新しいが怖かった。私の学びのきっかけ①

どうして今も学び続けたいと思うのか、
読書猿さんの著書「読書大全」を読んで、
思い出すことができたので書いてみようと思う。
少しでも共感いただける部分があれば
リアクションをもらえると嬉しいです。


新しい知識との出会い、初めての恐怖


私の学びのきっかけは小学校3、4年生の頃だったと思う。
頭がよかったわけではないが勉強が嫌いというほどじゃなかった。
単純に遊ぶことが大好きで、
勉強する意味がわからない状態だったなと思う。

そんな中突然、国語の時間、テストがとても嫌いになった。
日本語が難しい、問題が難しいからではなく
新しい文章や物語を読むのが怖かった。
テストの度に新しい文章が題材にされ、
問題を解くために、それを読む。それが異常に怖くなった。

初めてその感覚を抱いたのがどんな文章だったか忘れてしまったが、
とにかく私には新しかった。
それに対して「知らない、怖い」という感想しか出てこなかった。
「新しい」に対する私の自然反応は間違いなく「恐怖」だった。
残念ながら今でもこれは続いているので、
潜在意識からの反射的反応だと思う。

もちろんそれでも問題は解く。テストの点数は普通によかったから
作者の気持ちも読み取れていたのだとは思う。
それでも新しい文章を読むたびに新しい世界を知る感覚がとても怖かった。

文章次第では悲しくもなった。知りたくもない出来事を文章によって
知らされる。なぜ知りたくないものを知らないといけないのか、
読まされているという感覚が強かった。

それでもあの頃の私ですら、この恐怖からは逃げられないと分かっていた。
なのでまずは図書室に行くことにしたのを覚えている。
初めてはミッケなど内容がなく、楽しい、いかにも小学生向けの本を読んでいた。
そのうち少し物語の”かいけつゾロリ”とか料理の”こまったさんシリーズ”を読んだ。
そうすれば文章が怖くなくなると思ったから。

そしてふと国語の教科書を先に読み進めた。授業で初めて読むより
ひとりでゆっくり読んだほうが驚かないで済むと思ったから。

ただそこには悲しい物語がありました。
”ちいちゃんのかげおくり”いわゆる戦争に関する物語。
初めて一人で読んだ時、その悲しさを理解していたとは思いません。
ただ、「なぜ私はこんな悲しい文章を読まないといけないのか、知らないといけないのか」
と泣いていました。
選べるのなら、もう二度と読みたくなかった。
こんな悲しいことが世界で起きていると知りたくなかった。

それは大人になった今でも何度も起こる感情とはその時分かっていませんでした。

私はそれを人に話そうと思いませんでしたが、
周りに本を読むのが嫌いという友達は何人かいたので
私も「本が嫌いなんだな」と思うことでその問題から目を背けようと決めてしまったんだと思います。

これが私の新しい知識、学びに対する最初の自然な反応でした。

幸いなことに、いわゆる学校で求められる
勉強については、テストの点数さえ良ければいい
それが求められている、と理解していたので
最高の点数ではなかったですが
普通に勉強してそこそこの点数を取れていました。

思えばこの時点で私にとって
勉強と学ぶということは違うと感じていたんだと思います。

そんな考えが、また変わってしまったのは
小学校6年生。仲良しの友達が受験のために小学校に来なくなった時です。
それは次のノートで。

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