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現代社会でSNSに求めること

note流行ってるしやるか!と思ったものの、前のブログからの移行が面倒でしばらく放置していたが、転職するにあたりしっかり自分の考えをまとめてアウトプットすることがしたいなと思い最近はかなりハイスピードで執筆している。あとやっぱり、文章を書くのが大好きだ。すごく楽しい。本当今思えば作文大会とか出ておけばよかったかなとも思うが、今からでも始められることなので作文大会について少しリサーチしてみようと思う。

noteを書いていて、ほかのSNSと違って面白いなと思ったことがある。

noteは他のSNSと何が違うか

instagramも長年してきたが、やはり自分と同じタグを使っている人の投稿を見に行くのは面白い。親近感もわきやすいし、なんだかついついスクロールしていろんな記事をみてしまう。

特にnoteで面白いなと思ったのは、他のSNSに比べ、その人の考えが書かれており人間性が見えることが多い。instagramは写真がメインで、そもそも投稿を発見するときも写真のサムネイルでしか投稿を見ないし、Twitterは文字制限がある。それに比べて文字を書くことを重視しつつ、ブログよりもSNSとしての”つながりやすさ”があるnoteは人と人とが結び付きやすい。

仕事術!みたいな投稿を読むことは少なくて、一般の人の日々のもやつきとか、思い浮かんだことを羅列しているエッセイや日記を読むのが好きだ。そしてたびたびコメントをする。失礼しております。

ふと思いついたことと題して書かれていることが、案外自分も考えたことがあることだったりするのが非常に面白いと思う。「好きと得意の違いってなんだろうな」とか「仕事のこんな些細なことでもつらくなる自分がいる」という話だったり。自分しかわからないのでは、と思っていたことでも共感してもらえるときがある。

現代社会の生きづらさ

社会の中で自分の職業、働き方、どこに住み、だれと付き合っていくかがかなり自由に選べるようになってきた。いわゆる「リベラル化」と言われる現象。私たちは自由になった代わりに、選択した結果は自己責任だといわれることが多くなった。どの企業を選んだのか、どのコミュニティに属したのか、すべてはあなたが決めたことでしょ?と突き放される側面がある。

生きづらさを感じている若者は多い。

転職は自由だし、お見合いはなくて自分で結婚を選べるし、自由だからいいじゃないかという目と、その社会の中で生きていきづらいと思う自分に挟まれ、自己嫌悪に陥る人が私の周りでも多くいる。私も仕事で悩んだときに、「どうして自分の周りには仕事を楽しんでいる人も、成功している人もいるのに私は何をしてもうまくいかないんだろう」と考えることもあった。転職活動をした今、あまりにも会社の数が多すぎるので、ある程度自分の希望で絞ったとしても無数に会社が存在し迷うこともある。

自由であればあるほど、人生におけるすべての選択は自分で選んだものになり、その結果は自分のすべてになってしまった気がしてしまうのだ。

そんな時代に必要なものは、無機質な情報ではないと思う。何度もnoteで書いているがインターネットは情報にあふれ、わからないことやHowToがすぐ調べられるようになった。冒頭でお話したように「もっと文章を書く仕事したかったな~」とつぶやいてしまえば、「じゃあ文章のレベルをあげる練習したらいい」「そういった仕事を探せばいい」となってしまう。なぜかというとそれがすぐに調べられる環境にあるからだ。

そんな現代を生きる私たちは、もちろん多くの情報をインプットし、自分のものに咀嚼して「私の意思」を持つことも大切だ。しかし、その考えた意思を発信する場所も大切だし、それを理解してくれたり意見をくれるフラットで広い心の場所が必要ではないかと思う。それが現代に必要なSNSの形であり、noteはその役割を果たしてくれる位置にいるのではと考えた。

SNSが進化した結果

もちろんinstagramで美しい写真や画像を見ることも好きだし、Twitterで面白いツイートを見たり、拡散されている情報を見て得るものもある。しかしそれぞれ人が考える時間をいうものを減らしてしまうとも思っている。バズるか、そうでないか、で基準を作ってしまいがちなのだ。

noteも商用のために利用している方もいるし、アクセス数を伸ばすために書き方を工夫したりすることもあるだろうが、自分の考えを書く場所としての役割が強く、そこが私は心地いいなあと思っている。なんとなく自分の書いたことが誰かに響くこともあれば、悩みを共有できる場合もある。その多くは文字数の限られたものであったり、写真の印象が左右するものでもなく、発信者の感じたままの言葉で綴られることが多い(もちろんnoteも読まれやすさがあるが)。

私たちがいま必要としているSNSは、自分がインプットの末考えたことを発信したすく、それを否定しがちな環境ではなく共感する人もちゃんといるコミュニティではないかと思う。そしてほかの人の考えも触れやすく、刺激や学びになる。情報源という文字ではなく、人が考えたものという血の通っている言葉だ

時代の中で何のためにSNSをするのか考える

SNSでインフルエンサーが活躍するようになった。「SNSとはバズったら成功」、「好きなことをしてお金を稼ぐためにPV数を稼げるものを書く」というものがやりがいであればいいが、それがSNSのすべてじゃないと私は感じる。

自分の好きなものや辛かったこと、今日ふと帰り道で美しいと思ったものを自由に発信できること。そしてそれが人の目に触れるかもしれない。さらに共感してくれたり、共感できる発信が見つかるかもしれないということを楽しめる場所。

歴史の中で人間は自由でない時間が長かった。思想や宗教、セクシュアリティ、人種によって発信できない時代があったからこそ、今の自由を生きづらくしてしまうのではなく、その自由の喜びを分かち合えるSNSというものがもっと広がっていってもいいのではと考えた。それがこのnoteという媒体のひとつではないだろうか。

こうした考えを発信できることも、素晴らしいことだと思う。もちろん、人を傷つけるような発信は控えたいし、そういったものは見ないようにするのも現代の社会を生きやすくするテクニックなのかもしれない。

sugi

作品づくりに使用させていただきます。毎年1作品は制作していきますので、よろしければあたたかく見守ってくださるとうれしいです。作品のオンライン販売もしております。