見出し画像

小説:ホタルが眠るまで(6)

これまでのお話

ホタルのウーは水中から上陸し羽を持った新しい体を得ましたが、うまく飛ぶことができません。落ち込んだウーは逃げるように仲間の元を去りました。逃げた先で、ウーは月の歌を聴き、お月様に近づきたいと考えるようになります。そして、幼虫の頃に出会った友達のカタツムリのツムに再開し、森で一番高いおばけの木を登ることにしました。そこで危険なバケ鳥と遭遇し重傷を負いながらも、ツムの力を借りて頂上まで辿り着くことができました。

▼前回のお話はこちら

ホタルが眠るまで(6)

ツムは頂上に伸びる枝を、これまで以上に慎重に登って行きました。
おばけの木の頂上からは森全体が見渡せました。
ウーはツムの背中の上で目をつむり耳をすましました。
空から聞こえる月の歌が空に大きく響き渡り、風はさわさわと草木を揺らし音楽を奏で空に届けています。
月は頭上から少し横の方に降りてきていました。
月の周りには地上からは見えなかった小さな光が散らばっており、キラキラと輝いています。
お月様も1匹じゃなかったんだ。
僕にも、ツムがいる。
と、ウーは思いました。
今ではもう月は寂しそうに見えません。
月の歌も、これまでと少し違って聴こえてきました。

まっくらなそら
とおいほし
あいさつしたら
さようなら
ちいさないのち
ほしよりひかる
いいな いいな
まっくらなそら
とおいほし
つながる いのち
いつまでも ひかる
いいな いいな
よりそって

「あぁ、ツム。なんて素敵なんだろう。」
「そうだね。とっても素敵だね。」

ウーとツムはしばらくその場で佇んで月の歌を聴きました。
枝が風に揺らされて、2匹の体もゆらゆらと左右に揺れました。
ウーの頭に「幸せ」という言葉が浮かんできました。
ここにいることが、ただ幸せ。
そう思いながら、ツムの家の裏で見たたんぽぽの花を思い出しました。
あの時も2匹で揺れてたなと思い出すと、ウーは笑いそうになりました。

「ふふっ」

ウーの下で、ツムが少し体を震わせて笑いました。

「ごめん。また僕たち2匹で揺れてるって思って。」
「僕も、君のたんぽぽ畑を思い出してたよ。」

2匹とも同じことを考えていたのが分かって、しばらく2匹で笑い合いました。
ウーはなんだかすごく久しぶりに笑った気がしました。
まだそんなに時間も経っていないのに、たんぽぽを見ながらツムと笑って過ごしたのがずっと昔のように感じました。

上空の空気はキンと冷たく2匹の小さな体を突き刺すようでしたが、地上から舞い上がってくる森の香りを含んだ柔らかな風が2匹を守るように包み込みました。
あぁ、心地いいな。
ここから飛び立っていけたら、どんなに気持ちがいいか。
そんなことをウーは考え始めました。
そしてウーはゆっくりツムの背中から降りました。

「ウー、危ないよ。僕の上に居て!」
「大丈夫。ツム、君と話がしたいんだ。」

ウーは風に揺れる枝になんとかしがみつき言いました。

「僕、全部思い出したよ。」

ウーがツムに顔を寄せてささやくように言うと、ツムもつられて囁くように「ほんとう?」と聞き返しました。
ウーはただ静かに頷きました。

「僕、君と出会えて成長できたんだ。君の話を聞いて、この世界で生きようって思えたんだよ。ありがとう。」
「ウー・・・、僕・・・。」

ウーのその言葉は、ツムには別れの挨拶に聞こえました。
ツムは返事の言葉に詰まり、泣きそうなのをぐっとこらえました。
ウーはそんなツムの頭に顔を寄せて、額をピトッとひっつけて言いました。

「ツム、寂しくなったらお月様を見て。僕はお月様のところに行く。そこからいつも君を思って見守っているよ、君は1匹じゃないんだ。」
「嫌だよ。一緒に帰ろうよ。」
「ツム、僕まだお月様と話せてないんだ。もっとそばに行かなきゃ。」
「ウー、もう・・・」

ツムは、「もういいじゃないか」と言いそうになって、言葉を飲み込みました。
怪我をして息も絶え絶えなウーに、あとどれだけの時間が残されているかを考えたのです。
もうあまり時間はない事は分かっていました。
それならいっそ、やりたいようにやらせてあげたほうが良いんじゃないか。
ツムはそう思うと涙が目にこみ上げてきて、また泣きそうになりましたが、ぐっと堪えました。

