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浦上の秘密教会堂跡をめぐる

 先日、散歩を兼ねてキリシタンゆかりの地を訪ねて、浦上天主堂のある長崎市浦上地区へ出かけました。浦上のキリシタンの歴史をひもとけば、織田信長、豊臣秀吉の時代にまでさかのぼります。当時、浦上の村人は、ほとんどがキリスト教の信徒であったと伝えられており、江戸から明治へと時代が移り変わるなかで、密かな信仰と同時に、激しい迫害の歴史をたどりました。今回は、特に幕末・明治にスポットをあててご紹介します。

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浦上地区のカトリック教徒の信仰を集める浦上天主堂

 江戸時代、表向きには寺の檀家となりながら、地下組織をつくってキリスト教の信仰を守り続けた浦上の信徒たち。幕末になると日本は、函館、横浜、長崎を開港。以来、居留地に暮らす外国人の宗教の自由は尊重されましたが、日本人のキリスト教の禁令は続きました。そうしたなか、1865年、居留地に大浦天主堂が完成。浦上の信徒は250年におよぶ沈黙をやぶり、大浦天主堂のプチジャン神父に自分たちが信徒であることを告げたのでした。これが、「信徒発見」といわれる出来事で、遠くヨーロッパへも驚きと感動をもって伝えられたそうです。
 しかし、「信徒発見」後も禁令は続き、浦上の信徒たちは密かに4つの秘密教会を設け、大浦天主堂から神父を迎え、洗礼を受けるなどしていました。4つ教会というのは、「聖フランシスコ・ザベリオ堂」(橋口町)、「聖ヨゼフ堂」(辻町)、「聖マリア堂」(辻町)、「サンタ・クララ教会」(大橋町)。それぞれ、なだらかな起伏が続く浦上地区に点在しています。浦上地区は、現在は閑静な住宅街が広がっていますが、当時は農村地帯で田畑の景色が続いていたそうです。

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聖ヨゼフ堂跡(お告げのマリア十字修道院内)

 秘密教会のひとつ「サンタ・クララ教会」(建立年不明)の記念碑があるのは、大橋電停そばの国道206号線沿い。ここは、江戸時代初めにポルトガル船の船員たちの寄附によって、大きな教会が建立されたところです。禁教令によって破壊された後も、信徒たちは夏になるとこの場所に集まり、盆踊りと称して祈りを唱えていたというエピソードが残されています。

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幹線道路脇に建つサンタ・クララ教会跡碑

 こうした秘密教会が一斉に摘発されたのが1867年(慶応3)の3月のこと。のちに「4番崩れ」といわれる出来事です。「崩れ」とは、潜伏キリシタンの組織が見つかり、組織が崩れることをいいます。「4番崩れ」でとらえられた信徒たちは、翌年からスタートした明治政府によって、約3,400人もの人々が名古屋以西の22カ所に配流されました。この処分のことを、浦上の信徒たちは「旅」と称したそうです。
 信徒たちは、「旅」先で、重労働や拷問を受け、命を落とした人も大勢いました。しかし、時代は大きな変化を迎えていました。近代化をはかろうとする明治政府は、アメリカ、そしてイギリスやベルギーからもこの信仰弾圧を批判されます。そうして1873年(明治6)、長きにわたった禁教が解かれ、「旅」へ出た人々は、ようやく浦上へもどってきました。辻町の高台には、「十字架山」といわれる公式巡礼地(1950年ローマ教皇指定)があります。ここは、故郷へ帰った信徒たちによって築造された場所です。信仰を貫けたことへの感謝の気持ちと、心ならずも踏み絵を行ったことなどの贖罪をあらわす聖地として、いまも巡礼者が絶えません。

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静かで神聖な空気が漂う十字架山
株式会社みろく屋
 みろくやは長崎のソウルフードであるちゃんぽん・皿うどんを代表商品として、長崎の「おいしい」を全国に向けて発信している企業です。
「おいしい笑顔」は「幸せな笑顔」。私たちはお客様の「おいしい笑顔」のために日々努力し、前進し続けてまいります。
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