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12月31日 生きるためのプチ自殺:お風呂ぶくぶく法

 私は「自分が生きてていいのか」を確かめずにはいられない。そうしないと生きていけない。それを私はプチ自殺って呼ぶことにした。かわいいから。単に自傷行為でしょって言われちゃうかもしれないけど、違うのだ。脳みそが「お前は罪人だ。死ななければいけない」信号を出すから、生きていたい私はその確認のために、首吊りをしたり線路で立ち止まったりをする。
 だから自傷じゃなくて体は死のうとしているけど本当の私の心は生きていたいからプチ自殺して生きながらえている。自殺って言っておきながら死んでないけどね。語呂がいいしかわいいからいいじゃん。自傷だと危機感が足りない気がするし自殺未遂だとそこまでいってないじゃんだから、そんな細かいこと気にしないでプチ自殺って呼ばせてね。
 そんなこんなで、今日は新しい生きるためのプチ自殺に出会った。とても簡単でお金も全然かからないよ。お風呂のなかにぶくぶくと顔まで全部浸かって息を止めるだけ。苦しくなって、生きたいってなったら私は生きてていい。苦しくてもその罪は許されないとなったら生きてちゃダメ。そこで死ぬ。とっても簡単でいい方法だった。なんだかすっきりするし。おそらくすっきりするのは、図らずとも私の苦手な深呼吸がこのプチ自殺でできているからだと思う。体にも負担がないしお金もかからないしとてもいいのでこれからはこれでやってきたい。

 首吊りはやると、生きているのが許されても頭が痛くなるし体がずっと重くなる。しかも普通に匙加減間違えたら死ぬ感じがある。割とすぐに死ねそうなので、生きていくためのプチ自殺として使ってたけど割としんどい感じだった。

 線路に突っ立っている方法は、生きているのが許されている場合は全然何も跡が残らないのでいい。でも、生きているのが許されなかった場合は電車に轢かれるので非常に周りの人に迷惑をかけてしまう。だから線路に立つ方法を取るときは、すでにもう生きてていいってわかってる時にやってる場合が多いので、全く意味のない行為だとこの文章を書いてて思った。

 リストカットはそれで死ぬのはまじで難しいってわかってるけどでもやらずにはいられないときがある。生きている罪を償うために、「私は自分が罪深い人間で生きていてごめんなさい」ってわかるためにやらざるをえない場合が多い。私の場合は切るところを見定めて、一回サクッとよく切れるカミソリで切るだけ。ぷしゅーと出てくる血を見ると、「生きてていいんだな」って許された気がする。私は私の罪を理解してそれを償えるって安心できる。これはプチ自殺じゃなくて、ただのリラクゼーション的な何か。でも傷跡が残って汚いのであまりやりたくない。切った後は赤黒くて可愛いんだけど、だんだん茶色くなっていく過程を見るのが嫌で、かわいい傷跡を作るためにまた切るっているのもやってた時期もあった。高校生の時はリスカしないと学校に行っちゃダメっていう強迫観念に取り憑かれて毎日やってた。許されたかった。

 オーバードーズはプチ自殺には含まれない。これは自殺未遂だと思う。薬をたくさん飲まないと死んでしまうっていうあべこべな強迫観念に取り憑かれた時にやってしまう。これは死なないし、体に本当に悪くて負担がかかるだけなので普通はやらない。スイッチが入っちゃった時だけしかやらないからプチ自殺には入らない。

 なんだか書いていたら横道に逸れちゃった。とにかくお風呂でぶくぶくプチ自殺は後に体に負担がなくて気に入ったので、これから生きていくのに使えると思って他のと比べて文章にしてみた。おわり。

 さて、いつもの日記。今日は23時半に寝て、1回2時に中途覚醒し、4時に起きた。4時に起きた後全身がものすごい倦怠感で何もする気になれず、ずっとぼーとしてた。1時間くらいそうした後、いつの間にか30分くらい寝てた。体が重たくて動けない。なので朝のルーティンのヨガや洗顔、歯磨き、スキンケアはできなかった。でも、なんとか朝ごはんは食べようとシチューとコーヒーを摂取した。
 その後も体が動かず、何もする気になれないのでピアノの曲を流してただ横たわることしかできなかった。

 夜になり彼が年納めのご飯としてブリしゃぶとうなぎご飯を作ってくれた。とってもおいしかった。

 体は正直で、おいしいものを食べたらなんとかお風呂に入れそうなくらいまでには体が動かせるようになった。それで今日ながながと書いたお風呂ぶくぶくプチ自殺を思いついたのだ。そしてなんとか文章にして書き留めた。おやすみなさい。みなさま良いお年を!また来年も怪奇文章を書き続けますのでよろしくお願いします。ではまた。


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