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夏の思い出を四角柱のなかの丸のなかのあなたへ

文章を書くのは、少しくらい疲れているときがいい。

たとえば、風変わりな夢のあと、宅配のチャイムで跳び起きた朝くらいの眠たさで、ズボンの片側に両脚をつっこんでしまうくらいの。

たとえば、お昼どき、身体は栄養を欲しているのに、甘いケーキしか食べたくないような気分のときくらいの。

それでも、ちょうど買い忘れていたとろろ昆布とカツオ節が実家から送られてきたことや、夕立に遭ったとき、ちょうどよく屋根付きのバス停で雨宿りできたことに「ラッキー」と思えるくらいの余裕があるとき。
そう、それくらいがちょうどいい。

夕立を含んで心ばかり冷やされた晩夏の空気が、バス停の屋根のかたちを底辺としたいびつな四角柱をつくって、私を優しく閉じ込めている。

足元ではね返る夕立は思ったより冷たくて、さびきった四角柱の天井に向かって小さく感謝のウインクをした。

雨に包まれた四角柱のなかに、閉じ込められた私。その身体のなかには、もう一人閉じ込められた存在がいて、きっと彼は今、私の子宮の丸い天井を見上げている。

もう少し、夕立がやむまではここにいよう。四角柱のなかの空気は思ったより美味しい。

あなたももう少し、私の丸のなかで、ゆっくりしていってね。


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