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合唱の思い出② ~聖歌隊編~

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②聖歌隊編(中1〜高3)

中高一貫の女子校に入学し、私が入った合唱団体はなんと『聖歌隊』だった。

私の学校はミッションスクールだったので、礼拝で聖歌を歌う奉仕団体として聖歌隊が存在したのだ。
その代わりに、いわゆる合唱部はなかった。

引っ越しを機に児童合唱団を辞めてからも、なんやかんや私は合唱を続ける気満々だった。
そして、合唱部に入って、もっと体系的に歌い方を学びたい!とか考えていたので、合唱部がない事実にはちょっと凹んだ。

結局、聖歌隊に入るつもりではいたものの、いまいち楽しいイメージがわかなかった。

確かに、私は小学生時代、祖母のすすめでガールスカウトに所属しており、カトリック系の教会でのミサの経験こそあった。でもぶっちゃけ、私はクリスチャンでもなんでもない。

なんなら私は、お寺だらけの街で、しかもお寺の幼稚園で育った。小学生になってからも、街に出るときは道をショートカットするためにお寺の境内を歩くのが普通だった。児童合唱団もお寺の境内にあったし、ゴリゴリ仏教と合唱の融合みたいなことをやっていた。

うちは典型的な仏教徒なので、おうちの仏壇に貰ってきたお菓子とかをまずはお供えして南無阿弥陀仏を唱え、亡き母へのお祈りをし、そのあとお下がりをいただくのとかも日常だった。

当然、自然と仏教にアイデンティティを置いていた。これだけ自然豊かな日本に生まれ育ち、万物に神が宿ると思って生きているというのだから、一神教の考え方はぜんぜんピンと来ない。おまけに神仏習合が根付きすぎて、神と仏をそこまで区別すらしていない。

ミサの経験があっても、キリスト教ってなんか難しくないか ?神様もイエス様も何を考えているのかよく分からないし、、という印象だった。
ひたすら長くて難しかった礼拝に、わざわざ自ら身を投じるのか、、とか最初は思っていた。
でも、結果的には聖歌隊に入って大正解だった。

まず、毎朝の礼拝では聖歌隊席に座る特権を得られる。これが、四六時中やかましいクラスメイト達と離れられて快適だった。真面目に歌っていても馬鹿にされることもない。

そして、イースター礼拝や昇天日礼拝、クリスマス礼拝などの行事には衣装(=サープリス)を着て参加し、聖歌を奉納する。完全にそこらの部活とは一線を画した奉仕団体だ。カッコいい。

一般的な合唱部ともちょっと隊員の層も違って、良家のお嬢様とか、割と華やかな人たちも嬉々として聖歌隊に入るような、そんな魅力があった。陰キャとか陽キャとかの区別もあんまりなく、割と仲も良かったと思う。

あと、当初はあんまりよく考えず、ラテン語や英語の曲を歌っていたが、徐々に、自然とキリスト教に関わる教養を体得していけたのが個人的にはよかった。
ミサ通常文(KyrieとかGloriaとか)の曲だけで何種類歌ったか分からない。おかげで今でも通常文は全部暗唱できる。

あと、巷で流れるクリスマスソングはほとんど元ネタが分かるようになった。おかげでクリスマスシーズンは今でも楽しいから最高だ。聖歌って、驚くほどクリスマスソングの比重が大きい。
あと、アドベント(クリスマスが近くなってきた時期)のチャペル装飾は他の季節とレベルが違いすぎる。ロウソクの数も増えまくるし、赤と緑基調の凝った装飾の布とかでチャペルが包まれる。プロテスタントですらこれなんだから、カトリックだともっと気合入ってるんだろうな。
そして、満を持したクリスマス礼拝の日には、生徒も先生もみんなおめかしにめちゃくちゃ気合いを入れはじめるから凄い。キリスト教徒どんだけクリスマス好きやねんってなる。
こんな些細な経験の連続で教養を得ていくのって、座学よりもはるかに楽しいと私は思う。

6年通して聖歌隊は楽しかったけど、特に楽しかったのは高校聖歌隊。

中学聖歌隊は普通に音楽室で練習していたけど、これが高校聖歌隊になると、なんと学校のチャペルで、贅沢なことに専属オルガニストの先生のパイプオルガンによる演奏付きで練習できるのだ。くぅ〜我ながらお嬢様!

