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救世主はぬいぐるみ

いつだって、疲れた時は癒しを求める。
朝、日向ぼっこしながら読書する時間。
午後、コーヒーを1杯入れてゆっくり飲む時間。
夜、寝る前にストレッチしながら自分を労わる時間。
体を労わることはできても、心を労わることは難しかったりする。
たとえ時間があっても、心底落ち着けたと思えるときは少ない。

昔からぬいぐるみに囲まれて生きてきた。
母の収集癖も相まって、欲しいと思ったぬいぐるみはだいたい買ってもらえたような気がする。
ソファーにもベッドにも、本棚にも玄関にも。
とにかく色んなぬいぐるみが家には溢れていた。

母は弟につきっきりだったから、私の遊び相手はぬいぐるみだった。
今日学校で何したの?と聞かれても、いつも通りだよと答えてしまう私は、
ぬいぐるみだけには今日あった出来事を話したり、ぬいぐるみたちで再現していた。
弟と遊んであげるときは、だいたいお人形と電車、車を組み合わせてごっこ遊びしていたから、一人でいるときもついごっこ遊びしてしまう。
でも、このぬいぐるみに自分の思いをのせて演じてもらうことで、自分の中で物事に方をつけていたのかもしれない。
一人で考えるだけでは、人に話すだけでは、解消されないもやもやしたことを、ぬいぐるみだけは受け止めてくれた。
彼らの問題にして自分は客観視することで、自然と思考の整理ができたのかもしれない。
子供ながらに色々苦労していたんだなと思わされる。

大人になってもその癖はあるようで、
夫と過ごす夜は、ついついぬいぐるみたちを会社の人間に見立てて、
今日あった出来事や自分の思いを代弁してもらう。
もやっとしたこと、イライラしたこと、嬉しかったこと...
お互いぬいぐるみに気持ちを託すことで、愚痴っぽくならずに今日を共有することができる。

そんなぬいぐるみたちによる今日のハイライトも、忙しくなると疲れ切ってできなくなる。
意外にも体力を使うし、セリフを考える必要があるから、余力がないと成立しない遊びである。
そのうちに、今日の出来事を自分の中で整理する余裕も時間も無くなって、心が疲弊していった。

疲れているときこそ、ぬいぐるみを求めてしまう。
もう十分家には溢れかえっているのに、新たな仲間を探しにIKEAへ行く。
そこで見つけた、1匹のうさぎのぬいぐるみ。
可愛らしいまんまるフォルムは、見てるだけで癒される。
うさぎを飼ってみたいと思ってうさぎカフェに行く程うさぎ好きな私は、一目惚れでその子を迎え入れた。

このうさちゃん、ただのぬいぐるみではない。
なんとお腹の中にライトが入っていて、押すとぽわっと明るく光る。
柔らかな光を眺めていると、不思議と心も体もほぐれてくる。
実は、本来は子供が夜暗くて眠れない時に、この温かい光がまるでお母さんのお腹の中にいるような気持ちにさせてくれて、そのまま安眠できるよ!というグッズ。
大人の私が使っても同じような感覚になるなんて...心の中ではこの温かさをずっと求めていたんだなと気付かされた。
いつだって、お母さんの温かさに甘えたくなるんだなと。

さすがに毎日抱いて眠るのは恥ずかしいので、疲れたときに抱いて光を眺めながらのんびり夫と話すようにしている。
優しい気持ちになれるから、その間だけは自然と愚痴や不満を言うこともない。

いくつになってもぬいぐるみを持っていると、「子供っぽい」とか思われるかもしれない。
でも、大人にだってやすらぎは必要だ。
子供の頃に感じた温かさや優しさは、大人の私たちにも大切で、ずっと持ち続けたい柔らかな感情。
それに、ぬいぐるみが気持ちを代弁してくれることで、自分の気持ちを整えることができる。
いらない雑貨と言われても、私にとっては家族のような宝物。

miru

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