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みてはいけないものを、みてしまった|映画『太陽の塔』
人生を変えてしまう、からだを貫く閃光のような出会いは、たいてい不意うちだ。
同時に、それらは偶然のようにやってくる。
ただ、その偶然を引き寄せているのは、実は偶然ではない。
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映画『太陽の塔』を観た。
1970年に開催された大阪万博。掲げられたスローガンは「人類の進歩と調和」だった。
映画は、それに対するアンチテーゼの象徴のようにつくられた「太陽の塔」を中心として、渦のように時間軸をめぐるドキュメンタリーだ。
80年代、「芸術は爆発だ!」という言葉で、一躍世間の注目を浴びた岡本太郎。「凡人の理解を超えた変わり者」というタレントのイメージもあるが、画家・写真家・彫刻家・建築家・思想家の顔を持ち、芸術家という言葉にはとうてい収まり切らないスケールの大きな人物だ。本作では岡本太郎に影響を受けた人々をはじめ、総勢29名へのインタビューを敢行。芸術論だけでなく、社会学・考古学・民俗学・哲学の結晶としての岡本太郎が語られ、「太陽の塔」に込められたメッセージを解き明かす。(映画『太陽の塔』公式サイトより)
「太陽の塔」は、いわずもがな、アーティスト•岡本太郎氏の作品。
2018年3月からは、長期で入れなかった塔の中が解放され、人数制限こそあれど一般公開されている。
この映画も、そのタイミングに合わせてつくられたという。
ドキュメンタリーは9つの切り口で展開される。
その4つ目「起源」というテーマのなかで「岡本太郎は日本人はどこから来たのかを探る旅に出た」というエピソードが語られる。
同時に、のちに彼の作品には欠かせなくなる縄文文化や、沖縄から北海道まで歩いて撮りためた写真や、映像が出てくる。
わたしはそのエピソードに差し掛かってから、映画が終わるまで、ほんとうに、ずっと、泣いていた。
涙ってこんなに流し続けられるんだと驚くくらい、はらはら涙がこぼれ続けた。
金縛りにあったように、からだは赤い座席シートに固まったまま、涙だけが、延々と、90分間くらい流れ続けた。
「観てしまった」と思った。
とうとう、足を踏み入れてしまった、と。
恐怖なのか、感動なのか、歓喜なのか、これという名前のない感情に、立ち尽くし、ぼうぜんとした。
映画を見終えたあと、なんの揺り戻しか分からないけれど、気分が悪くなって少し吐いた。
そして、電車に乗りながら、どうにかしてこのありあまる想いを伝えなければ、と思い、『太陽の塔』を撮った関根監督に長文メールを送りつけるという暴挙を働いた。
このnoteのなかで、いろいろ書いては消したのだが、やっぱり観終わったあとの生々しい叫びより適切な表現が出てこなかったので、そのまま転載する。
関根光才さま
はじめまして。突然のご連絡、失礼いたします。
わたしは、ふだん編集者をしている立花実咲と申します。
現在、北海道に住んでいる、どこにでもいる27歳です。
さきほど、本当に今しがた「太陽の塔」を観てきました。
もう、ほんとうに、なにをどう表現したらいいのか
この作品を、いま、ここで観ることができたことへの
戸惑いのようなものと感謝のようなものを、
どうしたらいいかわからなくて
ただ、この映画を作ってくださった監督に直接お伝えしたく、
正直失礼なことを申し上げてしまうかもしれないけれど不躾ながらメールをお送りさせていただきます。
わたしは生で「太陽の塔」を見たことはありません。岡本太郎氏がとりわけ大好き、というわけでもないですし、アーティストでもありません。
ただ、わたしがとても信頼している前職の上司が「立花さんは絶対見たほうがいい」と勧めてくれて
ウェブサイトであらすじを拝見したとき
「たしかに、なんとかして観なければいけない気がする」と直感し
東京にいるタイミングで映画を観に行きました。
ある意味、観てはいけないものだった、と思いました。
映画を観ながら、途中ほんとうに涙が止まらなくなって、嗚咽が漏れそうになったのは、初めてでした(他のお客様もいたのでこらえました)。