自慢ポイントは、まずうちのチャペル。お嬢様学校の舞台として、漫画やアニメにもちょいちょい登場する自慢のチャペルだ。外観は可愛く、中は国を間違えたかと思うほど美しい建築物で、蔦や唐草文様の彫刻もキュートだ。本当に大好き。

そして、何よりの自慢は、専属オルガニスト兼顧問の先生。この方がまた、本当に最高の先生だった。
もうかなり良いお歳なのに、彼女の世代では珍しくアメリカ人と国際結婚されており、未だ国内外を飛び回る超絶アクティブかつ楽しいおば様だった。しかも、我が校のOGだけあって、とても気品のある方だった。先生、明らかに隊員からも慕われていたと思う。

先生はあくまで専属オルガニスト。特に授業は受け持たれていないので、聖歌隊以外は先生と接触する機会が一切なかった。

一般生徒からすると、毎朝の礼拝でオルガンを弾く謎の先生、くらいの認識だろう。こんなに面白い先生と接触できる特権があるなんて、私はラッキーだな、と思っていた。

先生からは、合唱部特有の発声法とかについて指導を受けることなんてほぼなかった。代わりに、歌って楽しいことを一番に優先する方だった。もうめっちゃ感覚派。もちろん良い意味で。

煮詰まったら無理してこねくり回さず、いい感じに歌えたら『良いわね!早いけど今日は解散しちゃいましょ!』みたいなことをおっしゃる方だった。

当時は『えっもっと練習しないとやばくないか?』とか思っていたけど、今思えばあれもぜんぜん正解だったと思う。

その日の最大のパフォーマンスを引き出せたのであれば、その後も無駄に練習を続けるのは案外蛇足だったりする。残るのは『頑張った感』という悲しい称号だけだったりもする。

うまく行かないときなんかは特に、根詰めても何もいいことはない。先生は、その辺のことを肌感で理解されていたんだろうな、と思う。

先生は、本当に良い音楽に沢山触れさせて下さった。
練習でこなす曲数はだいぶ多かったけど、その選曲チョイスがもう抜群。カッコよかったり、泣かせるメロディだったり、ハーモニーが良かったり、やたら暗かったり、本当に多種多様。

でもそのどれもが、今でも歌いたくなる曲ばかりだ。(明らかに先生の趣味もあってロマン派以降の曲が多かった気はするけど)

色々と経験させてくださる方でもあった。
外部の礼拝で歌わせていただく機会もあったし、ジャズ調のミサ曲をやることになったときなんか、わざわざ指導のためにジャズベーシストを呼んで下さったこともある。

某超有名ジャズピアニストとも何故かお知り合いで、コラボさせていただいたこともあった。贅沢すぎる。今でもサインは大切に保管しているし、知り合いのジャズマンに見せるとめっちゃ羨ましがられる。

今思えば、現在ジャズにどハマりしてベースを弾いているのも、この辺の経験からおおいに影響をうけている気がする。

中高で初めて知ったけど、キリスト教音楽って、歴史が長いだけあってめちゃくちゃ奥深い。本当に多種多様だし無限に曲が存在する。

敷居が高そうとか思わず、まずは聴いてみてほしい。誰が聴いてもかっけーー!ってなる曲は結構多い。

個人的オススメはメンデルスゾーンのVeni Domineだ。参考音源を貼るのでぜひ聴いてみてほしい。

お聴きいただくとわかると思うが、何がいいって、パイプオルガンのこの音色!
(現物の方が遥かに迫力あるけど)

パイプオルガンは、楽器の王様と言われるだけあって、本当に数多の音色を出せる楽器だ。ストップという棒状の器具を出し入れするとどんどん音が変わっていく。
アナログシンセサイザのさらにアナログ版(パイプオルガンは電気ではなく空気が動力源)、みたいなイメージだろうか。

パイプオルガンのストップ。Wikipediaより転載。


もう本当に、鳥のさえずりみたいな可愛らしい音から、劇的で重厚感のある音まで、なんでも出せる。
特に、うちのパイプオルガンは特にお金かかってるだけあって音の種類もえげつなく多く、また最高の音色だった。あと先生が流石にプロで、曲にあわせて膨大な数のストップを調整しまくり、変幻自在に音色を操っていた。

