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過去に嫉妬する人達(アーカイブ2019.8.15)

ガラケー向けブログ「美咲日記」のアーカイブ記事です。当時の雰囲気を残すために文章を変えずに転載しています。

お盆も終わりですね。今年の夏はものすごい猛暑ですけど、みなさん体調は大丈夫でしょうか。

ひさしぶりに書きます。美咲ブログ。
こちらも近々移転を計画しています。このガラケー向けのモバスペも実は便利なところがたくさんあって捨てがたいのですが、もうちょっとブログを多くの人に知ってもらいたいので、ゆっくりと移転計画を進めていきます。

さて本日の話題です。

あなたは、好きな人の過去が気になりますか?というテーマで少し書いていきます。

ここを読んでいるのは女性が8割、男性が2割というところだと思います。
男性は女性に、女性は男性に、それぞれの過去の恋愛が気になるでしょうか?

どんな人と、どんな恋愛をしてきて、どんな出来事があったのか。どれほどの強い思いで結びついていたのか。何を悩み、どんな行動をし、何を決断し、何を後悔し、何に思いを残したままなのか。

何年も昔のことに嫉妬しそうだから、絶対に知りたくないと思う人は多いでしょう。きっと若い人であればあるほど、そうだと思います。

私も昔はそうでした。
昔の私は、イケメンで、お金持ちで、仕事が出来て、謎めいたプレイボーイの年上男性が好きでしたので(笑)それはもう苦しみました。20歳そこそこの時代のことです。

15歳も年上の男性と付き合って、離婚していて、恋愛も沢山していて、そんな人の過去を妄想で頭の中で転がすだけで発狂しそうでしたよ。あんなのキスが上手いのは、どんな女と付き合っていたんだろうとか。お酒を飲みながら教えてくれる過去の恋愛の話だって、彼にとっては過ぎ去った遠くの風景だったと思います。子供のころの運動会の思い出と過去の恋愛は同列にあって、なんの湿度も持ってないからこそ語ってくれるんだと頭では分かっているのですが、正直、私はうまく飲み込めませんでした。

私も私で、よせばいいのに質問するんですよね。

「昔の彼女はどんな人だったの?なんて名前?仕事は?一緒にどこに遊びに行ったの?私と行った場所にも一緒に行ったの?」とかね(笑)

すると、男性は丁寧に答えてくれます。ある時は楽しそうに。
湿度がもうないから離してくれているのに、私の中で勝手にべっちょべっちょに濡らして物語を膨らませてしまうんですよ。

10年前の彼女は本当に好きだったよと言われたものなら、私の劣等感と自己重要感の低さに火をつけてしまって、不機嫌になったりしました。デートの後で彼氏からのメールに返事をしなくなったり、着信を数日間も無視したり。


だめですね。そういうことをすると、女性は男性を嘘つきにさせてしまうんです。
気が利く男性ほど、情緒不安定になっている原因に気づくので、次からは過去を改ざんするようになるんです。

どれほどたくさんの感情を背負った過去があったとしても、「たいしたことないよ」とか「どうでもいい話だよ」なんて言うようになります。

そうすることで、私にとって彼氏の過去には重いカーテンが引かれるようになります。その重苦しいゴシック調のカーテンの向こうはもう見えなくなり、私はまた想像を何百倍にも含まらせます。

過去に嫉妬する人は、目の前の現在の風景すら改ざんしてしまうことがあります。
それまでは嫉妬しているとはいえ素直に、まっすぐな笑顔で接することが出来たのに、いつの頃からか、目の前の男性が色情の多層構造体にしか見えなくなります。
もちろんそれが自分の妄想に過ぎないことを分かっているのですが、でも、妄想とは言い切れないよなって思ってくるのです。

どうしてこの人は過去の恋愛を私に言うんだろう、どうして楽しそうに言うんだろう、
どうして過去の恋愛を悪く言うときがあるんだろう、未練があるんじゃないか、心を残しているんじゃないかって、ぐるぐる考えてしまうのです。


若さってそういうものですよ。

これが20歳の私が同じ20歳の彼氏と付き合っていたら、そういう感情は持たなくて済むかもしれません。私もそうしてみたことがあります。結婚していた夫は過去が全部把握でき、ろくな恋愛もないのが分かっていました。衝動的に好きになったり、破滅的な行動をすることはなく、本当に理性的に「恋愛」をして結婚をしました。それが愛だと、それが大人だと当時は思ったものです。