「僕に、まだできることはある?」

ツムがなんとか言葉を絞り出すと、ウーは最期の願いをツムに伝えました。
ツムはただ黙ってウーの話を聞き、頷きました。

「君にお願いするばかりで、何もできなくてごめんよ。」

ウーがそう言うと、ツムはブンブンと首を振りました。

「僕、君と友達になれてよかった。カタツムリって動きが遅いから、他の虫とはなかなか友達になれないんだ。君は僕と一緒に動いてくれたね。君と居て、こんな僕だって何かの役に立てるって知れて嬉しかった。」
「君はせっかちな方だったからね。」

ウーが冗談を言うと、2匹でクスクスと笑い合いました。
遠くの方からザーッと激しい風の音がしてきました。
遠くの木々が激しく揺れて波打って見えます。
そして、その波はだんだんとこちらに近づいてきています。
2匹は笑うのをやめて、じっと見つめ合いました。

「じゃぁ、僕はいくよ。」

ウーは、風が木を走り上に吹き上げた瞬間、枝から足を離しふわっと空に浮かびました。

「ウーーー!!!!」

激しく揺れる枝にしがみついたツムが叫びました。
ウーは折れた羽をめいいっぱい広げて、正面から風を受けてまん丸の月を背に舞い上がります。
ウーの小さな体は風に押し上げられてみるみる飛ばされていきました。
ウーはお月様を見上げて、ハッとしてもう一度ツムを見下ろしました。
ツムはもう随分小さくなっており、遠くから何度もウーの名前を叫ぶ声がかすかに聞こえてきます。
これだけは、絶対に伝えなくちゃいけない。
ウーは最後の力を振り絞って叫びました。

「ツム!!!!僕、大切なこと、全部思い出せて良かった!君のおかげだ!ありがとう!!!」

ウーはその言葉がツムに届いたかわかりませんでした。
今ではもうツムの声は聞こえません。
真下には真っ暗な森が広がっているだけでした。
でも、あそこにツムはいるんだ。
ナナフシさんもいるし、ホタルたちも、たんぽぽの花畑も、僕が生まれた小川もある。
ミーだって、きっと。
真っ暗なだけの場所じゃない。
お月様に教えてあげよう。
ウーは体の向きを変えて月を真正面から見ました。
ウーはどこまでもどこまでも風に押されていき、白い光の中に消えてゆきました。

ウーがみるみる小さくなって、月の小さな黒い点になり光の中に消えてしまっても、ツムはずっと枝にしがみついてその場を動きませんでした。
そしてウーを連れて行った月はだんだんと遠くに沈んで消えていき、反対側の地平線が空の色を変えはじめました。
空は紫色から桃色に変わり、オレンジの光を放って太陽が顔を出しました。
ツムの胸の中の冷たい悲しみを温めるかのように、強くオレンジに輝いています。
森全体がオレンジの光に包まれ、遠くの川はキラキラとその光を反射して輝いて見えました。
ツムは初めて見る森の全景に「はぁ」と息を漏らしました。
太陽は苦手なツムでしたが、その景色はいつまでも見つめていたいと思いました。
そしてウーの言葉を思い出しました。
ー何もできなくてごめんよ。
そんなことはない。と、ツムは思いました。
君と出会わなきゃ、一緒じゃなきゃこんな景色は見れなかった。
お月様の歌だって聴けなかった。
僕は鳥に襲われて助からなかった。
何よりウーという友達ができなかった。
君のことを思い出したらきっとこれからも寂しくなるよ。
でも忘れてしまったら、君と経験した楽しかった事も幸せも思い出せなくなる。
そんなのは嫌だよ。
ツムはそのとき、記憶を失ったウーの気持ちを想像し、その寂しさを理解しました。

「僕ずっと覚えておくよ。」

ツムは登る朝日を見つめてそうつぶやき、ポトリと涙を一粒落としました。
そして太陽が昇りきるまで眺めて、ゆっくりと木を降りて行きました。


「ツム・・・。」

ツムが枝の別れた道を降りていくと、下でナナフシが待っていました。

「ナナフシさん・・・ウーは・・・。」

ナナフシの姿を見ると、ツムは何か張り詰めていたものがプッツリと切れてしまいました。
わんわんと声をあげて泣き出したツムがそばに降りていくと、ナナフシの細い足がツムの背をちょんちょんと撫でました。
そうしてひとしきり泣いて、ツムは木の頂上での事をゆっくり話しました。

