見出し画像

合唱の思い出① ~児童合唱団編~

私は小4の時に児童合唱団に入って以来、団体を変えつつかれこれ15年合唱を続けている。人生の半分以上、歌ってばかりいる。

しかし正直、合唱やってます!ってあんまり公言したくない時期もあったレベルで、合唱界隈には色々と思うところがある。

合唱っていうのは、数ある音楽の中でもとりわけアンダーグラウンドなジャンルだ。あらゆる西洋音楽のルーツのはずなんだけどな。

ひとくちに合唱と言ってもピンキリだけど、『合唱界隈』と呼ばれる集団の人たち特有の内輪感が、私はあまり好きではない。
もちろん、良い音楽を追究する姿勢は良いし、私も大なり小なり良い音楽だなとは思っている。
ただ、音楽を発展させていく上ではもう少し広がりのある展開をした方がいいんじゃないかな、と思う。

あと、人が嫌いな訳じゃないんだけど、人に翻弄されることは結構あった。
大学時代はストーカー化した男声に付きまとわれたり、団体運営する人間が次々に飛んで消えたり、リーダー格を担うべき同期が揉め事や問題を次々に起こしてくれたりで本当に辛かった。辛すぎて大学の他サー(ジャズ研)に没頭したりしてた。

あとは単純に、自身の音楽性や指導力、練習運営能力が足りないばかりに悩みすぎて、合唱自体が嫌いになりそうな瞬間も沢山あった。

でも、なんやかんやで全然辞められない。社会人になっても続けてるし、なんなら企画合唱団立ち上げちゃったりしてる。

やっぱり合唱そのものは嫌いになれないし、数ある音楽ジャンルの中で、敢えて合唱を続ける意義だって明確に見出している。

それに、私の合唱経験は、明らかに私の価値観形成に多大な影響を及ぼしている。音楽観とかに限らず、人生観にもだ。

先日、日本人と音楽の相性についてひたすら書きおこす中で、なんか、合唱への愛憎が芽生えた経緯とか、昔の思い出とかを色々と思い出してきた。

↓先日書き起こしたやつ

色々思い出しているうちに、過去の合唱を通して得た経験や考え、あと私の所属してきた合唱団自体の面白さや、そこで出会った先生達のエピソードなどについて、なんとなく書き留めておきたくなった。せっかくなので、所属した団体ごとに思い出を振り返りながら、紹介したいと思う。

我ながら、私の合唱遍歴は結構変だ。
一般的な合唱者が通る、中高時代に合唱部に入り、コンクールで歌ってきました!みたいな経験を一切していない。
だからこそ、人から見てもまあまあ面白い話ができるんじゃないかな、と信じたい。

ただの思い出話パートとかも多くなってしまいそうだけど、興味ある人は読んでいただければ嬉しい。

~目次~

①児童合唱団編 (小4〜小6)
②聖歌隊編 (中1〜高3)
③合唱サークル編 (大1〜大4)
④社会人団体編 (卒業後)


①児童合唱団編(小4〜小6)


まず小4の時、私を育ててくれていた祖母にすすめられて、なんとなく地元の児童合唱団に入った。

ぶっちゃけ、合唱団入りたい!って言ったほうが祖母が喜ぶだろうな〜という理由だけで、かなり低めのモチベーションで入団した。

祖母は合唱が大好きだった。合唱を好きになったきっかけは、かつて私が合唱団への入団を推薦したことらしく、なぜかとても感謝されていた。なんとなく後押ししただけだし、感謝されるほどのことじゃないと思うんだけどな。

そんな祖母のすすめだ。比較的歌うのは好きだったし、入りたくないとわざわざ拒否する理由も特になかった。本当はピアノやりたかったんだけどな(ピアノはもう遅い、と言われてやらせてもらえなかった)。

結局、東京に引っ越す小6までの3年間所属し、祖母の前では楽しそうに通うよう全力を尽くしていたけど、本音を言うと、人間関係が結構きつくてあんまり楽しめていなかった。

まず、小学生時代は私の性格に結構癖があったので、友達があんまりできず、居心地が悪かった。。

ど陰キャなくせに喋りだすと止まらない私の残念なコミュ力では、割とキラキラ女子な団員たちと仲良くするのはちょっと難しかった。一部仲良い子もいたけど、ただでさえ受験生で欠席がちだったので、結局馴染みきれなかった。

思えば当時の児童合唱団界隈、割と親の意向で入っちゃったキラキラ女子が多かったりした気がする。偏見かもしれないけど、最近は少なそうだなと思う。

保護者人気もあり、衣装関係などは特に、ママさんの力に頼る場面も結構多い団体だったので、一番楽しそうなのはママさん達、みたいな感じすらあった。うちの祖母も友達増えてて、なんか私より楽しそうだったなぁ。

