると、目の前にエレベーターが二台並んでいた。
 エレベーター意外は何も無い。どうりで狭いわけだ。僕は、ちょうど来ていた下りのエレベーターに乗り込んだ。
 エレベーターの中は、割合広かったが、地球の物とそう変わりは無かった。ただ、違うところは、各階を示すボタンが、ほとんど地下と言う所だけだった。どうやら、このビルとも塔とも言えない建物は、地球からの玄関と地下都市とを繋ぐエレベーターのようだ。僕は、地上一階のボタンを押した。

 エレベーター特有のフワッとした感覚に少し酔ったが、やがて目の前のドアが開くと、僕は、勢い良く外へ飛び出した。
 ドアの外は一面の黄色だった。その上をウサギたちが、地球の六分の一の重力を受けて跳ね回っている。あの中年ウサギが言った通り、色白のウサギばかりじゃ無いようだ。黒いのやら、茶色いのやら、何とも言えない妙な模様の奴もいた。

 僕は、足元の黄色に目をやり、それを摘み取ってまじまじと眺めた。それは、月を覆い尽くすほどのタンポポだった。謎が解けてスッキリ、と言うよりは、少しがっかりした気分だった。
 僕は、もっと、月らしい物がそこにある事を期待していた。黄色い砂漠だとか、黄色い湖だとか、良くわからないけどそう言った感じの地球には無い物が有ると思っていたのだ。

「こんな事なら、ずっと謎のままにしておいた方が良かったかな」

 摘み取ったタンポポを、ユラユラ揺さぶりながら呟いていると、一匹のウサギが、駆け寄ってきた。

「花を勝手にむしられちゃ困るじゃないか」

 年をとった、灰色のウサギだった。大きなかごを背負い、片手にはクワを持っている。どうやら、畑の持ち主らしい。

「じゃぁ、お返ししますよ」

 僕が、タンポポを返そうとすると、老ウサギは言った。

「今更返されても困る。もう二度と、人の畑のタンポポを取るんじゃないぞ」

「はい。すいません」

 僕は、一応謝ったが、タンポポなんて二度と摂る事など無いだろうと思った。

「それにしても、人間のお客とは珍しいな」

 老ウサギは、僕の顔をジロジロ見ながら言った。そう言われてみれば、辺りを見ても人間の姿は全く見当たらなかった。それもそうだろう、僕だって、月にくる方法なんて、今日初めて知ったのだから。
 老ウサギは言った。

「お前さん、何で月なんかに来たんだい。地球には、様々な資源が溢れていて、何もこんな所に来なくても良さそうなのに」

「いや、ちょっと 、月が黄色い理由を知りたくて…」

 僕が答えると、老ウサギは、珍しい物でも見るように僕の顔を覗き込んだ。

「へェ、そんな理由でこんな所まで来たのかい。人間の中には変わったのもいるもんだねェ。見ての通り、月が黄色いのはこのタンポポのせいさ。このタンポポは、唯一の資源であり、食料なんだよ。まぁ、最近では、地球に働きに行ったり、旅行に行った奴らが、持って帰ってきた物なんかもあるがね。いずれにせよ、君達人間にとっては、たいした物じゃないだろうな」

 それを聞いて僕は、更にがっかりした。タンポポ以外にめぼしい物は無いらしい。確かに、一面に続く黄色い世界は美しいし、六分の一の重力もフワフワして面白いが、そう長くは楽しめそうに無い。いずれにせよ、ここは、退屈な所に間違いなさそうだ。
 あまりの馬鹿馬鹿しさに、僕は、空を見上げた。空は、真っ黒い宇宙だった。青空が懐かしいなあ。地球からこの月は、どんな風に見えていたっけかな。僕は、急に、地球が恋しくなった。

「僕がここに来たのは、半分は事故みたいなもので、地球に帰る方法を知らないんです。地球に変える方法を教えてもらえませんか?」

 僕は、老ウサギにすがり付く様に尋ねた。老ウサギは、同情する様子も無く、淡々と答えた。

「地球へ行くのは、月に来るより簡単さ。そこの塔のてっぺんまで登って、地面を思い切り蹴ればいい。そうすれば、後は地球の引力に引き寄せられて、あっと言う間に地球に行ける」

 老ウサギは、さっき、僕が降りてきた塔を指差した。

「有難うございました」

 ぼくは、老ウサギにお礼を言った。

「そのタンポポは、記念に持って帰るといい」

 老ウサギはそう言うと、にこやかに手を振った。僕も軽く手を振り、エレベーターに乗り込んで、屋上のボタンを押した。せっかく来たのだから、地下都市も見学しようと思ったが、今は、一刻も早く地球に帰りたい気分だった。どうせ、地下にだってたいした物は無いようだし、そんなに見たければ、次も満月の夜にでも、また見にくれば良いのだ。
 屋上に着くと、早速僕は、地面を思い切り蹴った。月の重力は地球の六分の一。予想以上に、僕の体は高く舞い上がった。すると、また、あの柔らかい煙の中に僕の体は包まれたが、進む速さは、来た時よりも数倍速かった。 

 気付くと僕は、例の紅白の煙突の上にいた。真上には黄色い満月が浮かんでいる。煙突からは、白い煙がモクモクと月めがけて昇っていた。
 僕は、夢をみていたのだろうか。ふと、そんな気分にもなったが、右手にはしっかり、タンポポが握られていた。どうやら、さっきまでのは夢ではなかったようだ。
 自宅に戻ると僕は、キッチンにあったコップに水を入れ、月のタンポポを活けた。こんなもの、春になれば地球にだっていくらでも咲くのだが、せっかくなので、枯れるまで捨てるのはやめにした。

 連日の睡眠不足の限界なのか、謎が解明した安心感からなのか、それとも、地球の重力で体が重いせいなのか、理由はわからないが、その日は久しぶりに、グッスリと眠れた。
 朝、目が覚めると、久しぶりの快眠のせいか、心なしか頭の中がスッキリしていた。僕は、ベッドの脇の窓越しに空を見上げた。空には、白い月が浮かんでいる。僕は、重大な事に気付いて思わず叫んだ。

「月が白い理由を突き止めるのを忘れた!」

 なんてこった。月が黄色い理由だけ解ったって仕方ないじゃないか。また月に行こうにも、次の満月は、一ヵ月後。それまでまた眠れぬ日々が続くなんて耐えられない。僕は、コップに活けられたタンポポを睨みつけた。


 「あれ???」

 なんだか、昨日とタンポポの様子が違うみたいだ。
 僕は、首をかしげた。何が違うのか。その答えはすぐに見つかった。僕は、タンポポの入ったコップを両手で持ち上げながら、大笑いした。

「なんだ、そういう事だったのか!」

 早朝の月が白い理由と共に、月のタンポポと、地球のタンポポの違いまで解明された。月のタンポポは、成長がやけに早いのだ。だから、夜は黄色い花で、朝にはもう、白い綿毛になっている。
 これで全部つじつまが合う。唯一の資源といったって、決して量が少ないわけではない。種類は乏しくとも、タンポポだけは、決まって毎日大量に収穫される。だからこそ、月であれだけのウサギが繁殖し、立派な地下都市が発展したのだろう。
 僕は、なんだかいい気分だった。知ってしまえばたいした事ではなかったけれど、なんだかとってもいい事を知ったような気がした。僕は、ベッドにごろんと寝そべり、窓の外を見た。

 窓からは、秋の高く澄んだ青い空に、タンポポの綿毛に包まれた真っ白い月が浮かんでいるのが見えた。


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