「そうか、いってしまったか。」

ナナフシは俯いて呟くように言いました。

「僕のせいだ・・・。」

ツムが俯いたままそう言うと、ナナフシはすぐさま強い声で「違う。」と言い返しました。

「それは違う。わしじゃ。わしが、あの鳥を誘き寄せるように言ったんだ・・・。こんな死に損ないのジジイがまた生き残ってしまった。」

ナナフシのしゃがれた声に震える息が混ざって、その声はガサガサと聞こえました。
ツムはそんなナナフシの姿を見て、胸がギュッと苦しくなりまた涙を流しました。

「そんなことないよ、ナナフシさんは僕達に帰れって言ってくれてたじゃない。それに、僕、あなた達がいなかったら助かってなかったよ。」

ナナフシは涙ながらに話すツムを見つめて、ぐっと後ろを向きました。
そうして2匹が背を向け合って静かに泣いていると、バキバキッと激しく枝の折れる音がしました。
振り返ると、そこにバケ鳥の姿がありました。
バケ鳥はよろめきながら、頭をぐらぐらさせて飛んでいます。
2匹が咄嗟に身を寄せ合って固まりバケ鳥を見つめていると、バケ鳥の力のない目が2匹を捕らえました。
もうだめだ!
ツムはそう思って息を飲んだのですが、バケ鳥は情けなくピョウロロォと鳴いて、飛び去って行きました。
時々木の枝にぶつかりながらフラフラと飛んでいきます。
2匹はバケ鳥を見送って、目をまん丸にして顔を見合わせました。

「ぷっ・・・くくっ・・・」
「くくくっ・・・・」

2匹は笑うような状況ではないと思いながらも、バケ鳥の情けない姿と、お互いの驚いた顔が面白くて笑いました。

「あぁ、あの鳥、あの調子じゃもうここには帰ってこんじゃろう。」
「そっか・・・ウーがやってくれたんだ。」
「あぁ。」

2匹はしばらく、鳥の差去っていった森の景色を眺めました。
太陽は上り切って、森は鮮やかな緑に輝いています。

「またおいで。」

ツムが景色をぼうっと眺めていると、しゃがれた優しい声が囁くように聞こえてきました。
声の方を振り返っても、もうそこにナナフシの姿はありません。
朝の光に照らされた枝葉が、優しい風に吹かれて揺れているだけでした。

「うん、また来ます。」

ツムは揺れる枝に向かって言いました。
ナナフシがそこに居るかは分かりませんでしたが、温かな視線を感じます。
そしてまたゆっくり木を降りて行きました。
ウーとの最期の約束を果たすために。


「おいキー、お前に会いたいって、変なのが来てるぞ。」

ある晩、ホタルたちの元に珍しいお客が来ました。
キーは枝の上からその姿を確認しました。
変なのと呼ばれたお客はゆっくりと地面を這って、貝から出した体を伸ばしてこちらを見ています。

「あの・・・僕、カタツムリのツムです。キーって君?」
「うん。僕だけど・・・何の用だい?」
「僕、ウーの友達で・・・」

ツムがそこまで言うと、キーは「ウー!?」と叫びながら、羽ばたいてツムの元まで降りてきました。

「う・・・うん。」

ツムはびっくりして少しだけ後ずさりながら返事をしました。

「ウーはどうしてるの?一緒かい?僕・・・引き止めたんだけど・・・。ずっと心配してたんだ。」
「ウーは・・・」

ツムは少しだけ言葉に詰まりましたが、ウーから言われた通りに伝えました。

「ウーは、君たちと別れた後ちゃんと飛べるようになったんだ。それで、旅に出たんだよ。でも君たちにお礼を言わずに別れたことを気にしてて、僕に言伝を頼んだんだ。君たちに感謝してるって、ありがとう。あんな風に別れてごめんねって。」

ツムは信じてもらえるか心配でした。
質問されたらどうしよう・・・。
そう思うと胸がドキドキしました。
キーはウーの話を聞いて、小さく「そう」とだけ呟いて黙ってしまいました。

「ウーは、飛べるようになったんだね。」
「うん。」

ツムは短くなんとか返事をしました。
月に消えていったウーを思い出して、胸が苦しくなってしまったのです。

「そうか・・・良かった。飛べなくてすごく辛そうだったから。それで、君はどこでウーと出会ったの?僕、ウーがここを去った後のこと気になってたんだ。それに、ウーはどうして戻ってこないんだろう。」
「えっとー・・・僕がたんぽぽの畑にいたら、草の上に小さな光が見えて・・・不思議に思って声をかけたんだ。それがウーだったんだよ。」

