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夏の琵琶湖があまりにも「夏」だった

夏の琵琶湖があまりにも「夏」だった。憂鬱なほどに暑い日、その暑さを乗り越えた先には、「外に出てよかったなぁ」と思える景色に出会う。

「あまりにも夏」という言葉には、例えば、果てしなく続く入道雲や、太陽に照らされてキラキラ光る水面、容赦なく差し込んでくる強い日差し、木陰にいるとたまにふっと吹く風、外で食べるアイス、ゆらゆらと風にそよぐ稲穂、くっきりと空との境界を見せる山の稜線、強い日差しに顔を向けるヒマワリ……。そんな景色が思い浮かぶ。

田んぼに広がるヒマワリは夏の象徴。モクモクと広がる入道雲を添えて。

外に出たくない気持ちを奮い立たせて(今年の夏はほとんど引きこもりだ)、つかの間のドライブ。いつだって面倒なことを乗り越えた後には、「よかったなぁ」と思える景色に出会えるものだ。そんな、夏の滋賀のおでかけ記録です。

ラコリーナ近江八幡

ラコリーナ近江八幡を訪れるのはおそらく5回目くらい。訪れるたびに新しい施設ができていてただ巡るだけで楽しい。一面の緑の世界に暑さ対策のミストが霧のように出ていて「夏だなぁ」と思わせてくれる。
草におおわれた建物は、季節によってさまざまな装いを見せてくれるのが面白い。調べていると、草屋根や雪屋根、木枯れしなど、園内の草木が二十四節気を表現してくれているのだとか。また、違う季節に訪れたい。
ある建物のなかから、外の世界を見た時の明るさにびっくりした。どこまでも緑で、どこまでも青くて。天気がいいということは、たくさんの発見を見出してくれる。

シャーレ水ヶ浜

ずっと行ってみたかった場所。お盆だったのに(だったから?)人が少なくて並ばずに入れてラッキーだった。琵琶湖は海だったのか、と思うほどにまるで海沿いの街のような景色が広がる。
あるのは、湖のキラキラした水面、青い青い空、その境界線を引く入道雲だけ。ボーッと眺めているだけで琵琶湖の水面の揺れのように心が穏やかになっていく。
レアチーズケーキとアイスコーヒーを注文。テラス席だったけど、水面の冷やされた心地よい風が吹いていて、思ったよりも涼しい。家にこもりきりだった私は、久しぶりに外の風をじっくり感じた気がする。
お店を出る時、建物の中から見えた景色が忘れられない。まるで額縁に飾られた風景画のように完璧な景色。それぞれこの景色を見ながら何を考えているのだろうか、とふと思ったり。

琵琶湖をのぞむ

車の中からふと見えた景色に心を奪われる。こんなにも完璧に綺麗でいいのだろうか、と心配するほどに。私が画家であれば、木陰にいながら何時間も眺めてこの景色をそのままに描くだろう。
雲がうっすらと水面に映り、青一色だけじゃない、曖昧なグラデーションを描く。太陽の位置や風の吹き方、時間帯によって、目の前の景色は姿を変えるのだ。
琵琶湖は、場所によって全然違う。近江八幡あたりの琵琶湖がまるで海みたいに透き通ってて、また新しい琵琶湖の姿に出会えた。
夏も悪くないかもな、と一瞬だけ思えた日。きっと秋になれば、この日のことを少し懐かしくも切なく思い出すのだろう。
夏の一コマ、船が通り過ぎると、ゆるやかに波を打ち波紋が広がる姿が美しい。
アヒルが日向ぼっこをしたのちに、水に入っていく。透明な琵琶湖、潜ったらどのように見えるのだろう。

追記

話題になっていた「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。無性に滋賀が恋しくなるお話。私はいつかこの場所に住むかもしれないなぁという予感を味わいながら、京都へ帰路についた。

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