実はそれも若さゆえでした。

最後は、私が子供を産めないというある意味、理性的な割り切りで離婚に至りました。もちろんお互いそれは辛いことでしたし、理不尽で腹が立つ経験でしたけど、そういう付き合いをしてきたのかもしれません。誤解がないように言いますけど、冷めてるとかじゃないんですよ?情熱的に夫を思い貢献し身を捧げるように頑張ってきましたから。でも、理屈ですべて割り切れるような終わり方をしてしまいました。

私が35歳を過ぎた頃から、自分の中に変化がありました。

それまで大人とは、理性的な存在だと思っていたのですが、実際の私はちょっと幼なかったと思います。

それは私自身、(良くないことですが)不倫も浮気もセフレも経験し、仕事でもたくさんの喜怒哀楽を経て、嫌なことも情熱も経験した結果、「矢のようにまっすぐに」生きるというのが簡単になったのかもしれません。
これを経験している大人の男性も多いと思います。


まっすぐに無邪気に生きることが出来るようになる一方で、逆に過去に詮索と嫉妬をされることも増えました。私は、自分に好意を持ってくれている若い男性にも、過去の経験はストレートに話します。きっと楽しそうで、もしかしてこの人まだ未練があるんじゃないの、まだ過去の男を好きなんじゃないのって思われていることでしょう。

私は年下と本気で付き合うことはありませんけど、男性は何かよく分からない感情を抱えておかしくなってしまい、電話をかけまくってきたりメッセージを大量に送ってきたりします。
でも私は、嘘は言いません。

過去の彼氏を好きかと言われたら、今でも好きですし、いい思い出ですよ。もちろん。でもそれが現在かと言ったら違います。大切な宝物のような過去なんです。
大切な過去が自分を作っている以上、その歴史は現在の心よりも分厚く複雑です。過去を無理やり知らしめようとは私は思いませんが、過去を無視することはできません。

若い男性に言われたことがあります。
過去の恋愛が今のあなたを作っているのは分かるけど、それを感じるのが苦痛だと。だから過去のことは質問されても言わないでほしいと。

それを言われても私の過去は変えようがありません。私は過去に何か病的なトラウマを抱えてはいないのですが、もしそうだったら、文章や音楽のような形で過激に表現し続けるでしょう。

私の過去を理解しろという横柄なことを言うつもりはありません。
過去は過去で歴然と存在するし、それは隠さない。過去が現在を作っているのかと言われたら、もちろんそうでしょう。過去の経験と学習で選択を繰り返してきたのですから。
そして、それを何らかの形で表現する機会があったら、私は表現します。無邪気に、でも時々悲しく。

ガダルカナル島での戦闘の生存者である98歳の男性は、20歳そこそこでの出来事を取材で聞かれて泣いて全く話せず終わったのをテレビで見ました。男性はその記憶を抱えてきっと家族を作り父親や夫として生きてきたのですが、影響が影を落とさないことはありません。表現することも出来ず、ずっと心の中で抱えてきたのかもしれません。

いい記憶でも悪い記憶でも、人はそれを抱え、いやおうなしに今の自分を形成していると思います。

今の私は、大切な人の過去に思いを寄せてみるのが好きです。
どの角度から考えても、苦痛ではありません。それはきっと私も同じだけの過去を持っているからでしょう。

でも感情移入で心を病むような思いの寄せ方はしませんし、できません。今の年齢の私は、純粋な想像だけで誰かの人生に思いを寄せることができるからです。

あなたはきっと、ものすごい笑顔でいるときもあり、ものすごい屈辱と寂しさを感じたときもあり、どうにかこうにかここにたどり着いたのねと、そんな風に軽く思うのです。
だから、飲みながら過去の話を聴くのが結構好きだったりします。

20歳の時の私とは大違いで驚きます。

若い子は私に言います。
「そんなことを聞いて、嫉妬しないのは好きじゃないからじゃん」

おやおや、と私は苦笑いしてしまいます。

それに対して反論はしません。

「そうね、好きじゃないかもね」と言うのです。

経験を積んで無邪気でいながら、複雑な過去の感情を忘れもせずに抱えて、私が愛しているのは目の前の誰かではなく、人生そのものなのですけどね。

恋人の過去を愛する必要も、過剰にケアする必要もありません。褒める必要も悲しむ必要もありません。
ただその歴史の気配を感じるだけ。
それって、ある意味、大人の無邪気さだと思います。

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