ツムは、ウーと二度目の再開をした日のことを、ところどころボカシながら話しました。
草をはねていたウーのこと、たんぽぽ畑のこと、ウーと木に登り、バケ鳥を倒したところまでは真実を。
ウーが大きな怪我を負ったことは、ウーとの約束で黙っていました。

「それで、2匹でお月様の歌をたっぷり聴いて木を降りたんだ。それからウーはお月様と話してみたいからって、もっと大きな木を探して旅に出たんだよ。」

ツムの周りには、いつの間にかホタルたちが集まって輪を作っていました。

「へぇすごい!そんな危ない鳥を倒したの!?」
「お月様の歌ってどんなの?」
「ナナフシって不思議な虫だねぇ」

ホタルたちはありこちからツムに話しかけました。
ツムはどの質問に答えればいいかわからず、キョロキョロしています。
そんなツムを見て、キーがゴホンと大きく咳をして皆を静かにさせました。

「ツム、教えてくれてありがとう。ウーが1匹じゃなかったって知れて良かったよ。」
「うん。それじゃぁ・・・僕行くね。」

ツムはそう言って、そそくさとその場を去りました。
後ろではまだホタルたちがガヤガヤとしていましたが、何か質問されてぽろっと本当のことを言ってしまわないうちに退散したほうがいいと考えたのです。
ツムはホタルたちのいるところから抜け出し、茂みの中に這っていきました。

「待って!」

暗い茂みの中で、追いかけてきた1匹のホタルに呼び止められました。
ホタルはお尻をポウっと光らせて茂みの中を照らしています。

「キー?どうしたの?付いてきたの?」
「うん。ねぇ、良かったら僕にもそのたんぽぽ畑見せてくれない?それにお月様の歌ってのも、聴いてみたいし。」

ツムはしばらく黙ってキーを見つめた後、にっこりと笑って「いいよ」と答えました。

「今度、友達を紹介するよ。」
「カタツムリかい?」
「ううん、枝にそっくりなおじいさん虫なんだ。」

2匹は並んで話しをしながら茂みを進み、ツムの家へ向かいました。


夜風が木々の間を通り抜け、草木を撫でながらたっぷりと森の香りを含ませたその体で小川の上を走って行きました。
しばらくして優しい雨が降り注ぎ、森が雨のリズムでいっぱいになると、小川の底に小さな光がポツリポツリと現れました。
また、水中で生活してきたホタルの子たちが上陸する時がきたのです。

「さぁみんなで行こうじゃないか!」

1匹のホタルの子が一足早く地上に体を出して言いました。
ホタルの子たちは次々に地上に上がって行きました。

「じゃぁミー、また会おうね。」

1匹のホタルの子が、ミーに声をかけて土に潜って行きました。

「うん。またね。」

ミーはその子を見送り、自分はもうちょっと川から離れようと、別の場所を探しはじめました。
陸を進んでいると、優しい風がふわっと体を撫でます。
慣れない感覚にミーは体を三日月のように反らせ夜空を見上げました。
そこにはまん丸のお月様が白く輝いています。
この日もまた、雨の中月は雲に隠れずに輝いていました。
ミーは月を見上げてウーのことを思い出して少し寂しくなりました。
夜空をよく見ると、月の右となりに小さな光がポウポウと優しく点滅しています。
あんな光、初めて見る・・・ずっとあそこにあったのかな。
ミーは不思議に思いました。
その光を眺めていると、なんだか懐かしく、胸の奥が暖かくなる感じがして寂しさが薄れていきます。
しばらくその光をぼんやりと眺めて、ハッと我に返りました。
いけない、早く私も潜らなきゃ。
ミーはゆっくり地面を移動し、しっとりして柔らかい土を掘って潜りました。
土の中は初めひんやりとしましたが、次第に体が溶けて一つになったように感じます。
意識もぼんやりしてきて、土の中の闇に吸い込まれていくようでした。
しかし、最後に見たあの懐かしい光だけは、いつまでも意識の闇の中で優しく光り続けました。

終わり。


参考文献

ホタルの生態:東京にそだつホタル ホタル百科事典

ホタル幼虫:東京にそだつホタル ホタル百科事典

ホタル幼虫の上陸:東京にそだつホタル ホタル百科事典

ホタル蛹〜羽化:東京にそだつホタル ホタル百科事典