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最後のディズニー旅行 「また来年」はもう二度と来なかった #12

「1年以内にやりたいことはやっておきなさい」とお医者さんに言われたことで、私と母と弟の3人で東京ディズニーランドへ行くことに決めました。
私は仕事を平日に休めなかったので、旅行の日程は9月のシルバーウィークになりました。
シルバーウィークという言葉が使われ始めたのは、ちょうどこの年からだったと記憶しています。

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ディズニーランドのオープンチケットしか買えなかったので、朝8時にゲート前に並びました。入場制限で入れないかもしれないと思いましたが無事に入ることができて良かったです。

入場するとすぐに車椅子を借りに行きました。
ディズニーランドで車椅子を借りるのはもちろん初めてだったのですが、 特別な申請は何も必要ありませんでした。「ガンです」と伝えると、「今飲んでいる薬はありますか」と確認された程度です。

ディズニーランドで車椅子を借りると、ファストパスを持ってなくても、車椅子専用の特別レーンがあり長い列を並ばなくてもアトラクションに乗せてもらえます。
(*全てのアトラクションではありませんが。)

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家族3人で遊園地に来るのは初めてだったので、当時小学4年生だった弟はとても大はしゃぎでした。
私はディズニーランドが大好きで、何度か訪れた事があったので、園内マップを見なくても何がどこにあるかわかる程度になっていました。その知識が役に立って、アトラクションやレストラン、化粧室などスムーズに回ることができました。

9月といえどまだ気温はとても高く、半袖でもやや汗ばむ程度の気温。
ディズニーランドは海沿いなので、実は海からの風があたり乾燥するので、健康な大人でも相当体力を使います。
その日は入園者数も多かったです。
車椅子に乗っている母の目線は、ちょうど大人の人のお腹辺りですので、人混みの景色しか見えません。暑さと人混みで母は途中で気分が悪くなりました。私たちは救護室へ向かい、母を少し休憩させることにしました。
「一人で寝とくから、遊びに行っといで」と、言ってくれたので、私は弟を思い切り楽しませてあげたいと思いトゥーンタウンへ向かいました。 私はその日弟をものすごく甘やかしました。お菓子も買ってあげて、風船も買ってあげて、ジェットコースターも一緒に乗りました。
2時間ぐらいだったでしょうか。「そろそろママの所に戻ろう」と私が弟を促し、救護室まで走って競争しました。
起こすなり一言目、風船を見つけた母に「そんなん買ってどうすんの」と怒られました。
それも当然です。帰りは飛行機で帰る予定だったので、飛行機に乗るためには風船をしぼませないといけませんからね。。笑

ディズニーランドといえばエレクトリカルパレード。
みなさんご存知でしたか?パレードにも車椅子専用の観覧席があります。 原則車椅子に乗っている人と付き添いの人一人までという決まりがあるそうですので、母と弟は車椅子神様の観覧席に案内し、私は後ろの方に居ました。
もちろん私はパレードはほとんど見えませんでした 笑

その日はディズニーのパートナーホテルに泊まりました。本当はディズニーランドホテルのお部屋を用意してあげたかったのですが、残念ながら予算オーバーです。
帰る時に「来年はディズニーシーに行こな」って、3人で約束しました。

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母が亡くなったのは翌年5月。ディズニー旅行から8ヶ月後のことです。
「来年はディズニーシー」
その”来年”は二度と訪れない来年。

気づいたら弟も中学生高校生となり、私とはで歩くどころか目を見て話すこともあまりしてくれなくなりました。

弟は去年二十歳になりました。
さすがにまだ私と旅行は行ってくれないと思いますが、もう少し大人になったらまた家族旅行に出かけたいなと思います。
まぁ、ディズニーは行ってくれないでしょうね 笑

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もしあなたが今、目の前のことで精一杯になっていて、「また来年」と先延ばしにしていることがあれば、本当にそれは来年でいいのか、今一度立ち止まって考え直してみてください。
大切な人との時間は、いつ失われるかも分かりません。
全ての事を後悔なく人生を送ることはできないかもしれませんが、 「来年が必ず来る」ということが、当たり前ではないということを忘れないでください。

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次回 「もしもあの時保険があれば3」#13
保険に入っていたら、このディズニー旅行は、どんな風に変化していたでしょうか。

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