卒業制作展示 「私、わたし」 について
2024年2月1日(木) - 2月7日(水) 10:00~18:00
東京学芸大学 芸術館 ホール2F
まえがき
先日開催されていた卒業制作展で配布していた、制作を通して考えたことの文書の内容をアーカイブします。このページではレイアウトの関係で載せられなかった部分まで記載しておりますので、実際に手に取っていただけた方にもまた読んでいただけたら幸いです。でも頭でっかちにならなくても、絵の強さから伝わることは伝わるんだろうなと、自分の絵のことを信頼しているとそうも思います。そのため配布するというかたちを取って、鑑賞者のみなさんが読むか読まないか、読むにしてもタイミングを選べる、ということはよかったと思います ❄︎ ご来場いただいたみなさまに改めて心より感謝申し上げます。
前提として
私は、人間が思考を持つことを自ら認識できていることは、一動物の私たちからしたら恐怖なのではないかと考えている。その弱点と、分からないことへの恐怖の緩和のために、何かを信じる・確かめるという人間としての根源的な欲求があると思っている。
記録にはその手段としての意義があると思う。留める、残す、まず私自身が覚えておく。そうすることで報われる自分が居る。少なくとも私にとって、絵を描くという行為は、私が自分自身を生きるために必要なことなのである。世界と噛み合わない自分を殺さずに、自分自身を生きたい。私は、日々の感覚や感情やその過程を留めることによって、隅々まで自分自身を生きていきたいと思っている。
iconやキャラクターではなく、普遍的な人間という存在としての感情・その認知過程を受容することで人間であることを悦びたい。感情は外界と自身をつなげるものであり実存の証明である。描いているのは、私自身を通しているため勿論私の感情経験でもある。けれどそれは、すべての人間のもつ繊細さ・ヴァルネラビリティと共通しているところがあると感じているし、そうであって欲しいという願いでもある。顔という人間の感情表出の中核、そして生物が持つ生きるための機能の集中部分に寄ることで表情によって訴え、感情・実存の自覚を促している。
制作を通し考えたこと
自分を認知する過程で整理して捉えるために、高校の頃より「私」と「わたし」を自分の中で区別するようになった。「私」は身体・物理的で、社会的、外面的なイメージ。「わたし」は精神的、繊細、内面的なイメージ。二項に分けられるものではないかもしれないが、そう考えると、どちらの自分も許容しながら、外界と適合しない側面も殺さずに生きられるようになった。安心して、自分自身を誠実に生き抜くために、自分を確認する過程でなにかが生み出されていく。自然に表出されていく。
この感情も身体感覚があって感じることだろう、という仮定のもと、この作品はまず、「私」のもつ身体をしるしづけていくことから始まる。キャンバスの前に立ち、前に鏡を置き、自分の輪郭を確かめながら記す。このとき同じ身体構造を持つ人間という共同性に意識が及ぶ。外形をふちどり、写し身を線として白地に見たときには、身体と精神はどうつながっていてどう違っているのかということを考えずにはいられなかった。自分の身体がここに物理的に在ることを意識したら、この「わたし」はなんだ?と思った。普段自分が「自分」だと思える所以は、やはり身体のみにあるものではないのだろうと。同時に、どんなに乖離や葛藤を抱えていたとしても私は私だ、という意識も強まった。
続いて、普段描くのと同じ手順で左眼、右眼、輪郭、口、といったような顔を構成する要素を描いていく。表出される表情、線のストロークや腕の力の入り具合、そのようなことで自分の精神の状態や身体の状態が少しわかる。こうして描きあげられていくひとの存在にはどこか「わたし」を感じる。そのように、時々は自分の身体の影を落として色を重ねたり、また顔にその時々の色合いや意志を重ねたりしながら、身体と精神との意識を反復し巡りながら制作した。
制作を通し、身体そのものを写す効果よりもやはり、顔を用いて表すことに興味があると感じた。先述したように、日々顔を用いて描く過程で自分の身体の状態がわかったり、表出された画面からも精神の状態がわかったり、みた景色や感じた空気感が含まれているのを確認することができる。無意識のうちに気になっていることや印象に残っていることがわかり、自覚の足がかりになることを再認識した。
いつからこのような心身二元論的な考え方を持っていたのか明瞭ではないが、記録としては2019年(高3)の春には既にどちらの表記も登場していた。今回文章をまとめるにあたり、改めて当時の日記やクロッキー帳を見返していたが、「私が私でありたい」という熱望が感じられる。人と関わり合うとき、ひとりで居るときとは違う自分が発現する。そのように変容し、現象しつづける自我のこと…理想と現実、精神と身体などが、乖離しているような感覚があった。自分とはなにかという不安定さがずっとあり、一貫した存在であることを渇望していた。
