三島由紀夫 『にっぽん製』とアナログな恋愛
またまた三島由紀夫の作品を読みました。どうも私は、三島作品の中でも、恋愛に関するものが好きみたいです。
今回読んだのは『にっぽん製』。フランス・パリからの帰国便で出会った、境遇の違う男女の恋愛物語です。
なぜ三島作品の恋愛が好きなのか?
三島作品の恋愛ものを好んで読む傾向があるみたいです。『潮騒』や『憂国』(恋愛とは言えないかもしれないが)も、読んでいてとても好きになった作品です。
『潮騒』を読んだ時には、「自然描写に絡めた心情表現が好きなのかな?」と思っていました。ですが、そうではないみたいです。
三島作品の恋愛物が好きな理由、それはアナログな恋愛を見ることができるからです。この仮説が正しければ、昭和期を描いた恋愛小説はかなり好きなのかな?と思います。
時には可塑性がありません。それと同様に、文明にも可塑性はないと思います。戻るためには、全てを失わなければいけない。
例えば、この『にっぽん製』では、連絡手段として電話や手紙、葉書が登場します。今では、メールやLINEで事足りてしまいますが、これらの手段を通じてやりとりされる2人の心情に、一種のノスタルジーを覚えました。
「ああ、素敵だな」って。
手紙や電話だから、すぐに伝えられない。行き違いがあったりする。その不便さが、かえって愛情を強くする。そんな影響もあるのではないかな?と思いました。
印象に残った部分:洋行がえり
長編小説で、あらすじがかなり長くなるためかけませんが、印象に残った部分を紹介します。
最初に述べたように、この物語の主人公2人はパリに一定期間滞在していました。その女の方、美子(よしこ)は、パリに1年間いたこともあってか、かなり自由奔放な性格です。
これは恋愛においても発揮され、近づいては突き放すような行動を繰り返していました。
そんな彼女が、お相手 (パリで柔道の試合をした栗原)の試合を見に行った時のシーン。紆余曲折あって、劣勢だった栗原は持ち返し、試合に勝利します。
その時、こんなことを考えるのです。
『愛というものは、もっとギラギラした、南フランスやイタリアの太陽のようなものだと思っていたけれど、こんな単純な、素朴で、静かなものなのかしら』 と洋行がえりの彼女は洋行がえりらしいことを考えた。
フランスでも恋愛をした彼女が、いわば「にっぽん製」の愛について考えているように思われてなりませんでした。
このシーンから、もう一つ思い巡ったことがあるので、次のセクションでお話しします。
比較対象がないと、自分のことってわからない
フランス帰りの彼女たちの恋愛を描いた小説のタイトルが「にっぽん製」であることは、とても面白いなと感じました。
これは、日本ではない場所に身を置いたからこそわかる日本らしさを指摘しているのかな、と思いました。
自分のこともそうで、コンフォートゾーンではない場所に行って、自分と他を比べた時に、初めて「自分らしさ」が見える気がします。
おわりに
今回はあらすじ紹介もせず、あえて登場人物の紹介もせずに書いてみました。
今までは、小説を読んでも、その世界の中に潜り込むだけでしたが、だんだんと思索までできるようになってきました。
今日もこれから図書館に行ってきます。また新しい物語と出会えることが楽しみです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
また別の記事でお会いしましょう✨
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