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息子は「育てにくい子」だった 3

『ちょっと難しい』HSC気質な息子の話です。
今回も、振り返るたびに涙が出るほど辛かった、イヤイヤ期について。

絶望のイヤイヤ期(買い物)

何も買えない "ダメダメ期"

「買っちゃ駄目ぇ!」
「そっちいっちゃ駄目ぇ!」
「ッッ……駄目ぇぇぇぇぇ!!!!!」

スーパーでもドラッグストアでも、息子はいつも叫んでいました。
『真っ先にお菓子売り場へ行きたい』という、自己主張なら私も受け止められました。
あるいは「買っちゃ『嫌』」だったなら、君は嫌なんだね~でもママは買いたいんだよね~と思えたかもしれません。

どの商品を手にとっても、どの売り場に向かっても駄目駄目駄目の絶叫がついてまわりました。
当然、周りの人の目も気になります。

『食料品や日用品など、必要最低限のものを買いたいだけなのにどうして』

自ずと私の口調や態度もキツくなり、買い物自体が憂鬱と苛立ちの塊になりました。
それでも「少しでも節約しなきゃ」「家に籠りきりではいけない」と、通販や宅配の利用はできるだけ控えていました。
特売日や高ポイントの日に行かなければ……〇曜日にはスーパー行って、×曜日にはドラッグストアに行って……この商品は△△が安いから絶対そこで買わなきゃ……

またしても私のこだわりが、状況を悪化させていきました。

ドラッグストアの床で泣く

ついに息子だけでなく、私まで床に座って泣いてしまった事件がおきます。

いつもの通り、駄目駄目を連呼していた息子。
それでも私が買い物を続けようとしたのにブチキレ、カゴを強奪して猛ダッシュ。
そして商品の乗ったワゴンに勢いよく激突して、吹き飛びました。

『大丈夫ですかー!?』

通路の向こうから、男性の店員さんが叫びながら駆けつけてくれました。
幸い息子に怪我はなく、ワゴンも位置が少し動いた程度で商品に影響はありませんでした。
このとき、まだ生後4ヶ月だった娘がカートに乗っていて、子ども二人連れでの買い物でした。

『大騒ぎして迷惑かけて』
『どんな客、どんな親子連れだと思われただろう』
『娘の授乳の時間が迫ってるのに』
『息子をちゃんと見ていられなかった』

色々な思いが込み上げた結果、床に座ったまま立てなくなった私の目からは涙が溢れていました。
その後さらに駆けつけてくださった二人の女性店員さんが娘のカートを押してレジまで行ってくださり、少しお話をしながら会計となりました。

レジ担当の方は「うちにも同じくらいの子がいて」「本当に、もう、大変ですよね」「嫌になっちゃう、ね」と。
それからもう一人の女性店員さんは、わざわざバックヤードからティッシュを持ってきてくださり、息子の鼻水を拭いてくれました。

私はその日のうちに、そのドラッグストアの本部にお礼のメールを送りました(店員さん個人のお名前は確認しそびれていましたが、シフトや聞き取りなどから特定され、ご本人たちに謝意は伝わったようです)。
夫には『ブラックリストに入っちゃうんじゃないの?』などと笑われましたが(私が寝かしつけで狂う前の話です)。

娘が3歳になった今でも「大きくなったね」などと気にかけてもらっていて、本当にありがたい限りです。
あのとき駆けつけてもらえなかったら、疎ましい目で見られて追いやられたら、共感して慰めてもらえなかったら……私はもっと苦しんでいたと思います。

夫の転勤で引っ越してきて一年目の冬、第二子が産まれて育児に追われる日々、イヤイヤ期と赤ちゃん返りMAXの暴君息子の幼稚園入園はまだまだ先……
誇張なしに「死にそうな日々」だったのです。

余談ですが、そのときレジを担当してくれた方のお子さんは今、息子と同じ幼稚園・同じクラスです。
ドラッグストアの店員さんから〇〇ちゃんのママとなり、世間話もよくする間柄になりました。

絶望のイヤイヤ期(遊び場)

散歩しかできなかった0歳期

北海道に住んでいた頃、息子は児童館や支援センターで遊んだ経験がありませんでした。
なぜかといえば、それらが無い地域だったからです(過疎地……)
唯一あるのは、地域でたった一ヶ所の保育園の「園庭開放(火曜日)」
ただし屋外なので天気次第(北海道なので雪が振る10~3月は×です)、保育園の行事やその他の都合次第なので「解放するかどうかは当日決めます」スタイルでした。
そもそも平日は車を夫が使っていたので、車で片道30分の保育園に行く手段はなく……