高校生当時の言葉で記すと「すべてがわからなかったからすべて描いていた」。クロッキーの量はかなり多かった。画面の話では、モチーフを選ぶことも難しく感じていて、まず何を伝えたい・表したいのか、そしてその表したい雰囲気や感覚を表現するために、要素を詰めこみがちだった。でもいつしか気付いた、「私がいま生きていること。いま私たちここに居るよね!」という自覚・実存を確かめていくことが、安寧へのとば口なのではないかと。
きっかけを考えてみると、高校の頃、自画像の課題で自己存在を捉えようとすることにしっくりきたことや、クロッキーではなく自分なりにドローイングを沢山描き始めた頃に、(特定の人物やキャラクターではない)ひとのモチーフが多く登場したことなどがあげられると思う。今それらのドローイングを見ると、当時の感情の化身だったのだろうと感じる。
また、自由にどうぞといいながら要求する方向性があった教育環境…そのようなダブルバインド状態から抜け出して、外部の夏期講習≒環境も周りの人もあまり知らぬ(そして私を知らぬ)ところで、初めて自由に描けたときに、自分の感覚を持つような自分に近いひとが自然に表出されてきたように思う。(評価や人目を気にせずに描くってこういうことか、のびのびってこういうことね、みたいな。多面的な自分を知られてる訳でもないから、どんな表現が表出してもあまり恥ずかしくもない。それは今の自分の制作スタイルにも通じていると思う。)
昔から表したい(と記されていた)自然や、心、身体や、いま知覚している感情や感覚のすべて、そしてそのつながりが、今の画面では描けていると思う。もはや、表したいというよりも、自然と表出されてくる、鏡や日記や夢のようでもあると思う。しかしそこで自分の作品が面白いと思うのは、個人懐古的な抒情に収まりきらない、生や社会に対する闘いの体勢が感じられることである。「闘いの姿勢があるように見える」というのは友人が表してくれた言葉だが、考えるほどにしっくりきた。この世界で自分自身を生き抜くために確かに私は必死だ。絵の持つそのような体勢や眼差しは、私が経験してきたさまざまな感情体験や感覚に基づいているもので…私には私の絵しか描けないし、私は私しか生きられない、そういう当然のことを感じたり、この世界で自分を生き抜くのは、かなり難しいことなんだよなと思ったりする。
そしてひたひたと、絵はずっとまっすぐだということに気付いていた。みたものや感じたことが無意識に反映されていく。分断しているように感じる自分や容易く受容しがたいそれらの現実を、必死にコントロールするようにしなくても、絵はずっとまっすぐ「私・わたし」と対峙している。そうしてうつしだされてしまう。
それはもはや私自身ではないし、「私・わたし」だけのものではない。見られ、見る存在となる。多分いま、あなたと対峙している。絵画というものにおいて、この可能性の拡がりが私は好きだ。私たちは今、この社会に生きていて、どこか少しずつ、つながっている。其々の生活があり、些細な悩みや決断を数えるまでもなく繰り返してきたし、これからもそうして生きていくのだろう。その中で自己にどんな分断や多面性を感じていたとしても、私たちはひとりとして認識しあう。それはすごいことだと思う。
私が、わたしで、生きてきてよかった。
そうして最近思った。もしかしたら、「私」と「わたし」の距離が、絵を通して、認容されてゆき、距離が近くなっていくようにも感じる、と。それは見てくれる方々がいるからだろう。有難い。
この先の明日、半年後、数年後…これらのような考え方だってきっと変わっているのだろう。楽しみだ。つくりつづけているであろう私と、ぜひまた再会してほしい。
24.1.31
芹澤美咲
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『第72回 東京学芸大学美術科 卒業・修了制作展』
⚫︎会期
2024年2月1日(木) ー 2月7日(水)
10:00〜18:00
(入場は閉館30分前まで / 最終日16:00まで)
⚫︎場所
東京学芸大学 芸術館
〒184-8501 東京都小金井市貫井北町4丁目1−1
⚫︎アクセス
・中央線『国分寺駅』徒歩20分
北口より京王バス 5番のりば 武蔵小金井駅 行き「学芸大正門」降車
・中央線『武蔵小金井駅』徒歩25分
北口より京王バス 5番のりば 小平団地 または 国分寺駅 行き「学芸大正門」降車
https://tgu-sotsuten2023.jimdofree.com/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?