見出し画像

企業と正義

企業が起こす不祥事は後を絶ちません。不祥事を抑制する手段の一つが、法令遵守(コンプライアンス)の徹底です。

しかし、厳しい法令遵守による制限規制は、企業の不祥事を抑制することはできますが、それと引換に企業間の競争力を低下させ、市場活力が奪われてしまいます。これは経済学的にそして歴史的にも証明されている事実です。

厳しい規制による企業活動の抑制は、企業は何のために存在するのかという企業存在の正当性を問う根本的問題を浮かび上がらせます。もし企業が競争の末に利潤を一円でも高く上げることが原因となって不祥事を起こしてしまうのであれば、法による企業活動の監視、指導、制裁は当然施行していかなければなりません。

その結果、ビジネス界の競争力が落ちるならば、企業は労働力の削減といったコストカットを自主的に行い、ビジネス機会の撤退をも視野に入れた最悪のケースに備えることも必要です。それに伴って物やサービスの質が低下していくのであれば、企業は法による抑制ではなく、自らの努力で不祥事を防止し、企業存在における経営方針の正当性を社会に示すことが必要となります。

そのために企業は自浄作用の働く組織にしていく必要があります。その自浄作用を促すためには、「如何に正義感と社会的義務感を持って会社を倫理的に経営していくか」ということを自覚したビジネスの実践が必要です。

問題を隠蔽したり、過度な利益追求をしたために不祥事を起こす企業は、正義と義務感の自覚が欠如しています。では、企業の正義とは一体何を指すのでしょうか。

正義には以下の三つが考えられます。

① 応報的正義
② 補償的正義
③ 配分上の正義

応報的正義は「目には目を、歯には歯を」という言葉に象徴されるように、善者には相当の報酬を与え、悪者には相応の裁きや罰を与えるといった正義のことを言います。悪に対して暴力で以って制する方法などはその典型的な例です。

補償的正義は、悪い行為をした場合に補償による償いをします。これは応報的正義とは対照的な正義です。応報的正義が他者からの要求に対して行動する正義であれば、補償的正義は被害者に対して十分な補償をするといった自主的な正義のかたちです。

配分上の正義は、報酬を如何に公正に分配するかといった正義のことです。これは企業対消費者、企業対株主という関係だけでなく、雇用者対被雇用者の間柄でも問われる正義でもあります。これは少数派や社会的弱者の権利がクローズアップされる正義と言えます。配分上の正義は、少数派や社会的弱者の権益を守ることに対して有効な考え方で、単に金銭や物などの配分だけではなく、権利、機会など人間社会に付帯する価値なども含みます。

配分上の正義は社会主義的な正義と思われるかもしれませんが、社会主義での正義には、権力の分配が含まれていません。社会主義の場合、公正な分配を行うための権力が一極に集中しています。それ故に、身分の格差が広がり、逆に不平等的社会となってしまいます。これは社会主義国の現状を見れば一目瞭然です。だからといって資本主義国の功利主義が完璧かと問われれば、少数派や社会的弱者が取り残されるといった欠点もあることも忘れてはなりません。

少数派や社会的弱者の権利や公正さを正当化するためには、個人の自由と権利を保障する仕組みを整える必要があります。ここで注意しなければならないことは、「自由」の意味を履き違えると、自由放任を謳歌するような自由主義となってしまうという点です。自由主義は他者の権益を損ねる可能性を帯びていますので、自由の最大化には十分注意しなければなりません。

この問題はまさに企業経営にも直結します。資本主義下での利益獲得を「何をしても構わない」自由な権利と勘違いすると、倫理を逸脱した企業経営に発展してしまいます。企業は自由という意味を十分に考えたうえで、経営を実践することが大切です。

さて、自由の最大化を容認した結果、不平等が生じることは仕方のないことかもしれませんが、そうであれば不平等にも限度を設け、一定のセーフティーネットを準備するべきでしょう。

例えば、企業内人事の場合を考えてみましょう。役職によって給与の差があっても公正な昇進機会の均等という条件は、全員役職に就ける権利を平等に与えることになりますので、不平等の現状は認めても良いと考えることができます。(だからといって、給与の格差が常識とかけ離れている現状はもちろん容認できません。)

このように考えると、正義とは自由競争社会の中で、競争社会を崩さずに如何に自由と平等がバランス良く保っていくかということが重要となります。倫理の原則を考えた場合、格差から生じた弱い立場の人々の権益をどのように守っていくかということも大切になります。企業経営においては、ステークホルダーの中での最も弱い立場が誰なのかということを十分考慮しなければなりません。正義の問題は、企業倫理を考えるうえで欠くことのできない要素なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?