公園もない、コンビニ等もない、冬は雪、秋は鹿討ちと熊出没……とにかく毎日の散歩だけが息子のお出掛けタイムでした。


部屋に入れない

東京に引っ越してから、児童館・支援センター通いが始まりました。
またしても私のこだわりが爆発し、曜日ごとに行く場所を固定・台風と大雪の日を除いて平日は毎日通い続けました(二人目の妊娠が発覚してからも、凄まじい頭痛は毎日薬を飲んで、ヨロヨロになりながら児童館へ行っていました。役所の方に「ママ!そんなに頑張らなくていいのよ!」と言われて初めて『あれ? みんなそうじゃないの?』『毎日子どもを遊ばせに行くものじゃないの?』と首を傾げたくらい、私は周りが見えていませんでした)。

しかし0歳のときは全く遊び場へ行かなかった息子。
元々人見知り・場所見知りが強いのもあって、最初はそもそも部屋に入れませんでした。
慣れてきてからも、多人数でワイワイしていたら無理。

なのでどこへ行くときも「開館と同時に一番乗り」「混みあってきたら即帰宅」を徹底していました。


イレギュラーは苦手なんです

息子は『いつもと違う空気』が苦手です。
今の私なら先にスケジュールを確認して息子に伝えていたと思いますが、当時(息子2歳)は『とにかく毎日遊び場へ行くこと』そのものが目的になってしまっていて『伝えたことで、息子が行き渋ったら困る』と、私のルーティン優先になっていました。

児童館や支援センターのイベントは、定期開催・不定期開催の両方がありました。
どうやらママ向けのメールマガジンのようなものがあったらしく、その予定を見て周りのママさんは行動されていたようです。
もしくは掲示板コーナーに貼られている案内チラシなど……。
けれども引っ越したばかりで知り合いがいない、とにかく息子を毎日連れていくことに執着、混んできたらすぐ帰る、毎日の生活リズム通りに行動する……で一生懸命だった私は、何も情報を得ないままひたすら通い続けていました。

なので児童館や支援センターに行って初めて「なんか催しがあるんだ!どうしよう!」状態。
毎回そうなのに何で情報を集めなかったのかと今は思えますが、それだけ余裕がない子育てだったんだと……当時は全くの無自覚でした。

イベント準備で見知らぬものや装飾があるだけで、泣き喚いて帰りたがる息子。
それでも何とか色々な経験をさせてあげたい、頑張りたい私。
結局、息子は部屋の隅でそっぽを向いて手元のオモチャだけを見ている or お遊戯などには参加できず泣いたり走り回ったりしている……

『こんなの、うちだけじゃん……なんで?』

周りの親子が当たり前のようにイベントに参加できていることが、不思議でなりませんでした。


優しいスタッフの方々に恵まれて

周りの子のように座っていられない、楽しめない。
同じように手遊び歌のまねをしたり、子どもたちに向けた声掛けに反応できない。
そんな息子でしたが、児童館や支援センターのスタッフの方々は温かく迎えてくれていました。

支援センターで行われる、月一回の定期開催の音楽会。
かなりの人数が集まる中で、行ってすぐからそわそわしだす息子。
そんな息子のために「一番前列の端」を確保しておいて、案内してくださるスタッフの方がいました。
一番前列なので、振り返らなければ多数の親子連れが視界に入らない。
端っこなので、演者の方が近づいてきたり話を振ってきたりしない。
私と壁の隙間に座った息子は、相変わらず手元のオモチャで遊び続けるだけでしたが、参加5回目くらいにはほんの少しだけ演奏に興味を持ってくれていました。

児童館のイベントは不定期。
救命救急講習、クリスマス会、リトミック、地域ボランティアの方のお話など。
そこでもスタッフの方が息子用のスペースを確保してくださったり、専用のオモチャを用意してくださったり。
泣いて逃げ出しても「また来てね」、飽きて途中で帰ることになっても「泣かなくて偉かったね」、最後までつまらなそうにしていても「最後までいれて凄いね」と、いつも笑顔で私たち親子を見送ってくれました。

ご迷惑ばかりお掛けして申し訳ないと謝ることもしばしばでしたが、私の「息子に色々な経験をさせたい」という気持ちを汲んでくださり、温かく迎えてもらっていました。

「連れてくるお母さん、とっても偉いよ!」
「1回駄目だと、大体みんな諦めちゃう、児童館にも来なくなっちゃう」
「いっぱい来てくれて、イベントに参加してくれて嬉しいよ」

こうして私はここでも励まされながら、難しい息子の育児に奮闘し続けていました。



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