もともと文化人類学や民俗学の本は好きで、いろいろ読んでいました。
また演劇も好きで、進学とともに静岡から上京してから、観劇はもちろんアート作品の展示や、それこそChim↑pomの展示も何度か足を運んだりしていました。
大学では日本文学専攻のゼミにいながら比較文化学を学んでインドについて調べたりしていたのですが
これらの興味の根元には、こどものころから漠然と考えている「ふつうとは何か」という問いがあるのだと思っています。
それから「多様性」とか「分かり合えなさ」に興味が深まり、東京で編集者をしていたのですが
自ら進んで1年半前に、北海道の下川町という縁もゆかりもない町へ引っ越しました。
地域の生活文化を考えることと、アートの交差点はどこにあるのか
わたしはそこで何ができる/何をしたいのかを
ずっとずっと考えながら生きていて、いま、このタイミングで「太陽の塔」に出会いました。
ちょうど先日も、これまた信頼している別の方に
「いま関心のあることに対して突き抜けるぞ、と腹をくくれ」というようなことを言われ
自分なりに「ふつう」と「生活文化」そして「アート」の交差点を探そう、と決めたところで「太陽の塔」を観てしまったのでした。
……ふだん、言葉を扱う仕事をしていながら言いたいことの一割も、お伝えできている気がしないので、大変お恥ずかしいのですが
ただ
「太陽の塔」には
いまわたしが腹をくくることへの十分すぎる鼓舞と
また「いよいよもう戻れない」というような「この世界へ、ようこそ」と言われているような
そういう底なしの恐ろしさを感じるとともに
歓迎を受けているような気持ちになりました。
今もこのメールを書きながら
涙が出てしまうのですが
どうしても、監督へ一観客の声がお届けできたらと思い、メールをお送りさせていただきました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
いよいよ冬が来て寒くなる日々も多くなってくるかと存じますが、お身体どうぞご自愛くださいませ。
すてきな作品を、本当にありがとうございました。
このメールは、改行をいじったくらいで、ほぼそのまま。
昼下がりに突然送られてきた上記のような謎の興奮メッセージに対して、関根監督はその日のうちにとてもやさしいお返事をくださった(ありがたくてまた泣いた)。
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今までずっと、わたしは自分に正直に生きていると思っていた。
やりたいことは誰がなんと言おうとやるし、好きなことを大切にしてきた、つもりだった。
でも、どうしても、距離を測りかねて様子を伺っている世界が、あって。
いつもなんとなく気になるけれど、そこへ行っても自分は何ができるかなんて分からないし経験もないし実績もないし知識もアレもコレもないし……と、うじうじうじうじうじうじ言いながら、その世界を眺めていた。
けれど
何をしていても、どんなに満たされても
やっぱりその世界に戻ってきてしまうなら。
いろいろな経験と愛をもらって、それでも、何もかも捨ててもいいから飛び込みたいと思う世界があるなら
やっぱりその世界が、きっと、自分の居場所なのだと思う。
無いものを並べ立てて盾を作り「自分らしく生きている人ごっこ」をするのは、もう、おしまい、だ。
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人生を変えてしまう、からだを貫く閃光のような出会いは、たいてい不意うちだ。
同時に、それらは偶然のようにやってくる。
ただ、その偶然を引き寄せているのは、実は偶然ではない。
と、わたしは思う。
無駄なことなんて、本当に、一抹もない。
すべてが“いま、ここ”という物語への伏線だ。
偶然は、その伏線が呼び寄せた、過去の自分からの贈り物。
贈り物に気づくかどうかは、タイミングと、その人次第。
こんな背中の押され方をしてしまったら、もう、あとに退くわけにはいかない。
読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。