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【大人の社会科見学〜デスカフェ@百合ヶ丘家族葬ホール】開催レポート

12/6(日)、「大人の社会科見学」と銘打って百合ヶ丘家族葬ホールでデスカフェを開催しました。
今回はそのイベントレポートをお届けします。

++なぜ家族葬ホールでデスカフェなのか?

今回のデスカフェは、なんといってもこのロケーションにこだわりがありました。
葬儀に参列するか、あるいは自分が葬儀を行う側にならない限り訪れる機会がない葬祭ホール。
そこで実際に葬儀を取り仕切る葬儀屋さんの話を聞くことで、今までとは違った視点を得られるんじゃないか?という狙いでした。

協力してくださったお葬式のひなたの増井社長は、noteの発信も非常にユニーク。
増井さんの話をもっとみんなに聞いてもらえたら面白いかな?と以前から思っていたので、それが実現した形です。

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++お葬式の意味とは?

今回のデスカフェの大テーマは「お葬式の意味」。
会のはじめにアイスブレイクを兼ねて「お葬式のイメージ」に近いカードを選んでもらい、理由を話してもらいました。
(使用したカードはPoints of Youというイスラエル発のコーチングカードのパンクタムというシリーズです。山内はPoints of Youの国際資格を取得しています)

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アイスブレイクの後、ホール内を案内してもらいました。
(詳しくは百合ヶ丘家族葬ホールのHPをご覧ください)
案内してもらう中で一番質問が飛び交ったのは、ご遺体の安置施設。
百合ヶ丘家族葬ホールは4名様のご遺体をお預かりできるそうで、そこを案内してもらいながら首都圏の火葬場の混雑事情など、かなり突っ込んだ質疑応答になりました。

そこから会食室に移動して、増井社長とのトークセッションに。
ここでお話してもらったのは、葬儀の意味について。


葬儀という「装置」は、家族の機能を維持するためにとても大事なものではないか?
長い時間集まることで、家族に必要な「対話」を生む機会として機能してきた葬儀。
ところが、どんどん葬儀は簡略化し、直送や一日葬のような短時間で行うスタイルも多くなりました。
そうなると「対話」の機会が得られず、本来の「装置」としての機能が得られないのではないか?

こんな感じのお話でした。
(この内容は、増井さんのnoteでも取り上げられています)

++自分らしい葬儀のあり方とは?

増井社長の話と質疑応答を踏まえ、参加メンバー同士で意見交換を行いました。

一見すると、簡略化したほうが合理的で効率的に見える葬儀。
世の中全体も、その流れに乗っていくでしょう。
でも、本当に簡略化は合理的なのか?
様々な意見の中で、たまたま今回の参加メンバーは「そうではない」という意見にほぼ纏まりました。

簡単に済ませることは、一見便利かもしれない。
でも、人が一人亡くなることは、簡単に済ませて良いことでしょうか?

面倒に見える葬儀の手順。
でも、それには意味がある。
もちろん、宗教儀礼を守り通すことだけに意味があるわけではなく、「装置」としての機能を果たせれば、それはどんな形でも良いと思うのです。

自分らしい、私の家族らしい葬儀のあり方は、家族で対話して作りあげればいい。
ただし、そこに至るには事前の家族間の対話が絶対に必要です。
対話の結論として簡素な葬儀になるなら、それはそれで良い。
けれども、もし対話が不足している家族なら、なおさら簡略化してはいけない。

しかし実際は、対話が不足している家族ほど簡略化した葬儀を望みます。
おそらく、その家族はどんどんバラバラになってしまう。
それは本当に合理的なことでしょうか?
これについては、今後のデスカフェでも考えていきたいと思います。

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++今後のデスカフェ

今回と同じ内容の企画を来年1/10(日)にも開催します。
ご興味ある方はぜひ。

また、深川にある真宗大谷派光明寺で「お寺でデスカフェ」も開催します。
こちらは1/17(日)。
ご予約受付中です。


豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。