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昔から憧れていた「文化的で在ること」が目の前に在ることに気がついた

「文化的」って何でしょう。

高校か大学生くらいの頃から「文化的」であることにそれはそれは憧れていた私。
でも、それが何なのか、うまく言葉にできないでいました。


日本や世界の文化について沢山の知識を持っていたり、何かものすごい技術があったり、人前でそれらを披露できる環境に恵まれていたり…
それも確かに文化的だけど、それに限らないのでは?とも思っていました。

(上流階級かオタクかプロしか文化的であることができないなんて、そんな決まりは今の日本には合わないと思う)


そこから15年近く経って、ようやく言葉が下りてきました。

文化的に生きたい、文化的な暮らしがおくりたい、と「文化的」の文字を何度もノートに書き、じゃあ具体的にどうしたいのかは何も浮かんでこなかったのが。

どうやら私は、決して急ぎたくないようです。

先日、とてもいい天気だったので海の見えるカフェまで行ってみることにしました。平日の昼間に、ひとりで片道1時間のところまで。

そこではチーズケーキと日本茶をいただいて、それも美味しかったし、窓際の席で目の前に広がる景色に癒されもしたけれど、それだけが得たかったものではないと感じました。

車で走る海沿いの道も、途中まではなじみのある景色なのに、ある所から急に知らない道になって、途端にちょっと旅している気分になったことも、暑すぎて背中が痛くなったことも、同じくらい得たかったものだった。

そう感じることができる心や体の状態を『文化的』と呼んでいたのだなあとふと気が付いて、今、そう在れていることが嬉しくなったのでした。

物理的な移動だけでなくて、何かを作るとか育てるとか、何かになるとか、そういう変化するもの全てにおいて、そう在れたらいいのに。だって、それが一番生きているって感じがするから。

それなのに、お金とか仕事とか、目の前に具体的な数字やモノがバーンと出てくると、つい焦って結果を求めてしまう。正確には、求めないといけないような気がしてしまう。

これからも「文化的で在ること」は、私の生きている間じゅうのテーマになるのだろうと思います。

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