【障害受容】ガイジより始めよ。ガイジで終えよ。
本能の奴隷
我々は、本能の奴隷です。私も含めて。本能とは、実際の形から変わって見える人やモノ(身体障害者や、発狂中の精神障害者)に容赦なく差別感情を注ぎます。
足のない身体障害にはうわ足ないやん!、きつ音症はキビキビ喋れや、電車でうーうー言うやつはツイッターにあげてバズろっ♪、アトピーは粉ふいててきっも!、デブ、チビ、ブス!
悲しいかな、これが我々の本能です。遺伝子レベルの操作でもしない限り、変わることはないでしょう。
反差別感情から暴走する、無理やりなスタートとゴールのテレポート
フルマラソンで例えましょう。42.195kmです。
差別する本能をスタート、理性的に障害者を完璧に受容し愛を注ぐことができる態度をゴールとします。(ちなみに地球上にゴール達成者は一人もいません。)
我々はスタート地点にあることをまず認めなければならないのです。これを認めず、急に
『身体障害者や超デブの人にスーパーモデルの役割を与えよう』
とするルッキズムのあり方は…。
急にゴールにテレポートしないでください。我々はようやく江戸時代のスタートから現代で5km地点くらいまで進んだのにまた拒否反応でスタートに戻りますよ…?
スタートとゴールを繋ぐのはテレポートではなく、一歩一歩。
例えば、学芸会でかわいい子が適当にお姫様役を任されたけど、ほんとは違う役がやりたくて、お姫様役が空いてしまったとします。
そういう時にじゃああえて主人公をデブの女の子に変えて、『こんなにデブな私でもあなたと皆のおかげで私を好きと思えるようになった。私はお姫様になれたんだ。』という劇にしようと提案します。
そして学芸会がその超デブ女子の一騎当千の活躍によって幕を閉じ、万雷の拍手が鳴ります。
これならどうでしょう。これはテレポートでなく、確実な一歩と言えるのではないでしょうか。1mの一歩を踏み出すことができたのではないでしょうか。デブに対する差別的感情を持ち合わせていた観客も、そのわだかまりのようなものが消えて帰路についてもらえるのではないでしょうか。
『ガイジ』を巡る善と悪
ガイジという言葉を使う周りの人間は数多くいますし、僕も月に一回くらいモノに対して衝動的に出ます(絶対に一人でいる時ですが)。
ではこの態度は「悪」なのでしょうか。むしろ、スタートにいることに何より直向きな形だと思います。彼らは本能的であり、それを隠そうとしません。
むしろ、恐ろしいのは「これで言うと私は30km地点には達してるかな♪仕事で毎日障害者の介護してあげてるし♪」みたいな人間です。
吐き気を催す邪悪です。そもそも、してあげてるとかそういう表現は30kmの人間から出てきません。30km,40kmなどはそれこそ宮崎駿がようやく手をかけたかと思われるかのような仙人レベルの極致です。
ちょっと理解がある程度で俺/私は分かってあげてる!という不遜な態度こそ障害受容の圧倒的な障害と言えるでしょう(障害だけに)。
むしろ、ガイジガイジ言ってる人間のほうがよっぽど伸びしろありますよね。
「ガイジ」より始めよ、「ガイジ」で終えよ。
隗より始めよということわざがあります。まずお前がやれよという故事から回り回って、難しいことこねくり回さず、まずここをスタートとしよう。という意味に変化している言葉です。
我々はまずスタート地点にあることを認めなければ、そこから始めなければなりません。
ガイジより始めよ。
また、Nig*aという言葉を知っていますでしょうか。黒人差別ワードとして有名ですが、黒人の間ではダチや、軽い黒人自虐を意味する単語として使われています。ちなみに黒人の間でしか使えません。
ガイジもそれで良いと思うんですね、ADHDかつ躁鬱?の友人がいますが、楽しそうに同族の私に使っています。まあそれはそれで良いんだと思います。当事者としてのゴールへの到達方法の1つとして受容することにしました。
いつか、ガイジという言葉が平気で飛び交いながらもそれに一切の注意を払わなくて良い、そんな世界になっても面白かろうと思います。
ガイジで終えよ。
まとめ
本能のスタート
目標のゴール
勇気の1m
歩みましょう、スタートとゴールに橋をかけて恐る恐る渡りましょう。私もついていきます。
それでは。
PN:Misana
Real name:まこと
mail:makoto.821.dd@gmail.com
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