なんか愚痴だらけになってしまった。大変申し訳ない。本題は決して愚痴じゃない。

私自身、人間関係の悲しみこそ抱えていたが、実は、所属していた頃から先生のやっていることって本当に凄いよな、とずっと思い続けている。

たった3年間だったけど、とても貴重な体験をしたし、間違いなく自身の人格形成に生きていると思う。保護者人気も頷ける。

それもそのはず、本当に独自性抜群で色んな経験ができる児童合唱団だった。

こちらの合唱団では、なんと一般的な合唱曲をほとんど歌わない。
代わりに、地元の童歌(わらべうた)を保存&広めていく活動をしたり、お寺への音楽奉納をしたりしていた。

おかげで、縄跳びや手毬などを使った昔ながらの童歌を披露したり、お寺の境内でお練り行列に混じって楽器を演奏しながら歌ったりすることがめちゃくちゃ多かった。

本番では、童歌の遊びを実際に披露しながら歌うのが恒例だった。
それこそ、全員でお手玉や手毬をしながらホールで歌うとか、かごめかごめ的な遊びのローカル版(県民はほぼみんな歌える)を披露しながら歌うとか。

これがおじいちゃんおばあちゃん世代にめちゃくちゃウケる。懐かしさのあまり、思い出を語って盛り上がり、ボケ気味のおばあさんとかが一気に元気になる姿なんかも見たことがあった。どんなに歳をとっても、幼少期の記憶って、本当に鮮烈に残るものなんだなぁとか体感した覚えがある。

じゃあ、おじいちゃんおばあちゃんばかりが喜んでいるかというと、これがそうでもない。
普通に演奏しながら遊ぶ様子が絵的に新鮮なのもあってか、全世代のお客様が楽しんでくれているという実感があった。

一般的な合唱曲を歌うとしても、ザ・合唱曲というよりは、往年の名曲の合唱アレンジ版とかがメインだった。これもウケがよかった。

結構、世の中にはポップスをそのままダサアレンジしました!みたいな合唱曲が跋扈しているが(悪口)、うちの合唱団の先生は作編曲をされる方でもあったので、その辺の目利きはかなり上手にされていた気がする。

なんなら先生自身が既存曲をよくアレンジされていた。合唱団にしては珍しく、豪華なバックバンドをつけて本番を行うことも多く、エンタメ性も抜群だった。この辺の編成も、場に応じて都度変えていたからすごい。

あとは、先生のオリジナル曲も沢山歌った。先生のオリジナル曲は、自然をテーマにしたもの、あとは音楽の楽しさを歌に表したものが多かった。この辺もなんか、先生のメッセージに一貫性があって良かったなと思う。

そういえば、演奏会で歌うときも、全体を通してストーリー性抜群に、メッセージ性を詰め込んだコーディネートがなされていた。
別にうちの団はべらぼうに歌唱技術が高いわけでも何でもないけど、見に来た皆さんにとって、少しは得るもののある演奏会ができていたのではないかと思う。

メッセージ性の観点で行くと、曲間で子どもたちが短めにスピーチをする場面とかがよくあった。それはただの曲紹介とかではなく、歌詞から着想を得て、自身の考えを伝える趣旨のものだ。等身大の子どもの考えだけど、ちゃんと大人が聞いてもハッとさせられるような内容が多かったと思う。

このスピーチは、曲のメッセージを手がかりに有志の子どもが自ら書きあげる。私もやったことあるけど、めちゃくちゃきっちり添削されるので大変だったな。。でも、文章構成力や、人に伝えたいことを端的に伝える能力は、確かに磨かれていたと思う。何より、子どもに自らしっかり考えさせるスタイルがうまく構築されていた。

先生は、仏教と音楽の融合による新たな可能性を探る作編曲もされていて、地元の古刹の和尚さんとコラボし、お経と一緒に歌うことなんかも結構あった。普通に名曲だからぜひみんなに聴いてもらいたいものだ。この経験のおかげで般若心経の一部フレーズだけはしれっと暗唱できたりする(全部は言えない)。

ありがたいことに有名アーティストとのコラボも多かった。故ペギー葉山さんや谷村新司さんと歌った経験は正直今でも忘れられない。当然今でも大好きだ。
私が入団する前にはナベサダと共演したこともあるらしい。くぅ〜〜羨ましい。

某交響楽団と一緒に『韃靼人の踊り』を歌った経験なんて最高だった。ロシア語新鮮で面白かったな。めちゃくちゃ巻舌練習した。中学受験直前なのによく歌いきったものだ。クラシック好きになった源流は間違いなくあそこにある。

