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80%の力で充分だよ

私のステータスは「頑張ること」だった。
手を抜きたくない、頑張っていたら認められる、それが私の取り柄だから。
ほぼ強迫観念に近いぐらい、いつも追い詰めていた。

なんの仕事をしていても、初めからトップスピードで進んでしまう。
それはみんなに早く追いつきたいから。置いていかれる気がするから。
同じレベルになれば、仲間になれると思ったから。

そうして突き進んでいくと、確かに認められるし仲間になれる。
「ほんと物覚えがいいね〜」と褒められるし、「早くて助かるよ」と声をかけられる。
でもその代償として、自分に負担や我慢を強いていた。

仕事中はとにかく集中。ちょっとしたことにも気づくし、処理能力も早い。
あまりやりたくない仕事も我慢して、とにかく真面目に頑張る。
家に帰れば、そのフル回転させた頭を家事モードに切り替え、家のことをささっと済ませる。
家にいる間は、睡眠時間を確保したいからどうしてもタイムアタックになってしまう。
そうすると、自分を労わる時間がいつのまにか無くなっていた。

どの職場でも、かれこれ3ヶ月経つと疲れがどっとくる。
朝起きられなくなって、欠勤が続く。
電話が苦手だから、勇気を振り絞ってメールで連絡するけど、
もう限界になったら無断で眠り込む。
自己嫌悪に陥って、求人サイトを漁る日々。
なんでいつもこうなるんだろうな、と泣きながら、夢の世界に逃げ込む。

自分が繊細な人間だと自覚してからも、なかなかすぐには染みついたものを軽くすることができなくて、やっぱり寝込む日も出てくる。
1ヶ月ほど休んで復帰したある日、会社の人に謝罪とこれからも頑張りますメールを送った。
普段はなかなか会話を交わす機会のない方から、こんな返信をもらった。

「自分の幸せのために仕事をするんだから、無理する必要はない。
 100%で仕事をすると大変だから、80%の力で充分だよ。」

はっと気付かされた。
私はなんのために仕事をしていたのか。
そして、私がいつも100%以上に仕事していたのを知っていたのか。
かけられた言葉の衝撃と温もりを感じて、思わず涙が出そうになった。
無理して我慢して、常に全力で頑張り続けていたら、仕事をする目的を見失っていた。

自分の幸せのため、そんなこと考えたことがなかった。
自分にとっての幸せがなんなのかもわからなかった。
その日は家に帰ってから、ずっと幸せを考えていた。
そしてたどり着いたのは、「たぶん、無理しない程度に好きなことに力を注いで、笑顔で生きること」だった。
「たぶん」がついているのは、自分のことなのに確信が持てないから。
きっとこの幸せを意識して生きていたら、「たぶん」が外れていくと思う。

自分の幸せのために仕事をする、と気づいても上手くはいかない。
どうしても頑張りすぎてしまうし、その反動も大きい。
80%がどのくらいなのか、というよりまだこれが100%だと思っていないから、ついついやってしまう。
もっと器用に頑張りを調整できたらいいのだけれど、これは私の気質だから仕方がない。
だから、また疲れ切ってしまった時は、かけられたあの言葉を思い出すようにしている。

いつか、自分と同じ状態の人に、自分からあの言葉をかけられるように。
そして、自分は幸せのために80%の力で仕事していると、伝えられるように。

miru

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