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ハルキスト とは呼ばないらしい。

急激に、春樹めいている。

たまたま、
他人にむかって、村上春樹をレクチャーするという機会が訪れたのだ。

おまけに、また偶然にも、別の場で、
若者が村上春樹の作品分析をするプレゼンをきいた。

一人の作家の作品を、集中的に丁寧に読むと、
やはりなにか見えてくるものがあって、
面白くなってしまうものだ。

村上春樹のレクチャーを他人にするなんて、
なんて、おかしな経験だろうと思いながら、
それも一つ、
自分にとっての貴重な経験だと感じた。

というのも、村上春樹や、吉本ばなな(敬称略)あたりは、ほんとうに個人的に好きで、
個人的に密やかに読みたいという気持ちがあるからだ。

個人的な経験、内部の経験にとどめておきたくて、
あえて〈研究〉の材料にしたくないというか。

人にあまり語りたくないのね。

公のものとして解説する行為や分析する行為は、
だんだん理屈っぽくなって、
逆に分かりやすく整理するため、
またその論理を証拠立てるために、
切り捨てなきゃいけないものも出てきて、
ある意味、乱暴な読みになってくるから。


でも、今回やってみてわかったのは、
若者は案外、それでも、村上春樹を読んでいないということ。
(本好きの若者は別としてね)。

もったいない!と、アピールしまくり。

内心、そんな自分に「なんじゃこりゃあ」と、松田優作みたいに叫びながら、
丁寧に作家を説明。


そして、オフの時間に、
半年前に、空港の書店でなんとはなしに買ってみた『騎士団長殺し』1巻を読みはじめたら、あれよあれよという間に、するする読めてしまった。

前回、読み始めたときは、主人公が二人の人妻とごく自然と不倫するという一節で、早くも本を閉じてしまった。
「なぜ、村上春樹の主人公は、いつも簡単に女と寝るんだ!またか!」
と、単純にイラっとしたのだった。

これじゃあ、村上春樹を楽しめないわな。

そういう素朴なリアリティーや倫理を問う行為は、脇に置いておいて、
まず雰囲気を味わうほうが、いいのかも。

今回、意識的に読み直したら、
それはストーリーに必要な設定だったと理解したから、咀嚼できた。

村上作品の貞操観念に関しては、
逆に、その抵抗感のなさ、なめらかさが特徴的で、他者との関係性において、
意味をもってくると感じた。

まだ1巻しか読んでないから、
この先どんな展開になるか、楽しみだ。

打ちのめされた主人公が、
冷静に対処しているようで、
手探りで、
自分のリズムを取り戻すまでの動きとその心理が、
ああ、なるほど、村上春樹の主人公ってこうだったわーとまた懐かしく、、、。

個性や癖、こだわりはあるものの、
きわめて自然で、わざとらしくない、
人間的な主人公の受け止め方。

特殊な仕事をしてるけど、
全体としてみたら、平凡な僕の穏やかな日常に、
入り込んでくる不協和音。

そして、奇妙な出来事。

忍耐力を試されながら、時に大胆さと勇気を試されながら、
主人公はそれらの出来事を乗り越えていく。

今回気づいたこと。

ずっと、ただの作家の趣味趣向だと思っていた、主人公のライフスタイルが、
じつは、大切な要素なのではないか?ということ。

食事や家事、服装、お酒、
普段聴いている音楽など。

平凡なんだけど、
一定のリズムと少しのこだわりがあり、
それが主人公を守ってくれてるし、
どんな場所にいこうと、
彼ららしさを保ってくれる要素ではないか?と感じた。

ルーティーンではないけど、
この習慣をすると、
余所の土地でも、
自分の居場所としてのプライベートスペースに代わるような。

若い頃は、村上春樹の主人公たちのライフスタイルが、ただただおしゃれげで、
雑なつくりの大衆的生活しか知らない私は、
無意識に反感を感じたものだった。

サラダを作るために、新鮮なレタスをデパートの地下の食料品売り場に買いにいく、とかね。

ジャズを聴きながら、パスタを茹でるとかね。

みんな、ほんと、そんなことしてる???って。

でも、大人になった今は、自然に読めるんだよね。
いまや、日本人の生活も、その程度に西洋化してるからかもしれない。

食や衣服、音楽などの趣味趣向が、
たぶん、主人公たちを守ってくれてるんだとおもう。じみーに、底辺で。

村上春樹は、マラソンが趣味だというが、
なるほど、と今回は、なんだか納得した。

辛さに耐えるときの主人公の、
自分との対話や、
自分の心身への自己分析などが、
長距離ランナーが走ってるときのそれに似てる。


この生活習慣とマラソン的な感覚への気づきは、
作品を離れて、
具体的な生活のヒントになった。

実際、私たちの現実の日々においても、
なにかに巻き込まれ、追い込まれ、
非日常的な状態になってしまった時、
案外、自分を守ってくれるのは、
自分の好きな生活習慣や趣味だったり、
体の感覚、体と心の導き方だったりするのかも、と。

非常事態にあっても、
お気に入りの腕時計をしていれば、
それをみて、自分を取り戻せる、とかね。

常に最善の選択をしなければならないプレッシャーのなか、
鞄に入れてあったマスコットを触ったら、
なんとなく、落ち着いたとかね。

村上春樹とその作品への考察は、
これからも、ぽつりぽつりと続けていきたい。


ちなみに、本当のファンは、

もはや「ハルキスト」は使わないらしい。

村上主義(むらかみしゅぎ)と呼ぶとのこと。

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