見出し画像

ちっぽけなわたし だから愛しいのだとおもったこと


今日はつぶやきのようなこと。

ぽつん


誰からも見えないかもしれない
こんなサイズのなかでも
満面な笑顔でいる


そんなちっぽけさが愛しいんだなと
我ながら思うのです。笑


一生懸命に真面目

そう言われると
どうも つまらないと言われているような
そんな気持ちになって
ちょっと落ち込んだり。

でも、なんだかんだ言って
真面目であろうとしてる。


前の仕事を辞めるときもそうでした。

大学に進学することを理由にして
それから 重症児のデイサービスを起業しようと
考えていました。


たしかに やりたいことではあった

けど、そういう大義名分がないと
辞めてはいけないような
そんな気持ちもどこかにあったのです。


幸せの形を
本当の意味で
創造できることをして役にたちたい

幸福感ってなんだろう

それを考えるときに
本当はわたしがいちばんそこに繋がれるのは
とても感覚的なことなのに

頭で考えるお勉強をしたり
社会制度の枠ですること以外は
"認められにくい"と思っていたから
そういう選択をしていたんじゃないかなあと
今は思うのです


自分のやりたいことを表現して
創造して届ける手段でしかないのに
その手段を狭い枠の中から選んでいた


働き方を変えて
余白をつくってみると
信じられないほどに
見える世界が変わりました


仕事は"こうでなければならない"の思考で
自分が違う方へ行きそうなのを
抑えるために
色々言い訳をしていたり


でも
やっぱり結局のところ
自分が求めていることを
全力でやって
それを誰かが喜んでくれることが
心の底から幸せだーと感じられて
生きてる実感が湧く
自分が満ち足りてて
溢れたものを
誰かが喜んでくれる
ただ消費していくんじゃない
循環のなかにいれること
それがわたしも、あなたも。

みんなが幸せになれることなんだよなあって


今はわたしが大好きな歌を歌って
それを聴いて癒されたと言われることが
素直に嬉しい


昔は
美紗は癒しキャラだね
って言われることも
面白くなくてそういうしかなかったんだな
なんていう風に思ってた

でも癒してくれる人が好きだったのに

どうしてわたしが言われると
素直にうけとれなかったのかな


癒しも一生懸命も真面目も

特別じゃなくて派手じゃない
それが良いってこともあるじゃないか

そんなちっぽけなわたしが愛しいんだなと
思ったのです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?