でかめの記念式典で歌い、テレビで中継されたこととかもあった。学校休んで参加したんだけど、先生のはからいで授業中にみんな見てくれてたらしい(超恥ずかしい)。日当たりキツすぎて私むっちゃ顔テカってたので、あとからみんなにかなり馬鹿にされたけども。

東京近郊とかならまだしも、西日本の片田舎の小学生にそんな経験が許されるなんて、本当によっぽど少ないことだ。先生のコネクションがめちゃくちゃ凄いし、贅沢でありがたい限りだ。

ホールで本格的に、オリジナルのミュージカルをやる団体でもあった。自然破壊ばかりするんじゃなく、昔ながらの知恵に学んで森と共生する道を探っていこうよ、みたいな内容だった。

なんか思想強そうだけど、方々のプロ達が監修しているだけあって普通に内容が良いし、先生作編曲の曲が相変わらず超良かった。名言は避けるけど、私の入団前にはちゃんとそれなりの場所で公演して好評を博した実績もあるらしい。
森林面積がめちゃくちゃ広く、昔から林業が盛んで森との共生を図ってきた地元との相性もなかなか抜群な内容だった。あと子どもたちによる動物役とかが可愛くてよかった。

まあ私はガチ運動音痴だからダンスとか超絶下手だったし、受験生だったからミュージカルにの練習こそすれど、一度も本番出られなかったけども。

この合唱団のすごさをまとめると、、
まず、お客様が飽きずに最後まで楽しめるような工夫がなされている点。
『我々の歌いたい曲をお客様の前で披露するよ!』みたいなことよりも、お客様が楽しめることが最優先されていた。

音楽続けていると痛感するけど、それってなかなか簡単にできることではない。

油断していると、どうしても演奏する側のエゴが前に出て、演者の自己満足にお客様が付き合わされてる構図になってしまうことがある。
あと、曲を並べたてただけで目的が見えず、何がしたいのか分からないコンサートやライブなんかも結構多い。

その点、先生は本当にお客様ファーストを徹底していて凄かった。既存曲をあまり扱わず、作編曲や編成、見せ方も含めトータルコーディネートをしているからこその技だと思う。

その上で、しっかり自身のメッセージを詰め込み、やりたいことをやっているように見えた。正直今でも心から尊敬する。

考えてみれば、うちの団体にはよくある定例のワンマンコンサートなどはなかった。

定例の演奏会をやるのは、確かに共通の目標も芽生えやすいし、ノウハウもたまって運営しやすいが、割と惰性になりがちだ。

そもそも定例開催自体、お客様側が望んでいない可能性は高い。まして合唱自体かなりニッチなジャンルだ。忙しい現代人はわざわざ見に来ない。
そうすると、だんだん知り合いだらけの内輪の発表会みたいになってしまいがちだ。

それはそれで良いけど、客集めが大変で内輪の知り合いに頼るくらいであれば、わざわざホールとかを借りてまで演奏する必要はあるのか?という話になってくる。

その点、うちの合唱団は、様々な場所にお邪魔またはお呼ばれして歌いに行くスタイルが多かった。あとは、都度企画するものがメインだった。

地元のイベントや演奏会に参加したり、障がい者支援系のチャリティコンサートに参加したり、ショッピングモールにお呼ばれして歌ったり、老人ホーム訪問をしたり、かたやお寺やお祭りで歌ったりと、本番の場は様々だった。

そして先生は、その場の需要にあった選曲、編成、バックバンドの有無などのプロデュースをされていた。
これって、都度ゼロからの準備が発生するので絶対大変だけど、その分ちゃんと需要にあったアプローチができるし、その時伝えたいことをその場にあった形で伝えやすい。

『お客様が何をすれば喜ぶか』を最優先に考えてステージを作り込めば、作り込んだ分だけ、満足してもらえるものが出来上がる可能性は高まる。あくまで高まるというだけで、絶対ではない。ここは履き違えてはならない。

人を最大限思いやった対応をした結果、相手が満たされる可能性が高まる、というのと全く一緒だ。単純なようで、とても大切な考え方だ。音楽を人前で演奏する上でも、一番大事なことなんじゃなかろうか。
本当に良い勉強をさせていただいたと思う。

あと、もう1つ。
合唱団らしく歌うことだけに終始せず、その後の人生にも生きる多様な経験ができる点だ。この内容がすごい。

先生は、音楽療法士でもあり、音楽と心・体は深く結びついている、という考えがとても強い方だった。あと、子どもの持つポテンシャルや、エネルギーの強さを心から信じていた。

