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二拠点なんて、どうかしている

 すべては、このツイートに、集約されるのだけれど。

 ほんとうに、どうかしている。

 正直、いまの自分の年収に照らしても、二拠点は割に合わない。ぜんぜんお金が貯まらない(副業のお仕事募集中)。

 身銭を切ってまで、なにをつなぎとめようとしているのだろうと、一瞬頭をよぎるが、すぐに「ああそうだ」と思い出す。

 たいせつなものを、たいせつにし続けたいから。

 鹿児島に引っ越さず、ずっと北海道にいればよかったとは思わない。

 たまたま、お金のかかるような状況で、なんとか保とうとしているから「どうかしている」と思うのだ。

 ちなみに、好きなものや人と、ずっと近くにいたいと思うのは、多数派なのだろうか。

 わたしは、適度に距離があるほうが、相手を好きでいられることのほうが多い。

 人との関係性において「傷つきたくない」と自己防衛するのは本能だし、逃げではないと、わたしは思っている。

 一方で、「もっと本音でぶつかりあえよ!」「傷つくことを恐れるな!」と威勢よく謳う人の根拠も、分からないでもない。

 ただ、わたしにとって「適度な距離感」は、傷つく・傷つけるという話とは、またちがう土台の話で。

 たいせつなものを、たいせつにする作法として「適度な距離感を保つ」ことは、少なくともわたしにとっては重要な在り方だというだけ。

 もしかしたら、「片時も離れたくない」と頬を引っ付けて動きたくなくなるような、ひとや、ものや、場所が現れるかもしれない。

 いますでに出会っているひと、もの、場所に対して「もう2度と離さない」と、トレンディドラマの脚本家もひっくり返る、うそみたいなせりふを、心から発する日が、くるかもしれない。

 それはそれで、また新しいたからものができたあかしとして、素直に受け止めたい。

 「どうかしている」とあきれながらも、いまできる、たいせつなものをたいせつにする作法を、なんとか守り続けている自分への、ごほうびだと、ことほごうではないか。

 ところで、この「たいせつなもの」を、具体的な人の名前や、その人たちとの関係性や物理的な名詞を用いて表現せず「たいせつなもの」と一言でまとめることには、わたしなりの矜持がある。

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327字

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