見出し画像

反転。

高2で演劇部に入るまで、習い事でピアノ教室に通ったり、中学校3年間は吹奏楽部でトランペットを吹いていた。

ところで、なんで吹く楽器だけ「やっていた」ではなく「吹いていた」と言いたくなるんだろう?ピアノ弾いてたんだよねーとは言わないのに。不思議だ。

ピアノと英会話は親が決めた習い事で、私本人にやりたいかどうかの確認はあったと思うけど、やりたくないとはっきり言えるほどその習い事について知らないので、説得されて通い始めた記憶がある。どちらも小学校入学前から始めて、ピアノは演劇部が忙しくなって辞めて、英会話は高校卒業まで続けていた。

だからといって、私が音楽を好きでいつづけられたかどうかは別の話だ。

吹奏楽部に入ってすぐ、みんなから無視されるようになった。私にも原因があったと思うけど、嫌われるわけでもなく、ただ存在を消される。慣れるまでは辛かった。3年生になってからも、そのころには特に下手ではなかったと思うけど、よく「空気の音しかしない」と聞こえるように陰口を言われた。吹奏楽をやっている人間にとって、楽器の音が鳴っていなくて空気の音しかしないと言われることはあってはならないことだ。金管バンドの小学生だって、言われたら悔しいだろう。それがどういう音かというと、プーという楽器の音よりも空気が通り抜けるがさがさした音のほうが強いときにそう言われる。

始めたばかりの1年生の頃は誰だってそうだが、3年生に言うのはそいつがよっぽど下手か、ただの嫌がらせでしかない。

譜面台とトランペットだけ持って廊下の端まで移動して、悪い気持ちに負けないように、ひとりで練習した。
ちゃんと音が前まで飛んでいた。
私の調子が良かったせいか、トロンボーンの子とフルートの子が一緒に練習してくれた。
あのとき3人で合わせて練習できたことは今でもたまに思い出す。

*

ピアノを習い始めて4年くらい経った頃、私は練習をしなくなった。リビングにあった白いアップライトピアノの蓋が開けられることはほとんどなくなっていた。

その状況に苛立った母が、あるとき壁に貼り紙をした。
「毎日1時間は練習すること!」
さすがに焦って、毎日ピアノを弾くようになったけど、母がとにかくうるさいのだ。
譜面を確認している少しの間弾かないでいるだけで怒られる。譜面を見ている振りをしてサボっていると言うのだ。今はそういうことは少なくなったが、そういうスイッチが入ると止められない人だった。

家族全員が揃っている狭いリビングで、ペダルをミュートにしたまま、母に監視されながらひたすらピアノを弾いた。そのうち耐えられなくなって、トイレに逃げ込んだ。
「いつまで入ってるの!早く出てきなさい!!」
トイレに入っている間は練習時間から引かれるという。逃げても無駄だった。
もう辞めさせると行って怒鳴り散らすので、私は泣きながらそれでいいと言った。
納得できず怒鳴りまくる母を他の家族が止めに入ってくれて、その日から練習時間はだんだんと減らされ、そしてようやく辞めることができたのだった。

あの頃の母は私になにを期待していたんだろう。
ピアニストにでもしたかったのだろうか。
そんな仕事に就かせたいタイプの親ではないはずだけど。

音楽を何年かやってきて、楽しかった思い出は本当に少ない。だから私はもう演奏はしたくない。
今でもそういう気持ちになることはあるけど、行動に移そうとは思わない。
鍵盤の前に座ると、あのときの気持ちが蘇るから。

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?