それもあって、合唱はあくまで総合教育のうちの一部であり、色んなことを経験してもらおう!とという工夫が至るところに凝らされていた。

合唱団の合宿なのに、芋掘りや料理をしたり、老人ホームに伺ったりといった機会が当たり前にあった。上級生の中高生たちが下級生の面倒を見る機会が多く、自治的な要素も強かった。

団独自の手毬検定、お手玉検定とかもあって、合宿の自由時間とかに個々で歌いながら個々に練習し、次々に検定を受けていた。

できなくても別に活動で困ることは全くないんだけども、これを極めている子は単に尊敬される。古典的で普通我々世代は誰もやらない遊びだけど、どれも奥が深い。なんやかんやみんなハマっていた。
思えば、活動全体を通して、身体を動かすことと歌うことが自然と結びつくような教育がされていた。

他にも、自然と教養が深まる機会も多かった。
由緒あるお寺で歌うときは、ちゃんとみんなでお参りをして、実際にそこで勤める和尚さんから歴史の話を伺ったりした。

地元のお祭りで伝わる歌とかも学んで、お祭りのルーツにも詳しくなれたりした(受験生だったので肝心のお祭りには参加できなかったけど)。

というかそもそも、練習場所がお寺の境内にあったので、境内で食べ歩きはしちゃ駄目だよね、とか、神聖な場所なんだからマナー違反はよくないよね、とかいう常識もかなり身についたりしていた。
今思えば、全体的にかなり質の高い情操教育を受けていた気がする。

こうした経験を受けてか、なんだか音楽を独立した存在ではなく、日常に入り込んだ、とても有機的なものとして捉えている節がある気がする。

歌って身ひとつで出来るだけあって、ほとんど身体の一部だし、どこまでいっても日常の延長線上にあるものだと思う。先程の思いやりの話とかもそうだけど。

だから、心身ともに豊かであることが演奏のクオリティにも間違いなく繋がるし、心身の調子に応じてその時できる一番の音楽をやれば良いのであって、よく見かける合唱のための身体づくりなんて必要ないんじゃないかな、と思う。

心身の調子に応じて作り出す音楽が、聴いていて心地の良いものになること、経験則として今も強く実感している。

改めて、音楽表現って日常生活の延長線上にあるなと思う。音楽に限らず、あらゆる武芸の類だってそうだろうなとも思う。

まあ、こんなこと偉そうに語ってるけど、この辺の考えは大学以降に習っている恩師の影響もあって言語化されているだけ。私はまだまだだ。

特に、運動についてはこれだけの経験をもってしても相変わらず下手っぴなので、もう少し身体を動かして歌との相乗効果をはかった方が良さそうだ。
機会があったらダンスとか始めたいなと思う。

なんだか過去の思い出を書いているうちに、里帰りついでに団の様子を見に行きたくなってきたな。
残念ながら、中学入学と同時に東京に引っ越してしまい、以来一度も関係者に会えていない。Facebookとかは繋がってるけど。

特に先生とは、お会いする機会をつくって、ぜひ話がしたい。
まずは、これまで得てきたものに関する感謝の気持ちをお伝えしたい。あとは、合唱団運営にあたっての先生の考え方とか、ぜひ聞いてみたい。

今なら本当によく分かるけど、あんなチャレンジングな合唱団、相当運営が大変だろうと思う。

思えば、本当に素晴らしい合唱団なのに、実は万年団員不足だった。
合唱人気が落ち、また少子化で子ども自体が減り始めた過渡期でもあったからか、私の入団直前に団員がごっそり卒団して以来、人が減る一方だった。

他団体に入ってからもよく思うけど、私の5歳以上の世代と我々以下とでは、合唱人口に大きな差がある。上の世代と比べて本当に半数以下くらいまで人が少ない。
身一つでできる合唱以外に、娯楽の選択肢が増えてきた影響も大きいのかもしれない。

たまに団の公式サイトや映像を覗きにいくけど、相変わらず人が減り続けている様子だ。

人数が少ない問題については、先生も相当悩まれてるようだった。その苦心されている様子は今でも覚えている。

当時はなんでそんな悩む?とか思っていたけど、考えてみれば悩むのは当たり前だ。人数が少ないほどできることの規模は小さくなる。

予算面だって限界がでてくる。あまりに人が集まらないと、自分の行っている活動は本当に望まれているのだろうか?とか色々考えてしまうことだろう。団を運営しはじめると本当によく分かる。

子どもの教育を一生懸命考えて、アプローチをしようにも、人がいないことには存続しようがない。先生とて慈善活動ではなくビジネスでやっている訳だし。

人が減り続ける中、それでも自身の活動を信じ、常にブラッシュアップされていたことと思う。先生は、いつもどんなことを考えて運営されていらっしゃったんだろう。ぜひお話お伺いしたいものだ。

②中高聖歌隊編に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?