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我が人生、我が人生。

先日私の祖父が95回目の誕生日を迎えて、
そうだ、今日は祖父のことを書こうと、ふと思った


私の祖父はすごく几帳面で。
ああ、こういう人が長生きするんだなと、
周りの私たちはそんな祖父にいつも驚かされている。


今でこそ"歳"という事もあり小食になっているが、
私が知る限り祖父が"暴飲暴食"をしているところは
一度も見たことがなくいつも"腹八分目"、
それを合言葉にしているみたいに
決めた量しか飲んだり食べたりしない。
朝は毎日同じ時間に起きて
毎日同じ時間に同じものを食べる。
寝る前には必ず1時間ストレッチをして寝床につく。
そしてまた同じ時間に目覚め同じ日常を過ごす。

そんなきっちりした人だ。

自分が決めたことは絶対に曲げない性格なので、
私が小さい頃お泊まりにいって家事のお手伝いをすると

洗濯物の畳み方が違う。
食器の洗い方が違う。
洗った皿の置き方が違う。
どうしてお前はそんなに雑なんだ。

等々、いつもなにかと注意されていた(笑)


そんな祖父ももう95歳。
私たち家族からしてみると
"やっと"歳を取ってきたかと感じるようにもなった。


最近ちょっとボケてきたな、って思うことある?

そう聞くと祖父は


そうだなあ。
最近なにか物を取りに行こうと思って部屋に取りに行くんだが、その部屋につくと一体何を取りにきたのか忘れちまうんだあ。

うん、私もそれ、割とあるよ😅

その話を聞いた母は
あいつ、まだ生きるぞ。
(自分の父親なので言い方に棘があるのはご容赦ください笑)
と言い、家族で笑い合った😂


そんな祖父だが、最近は
寝ているのが1番楽だなあ。
と弱音を言って(きっとそれが本音なのでしょうね)
孫の私は
ようやく祖父の老いを感じ
あと何回会えるのだろうか
と、
寂しさを胸に、会える時には会いに行こうと思いを強めている毎日だ。

さて、
その祖父も実は昨年、
最愛の妻(私の祖母)が先に天国へと旅立ってしまい…
(その時ばかりは祖父も悲しみに暮れ、このまま一緒にいってしまうんじゃないかと家族をハラハラさせたのですが、その話はまたいつか。)


祖母は祖父とは違い少し身体が弱い人だったので、
胃がんを患い闘病生活を経て祖父が介護をする
という期間もあった。
完治してからは祖父が過保護になってしまい、
祖母には一切家事をやらせなくなり
家のこと全てを祖父が尽くすようになった。

今では孫にとっての優しい"おじいちゃん"だが、
母曰く、
昔祖父は仕事人間で家族の行事ごとには一度も顔を見せたことがないほど、
帰省は父抜き、家には呑んだくれて帰ることがしばしば、
後輩を連れて家ではどんちゃん騒ぎと、
好き放題やっていた頃もあったようで…

その反省からなのか、
祖母の為に全ての家事をこなすようになったようだ。

(過去はどうであれ)そんななんでもこなす祖父を
私はやっぱり尊敬するなと見ていたのだが、
そのせいなのか、
祖母自身の性格のせいなのか、
原因は分からないが、

祖母は間も無くして
認知症になった。


深夜に徘徊してしまったり、
お金を盗んだと誰かのせいにしたり、
私や家族の顔や名前が一切分からなくなったり…
そうなる前に旅立ってしまったので、
むしろ可愛いくらいのボケだったが、

おトイレがひとりで出来なくなったり、
時間の感覚が全くないので
いきなり突拍子もないことを発言し出したり、
寝ている時間が増えたり、
幻想を見るようになったり、
幻聴が聞こえるようになったり、
遂にはご飯が喉を通らなくなったり、


段々と弱ってくる祖母を見るのは辛いものがあった。
きっとそれ以上に長年連れ添っていた祖父は
たまらなく辛かったと思うし、
いずれ自分もそうなるのかと思うと怖かったとも思う。

時々そんな辛さから家族の雰囲気がどんよりする時もあったが、
そんな時祖父はいつもこう言うのだった。

我が人生、我が人生。

(わがじんせい、わがじんせい)


ヨシエ(祖母の名前)がこうなってしまったのも
自分の人生の一部だから。
ヨシエを選んで結婚した時点で、
それが自分の人生だから。
だから、悔いはないと。


ああ、祖父はそうやって自分の人生を謳歌してきたんだな。


きっと悔いを感じなかったことなんてなかったと思う。
多分、
祖母が認知症にならなければ、
自分が手を出さずにもっと祖母にも何かをやらせてあげていたら、
そんな風に思った時もあったんじゃないかなと。

でも、それも含めて

我が人生。


祖父の言葉にはそんな重みが感じられた。


私が結婚を決めた時、
そんな、自分にとって大切な祖父だから
旦那さんを祖父にも紹介したくて会わせたことがあった。


我が人生だから。
そんなすぐに離れようなんて考えるのはだめなことなんだあよ。


祖父は私と彼を前に
ぽつんと、いつものこの言葉を送ってくれた。

ここは、昔の人だから、
ちょっと考えが古いな、と思うかもしれないが。
祖父が伝えたかったことは

我が人生だから"責任を持て"。


そういうことなんだと私は思う。


人生100年時代。

これからどんなことが起きても自分の人生に責任を持って

自分の人生、楽しくもつまらなくもできるのは自分次第


我が人生。


その気持ちがあればどんな人生も
誰かのせいにする人生ではなく
自分で生きた人生になる
のかな。


ちょっと嫌なことがあった時は
大好きな祖父のこの言葉を胸の中で唱えると
ちょっとくすっと笑顔になって、
前を向いて歩ける私なのでした。


祖父の"我が人生"がもっともっと長く続きますように





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