新しいが怖かった。私の学びのきっかけ②
どうして今も学び続けたいと思うのか、
読書猿さんの著書「読書大全」を読んで、
思い出すことができたので書いてみようと思う。
少しでも共感いただける部分があれば
リアクションをもらえると嬉しいです。
①はこちら
勉強が人を引き離す。学びから逃げられない
テストでいい点を取るための勉強と
新しい知識を得る学びは違うと思っていた。
学校に来ているのだから、
勉強は仕方なく、問答無用でやるしかないと思っていた。
小学校5、6年生の私は遊ぶことが大好きだった。
学校が終われれば友達と公園に行って
ボールで遊んだり、プリクラを撮ることに異常にはまっていたりしたので
近くのショッピングセンターに毎日のように行っていた。
違和感は少しづつ感じ始めた。
1年生の時から知っていて5年6年と同じクラスだった
Yという友達が学校にあまり来なくなった。
最初は少しづつだったが、次第にすぐ
1週間に1回、月に1回しか小学校に来なくなった。
小学校に来ない子なんてほとんどいなかったので
最初は休めて羨ましいなと思って私も親に頼んでいたくらいだ。
小学校ではお休みだった友達に、近くに住んでいる友達が
連絡帳や宿題を持っていくのが習慣だった。
最初は気にしていなかったがあまりに休むので
先生が本来書くであろうコメント欄に友達何人かで
毎回コメントを書くようになった。
早くおいでよ、と。
先生、自分の親、大人に聞いてもYが休んでいる理由は教えてくれなかった。
私はなぜか雰囲気で病気なのかと思っていた。
言えないというのはそういうことなのかと思っていた。
学校に来ないのでYに会えなかった。心配だったし
会いたかったので何度も何度もコメントを書いた。
2、3ヶ月してYが明日学校に来るかも、と
連絡帳を届けている友達から聞いた。
私はその日絶対に理由を直接聞こうと思った。
その日、1時間目か2時間目に体育の授業があって
外の校庭にいた。
Yは朝から来なかったので、午後から来るのかなと思っていた。
すると、校庭の柵の外にYがいるのを見つけた。
私は授業をバレないように抜けてYのところに行った。
なんでそこにいるの?と聞くと、
学校に行くなと親から言われている、
体育の時間で外にいるなら皆を見れると思って家から一瞬抜けてきた、と。
病気なの?と聞くと、
違う、ずっと勉強している。とYは答えた。
病気ではないがずっと勉強していて辛い、
でも受験が終わるまで学校には行けない、1月くらいだと思う。
連絡帳をいつも書いてくれてありがとう、
それがとても励みになっている。
今は遊べないけど友達でいてほしい、受験が終わったらいっぱい遊ぼう、と。
そう言って10分もしないで、Yは行ってしまった。
私は全く理解できなかった。
だって普通は勉強をしに学校に来てるんだから。
勉強するために学校に来ない???
本当に理解できなかった。
そして少なくとも私が見たYは幸せそうではなかった。
でも逃げられない、終わりが来るまで頑張ると言っていた。
それも理解できなかった。
楽しくないのにやらないといけない、
逃げられないという環境があるの?と。
後になって理解したことだが、
Yは中学受験のために死ぬほど勉強していたのだ。
親が言い始めたことだが、Yも理解していた。
私の地域の公立の中学生は治安が悪いことで有名だった。
なのでYにとって中学受験は必須で
そのために塾に行っていたのだが
その塾の方針で学校に行くことを辞めて
家で勉強しなさいとなっていたらしい。
私にはそれも理解できなかった。
まず、遊ぶことが楽しいという共通理解なのに
それよりも大事なやるべきことがあるということ。
そしてその勉強によって得られる結果が
私を含む大半の友達と別の中学に行くこと、
つまりこの時間が終わっても、
また同じように遊ぶことは出来ないということ。
衝撃だった。勉強が友達を連れて行ったと思った。
勉強によって友達を引き離されたと思った。
その時私は思い出した。
世界には私の知らない、新しい世界があるんだと。
本を読むことから逃げ、知らない世界なんてないと封じ込めていた
事実をこんな形で真に受けることになったと。
もう逃げられなかった。
勉強というものには大きな力があり、
それは人を知らない場所に連れて行くんだと。
怖いから、という理由で逃げていても
その事実からは逃げられないと。
その時、私は学び続けようと決心したんだと思う。
正確に言うと、せざるを得なかった。
今も、せざるを得ないのだ。
中学になってから私は勉強した。
勉強ができるといいことばかりだった。
私は相変わらず遊ぶことが大好きで
中学生だったがオールでカラオケしたり夜中まで友達と電話したりしていて
いわゆる少し不良っぽかったと思う。
しかし母親との間で
「テストで良い点を取っていれば何をやってもいい」と言う
取り決めを交わした。
私は中学3年間、最初の数ヶ月以外学年で30番以下になったことがなかった。
3年生になる少し前、進路を考える時私の頭は決まっていた。
Yと同じ高校に行く。
それは有名私大の中高一貫校に高校から入るということだった。
学校という仕組みが嫌いで(また別の機会に書こうかな)
1・2年生の時、年に100回以上遅刻していた私だが
3年生の時の出席しか見られないのは本当に救いだった。
その高校に行きたいと、その中学から言ったのは私が初めてだったらしい。
言った人がいるかもしれないが行った人は事実としていないと。
私はとにかく授業が嫌いで遅刻サボりまくっていたが
テストの点数だけは本当にいつもよかったので
大嫌いだった担任の先生と交渉したことを覚えている。
「3年の1年間は遅刻しない、授業にも出る。
だから全ての内申を最高にしてほしい。
その高校に受かるように助けてほしい」と。
大嫌いだった担任の先生と交渉は成立し、
2年に続き3年もその担任の先生で、
私は約束を守った。
受験については学びとは別の話だがこれだけ書いておく。
私の中学から志願書を高校に出した時
断られたと先生に言われた。
私の中学は治安が悪いことで有名だからだ。
だから受験すらできないかも、と。
怒り狂いたかったが、
だからあの時Yは小学生の時勉強したんだと思うと納得した。
結局校長先生が別で直々に受験させてください、せめて
テスト結果で判断してくださいと言ってくれたおかげで
私は受験することができ、高校に入った。
こうして高校に入学できた私だったが
高校はそれはそれは新しい世界だった。
私立だからみんなお金持ちだったし、中高一貫校なので
私が入学したときもうほとんど皆友達だった。
ヤンキーだよね?って知らない人に話かけられたりした。
中学ではずっとトップ層だったが初めての高校のテストで
ほとんど30点以下で補習を受けさせられた。
それは紛れもなく新しい世界でしかなかった。
新しい世界に適応するのはとてもしんどかった。
何度も、元いた進む予定だった場所に戻りたいと願った。
なぜ今ここにいることを選んだのか分からなかった。
ただ何度振り返っても、この高校に入ったことは
私の人生を大きく大きく変えた。
怖かったけれど、もう戻れなかった。
そこからの私はただただ、恐怖ながらも
新しいを受け止める日々を過ごした。
高校の3年間は新しい人たちと過ごすこと、
勉強、部活、バイトと新しいことだらけで
楽しくもあるが、分からないまま
戻れないので進んでるという感じだった。
大学生になるまでこの感覚は変わらなかった。
大学での変化は次のノートで。