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宣誓。わたしは旗を持ちません。~戦わずして闘う人になろう~

みなさんこんばんは。
美沙です。

今回で10回目の更新になります。
本日はnote更新におけるひとつの節目の回としまして、題名の通り表現者としての今後のわたしの在り方・理想像を記事にまとめて「宣誓」という形で発表いたします。
最後までお付き合いいただけるととても嬉しいです。

この記事は次の3段落で構成されています。

先鋭化の方法

「わたしはどのように自身を先鋭化すべきか?」
カミングアウトから約9ヵ月間、中性モデルとして表現活動をしてきた中で常にこの命題と自問自答をしてきました。
ここで述べている先鋭化とは、"自分の色を出すこと・他の人にはない強みを出すこと"を意味しています。

これを探るために、影響力を持っている方・インフルエンサーの方々等を参考にしながら自分が発信をする際にも活かせるものがないか、勉強をさせていただきました。
自分はどういう発信者になりたいのか?
周りの人達からどのように見られたいのか?
わたしの持つメインの発信手段であるTwitterをどのように運用していくべきか?
発信者としての自身を確立するにあたって慎重に考え分析しながら、最近ようやくその答えが見えてきました。

「旗を持つこと」の功罪

Twitterにおける発信方法の中で一際目立っており、わたしの目を引いたのは次に並べるような方法でした。
①特定の事柄において「~は正しい/悪だ」等と断定する表現
②集団を大きく2つに分類し論じる表現
③暴言やスラング、語尾を極端に崩すなどした挑戦的な表現
④自身のエピソードや被害体験等を告白し、自身の主張に繋げたり誰かを罰しようとする表現

これら以外にも様々な表現方法が見受けられましたが、特に多かった4つを列挙しています。
共通していたのは、そのいずれもが"強い言葉・怒りの言葉"を使っていたということです。
とある界隈において誰かが発起人となり、声を上げることで多くの人を引き付けている。その様子から、わたしはこうした表現方法を「旗を持つこと」と呼ぶこととしました。

旗を持っている彼ら/彼女らが支持を集めている理由としては、「言いたくても言えないことを言ってくれる」という代弁者としての役割が強いと感じました。
自分もそう思っていた。
自分も同じ経験をしていた。
わたしには言えないことをあの人は言ってくれる。広く届けてくれる。
そうした存在に憧れたり、ヒーローのように思える気持ちも十分に理解できます。
「旗を持つ」表現方法における何よりの強みは、そういった高い求心力にあるのでしょう。
自身もしくは自身を含む集団としての大きな主張を投げかけ、急進的に世界に変革をもたらすことが出来る。
そういった点において、「旗を持つこと」には魅力的なメリットが存在していると言えます。

しかしながら、わたしはこのメリットを承知した上で本記事において「旗を持つこと」を真っ向から否定します。

改めてここに宣誓します。わたしは絶対に旗を持ちません。


一体なぜなのか。
──"自分には力がある。"
ひとたび旗を持ってしまえば容易く勘違いをしてしまうからです。
自分の心が歪んでしまうからです。
自分の言葉で他人が動く。強い言葉を使えば使うほど、何かに対して怒れば怒るほど反応が増える。
「そうか、こういうことを言えば皆わたしの言葉を聞いてくれるんだ…!」
それは歪な成功体験です。
でも味をしめてしまっているから繰り返す。
もっと、もっと。もっと聞いてほしい。反応が欲しい。
旗を掲げ、ここに集えと叫び、先導しようとする。
結果として視野は狭まり、頑なになり、自分自身を強烈に固定化してしまう。そこにあるのは悪意によって祭り上げられた哀れな生け贄の姿です。

次に起こるのは戦いです。
自身が従える集団・勢力を良しとしない他の者達との戦い。

強い言葉で誰かを非難したり、怒りの言葉をぶちまければ当然反発が生まれます。
言葉尻に噛み付かれたり、罵詈雑言を浴びせられたりするなどして論争が始まります。
論争だけで終わることが出来ればまだいいほうかもしれません。でもそんなことは稀でしょう。

想像してみてください。
自分はこの集団を率いているリーダーだ。
強い言葉と怒りの言葉を積み重ねることで集団を大きくしてきた。力を付けてきた。
そして今、目の前のこいつを何とかして打ち負かしたい。
──ふと手元を見れば、いつも持っている大きな旗がある。
そうだ。
"この旗で殴れば黙らせられるんじゃないか。"
"この先端で突き刺して痛い目でも見せてやれば少しは大人しくなるんじゃないか。"
歪な成功体験から導き出されるのは飛躍した発想です。でも思ってしまえば、実際の行動に移されるのも時間の問題です。
絶対にこうなる。間違いなくこうなります。

こんな展開、今まで色々な所で何度も見てきたじゃないですか。
いつまで繰り返すつもりなんですか。

言葉は本当に怖い。
目的はいつの間にかすり替わり、"発信すること"ではなくて"敵を探して戦うこと・相手を徹底的に叩き潰すこと"を始めてしまう。
だからダメなんです。旗を持ってしまったら絶対にダメなんです。

決して理不尽に憤るなというわけではありません。
しかしそれを"怒り"という形で表出することは表現者として絶対に間違った行いです。
そんなどこにでも転がっているようなオリジナリティの欠片もない武器で戦おうだなんてあまりにも矜持がない。
自身を表現者と誇るのならば、自分だけの言葉で語りなさい。自分だけの武器で"闘い"なさい。

わたしは希望を語りたい。

では一体どうすれば良いのか。
わたしが出した結論はいたってシンプルです。

わたしは希望を語ります。
わたしは理想を語ります。

それだけでいい。
わたしはこういう人間で、こういうことを感じて、こうやって生きていきたい。
こんな世界だったらわたしは嬉しい。幸せ。
そんな世界で、あなたと一緒に生きていきたい。

望みを語る。語り続ける。
誰かの心に刺さるような強い言葉は言えないかもしれない。
でも、共感してくれた人が1人でもいてくれれば、その人と一緒に少しずつ輪を広げていきたい。

自分自身が中心であるという点においては、「旗を持つ」表現方法と同じかもしれない。
でもわたしは、自分の要求を声高には叫ばない。
だって、わたしとあなたは違うから。
この世界は自分のためだけにあるわけではないことを理解した上で、それでもあなたと一緒に生きるための最適解を探す営みが必要だから。
そして、本当の問題定義は自分から発信するものではなくて、自身の外側から湧き出てくるもの。
わたしはそう信じています。
こんな人もいるんだ、って浅いレベルでもいいからまずは知ってもらうこと。それが何よりも大切。
わたしも含めて各々が自身の周りを見渡した時に、
「こういった状況はあの人が困るかもしれない。」
「ここを改善するとあの子がもっと生きやすくなるかもしれない。」
そう気づくことができれば、そしてその気づきが増えていけば、皆の力で世界は変わっていく。

楽しい、嬉しい、幸せ。
この感情達を武器にわたしは闘いたい。
遠回りでもいい。ゆっくりと、緩やかに世界を形作っていく。わたしはそういう発信がしたい。

この決意を現実のものにするために、わたしは今大きく2つのプロジェクトに取り組んでいます。
口で言うことはとても簡単で、それに対して行動することの難しさを肌で感じながら頑張っています。ぜひ、公表を楽しみにしてください。
今後はわたしの"言うこと"はもちろん、"為すこと"についても注目していただき見守っていただけるととても嬉しいです。

よろしくお願いいたします。
頑張ります。


美沙

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