「私は優しくない」という思い込み 自分が嫌いな人へ


人を気遣うとき

真の優しさからではなく、
○○すると申し訳ないから…という

罪の意識によって優しくしていると思ってた

自分の中に真の愛はないと
無意識に思い込んでいた

だって、周りを見ると

自分よりも真の優しさを持ってる人がいるように見えてたから


でも自分の中の愛を発見できた

それは簡単だった  単に見方を変えただけ

例えば

忙しいときに、バイトを休むのが申し訳ない
という気持ち

これって、「愛」じゃなくて「罪」の意識

バイトを休むことによって責められたくないとか
嫌われたくないとか

だから、なるべく休まないようにする

それって、真の優しさじゃないよね

今まではそう思っていた
そんな、優しくない自分が嫌いだった

でも、もうひとつの事実を見つけた

自分がバイトを休むことで、

他の人を忙しくさせたくない

心と体をすり減らして欲しくない

1人の人員でそんなに変わらないとは思うけど、

自分が出ることによって

少しでも負担を軽減したい

この思いは、偽善でも綺麗事でもない

紛れもない事実だった


この気持ちって、「いたわり」だった

そこに温かい「愛」がある

それに気がついた

確かに、「罪」の意識もある

でも、「愛」もあるじゃん

両方とも自分の中の事実だった

だから、もう自分を責めなくていい

私の中にちゃんと愛はある

もちろん私だけじゃない

全人類、全生物、全地球、全宇宙

愛でできてる

忘れないように

この記事が参加している募集

#私は私のここがすき

15,722件

#今こんな気分

75,900件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?