多動癖が強く、練習も飽きがちな私だけど、パイプオルガンのおかげで高校時代はぜんぜん飽きることがなかった。パイプオルガンの演奏を観て聴いて、そして一緒に歌うことでしか得られない栄養があり、私はその虜になった。

卒業間際に、先生主催で有志生徒向けのパイプオルガン講座があり、パイプオルガンの中の構造を見せていただいたことがある。

うちのチャペルは100年近く歴史があったが、オルガンは比較的若く、私と同い年。導入には先生も関わられていて、先生のご意向がかなり詰まった、珠玉の楽器だった。

実際に中に入ってみてびっくり。なんとオルガン内部に人1人入って歩けるくらいの空間があった。パイプとパイプの間を歩いて通り、細いパイプからえげつない太さのパイプまで見学させてもらった。後者についてはチャペルの建築とほぼ一体化していて、パイプオルガンって建築だなぁと感動したりした。

あと、パイプオルガンの裏側には手動の大きなふいご(=送風機)がついていた。なんと、昔は演奏中に人力でふいごを動かす専用の人工が必要だったそうだ。

現在は電動が主流で、うちの学校のオルガンも普段は電動だけど、先生の意向で、資料的価値を残すべく手動でも動かせる仕様にしてあった。
実際に試してみた。ふいごにはペダルがついていて、自重で片足ずつ足踏みすれば空気が送れる。めっちゃ重たい。ゆっくりゆっくり踏む必要がある。これがめちゃくちゃ大変。何が大変って、均一に空気を送り続けることが大変なのだ。これが下手だと、結構分かりやすく音がよれてしまう。そして当然、空気の在庫がなくなれば音は消えてしまう。
曲の始まりから終わりまで、ひたすらゆっくり均一に足踏みを続け、ふいごに安定した空気を送らなくては演奏がままならない。しかし私は30秒くらいでリタイアしてしまった。

私自身、大変勉強になったので、きちんと手動ふいごを残していただいたのは大正解だと思う。

聖歌隊に話を戻すと、、
そんな訳で、チャペルの響きとオルガンと歌がうまく馴染んで、指揮者不在なのにすごく歌いやすい環境だった。

変にがならず、自然体で歌う人が多かったのもあの環境の影響が大きいんじゃないかと思う。ものすごく統率の取れた声を出す団、と言うわけではないのに、聴いていて心地の良い歌を歌う団体だったように思う。

そんな環境の影響もあって、私はクラシックにハマった。クラシックの歴史って、本当にキリスト教音楽の歴史だ。やっぱり音楽の源泉ってキリスト教音楽、そしてクラシックにある。
ハマった後に真面目に音楽史の教科書を読んでみたら、めちゃくちゃ面白いという事実に気づいてしまった。やっぱり知識って、実感を伴うと途端にすんなり頭に入ってくるよなぁ。私は特にそのタイプだ。

せっかく身近にプロがいるんだから!と思い、先生に『オススメの作曲家教えてください!』と熱烈に相談したところ、紹介されたのはまさかのメシアン。クラシック初心者にして、いきなり超尖った現代音楽にブチ当たることになったのも、今となっては良い思い出だ。


ちなみに先生はメシアンの大ファンで、お会いされたこともあるそう。いいなぁ。

先生は他にも、グレゴリオ聖歌(キリスト教音楽)×声明(仏教音楽)とかいう新ジャンルを開拓されている方でもあった。たまに海外で公演もされてるとか。すごすぎ。

小学生時代に仏教×音楽をもろにやっていた私はかなり興味を持ち、先生からCDを借りまくったけど、どれもとても良かった(うちの学校、不用意なCD持ち込みとか禁止だったはずなんだけどな)。

現代音楽大好きなだけあって、音楽の可能性を広げることにとても積極的な先生だった。そういった活動は私もとても応援できる。思い出せば思い出すほど、素敵な先生だなぁ。

先生の見解では、宗教音楽って宗教が違えど不思議と似通った部分がある、ということだった。私も聴いていて同じ感想を持ち、宗教そのものへの関心が更に高まったりした。

おかげで、中学時代は寝まくっていた聖書科の授業も、高校からは真剣に聞くようになったを
どうして一神教徒は唯一の神様をあんなに信じられるのだろう?なぜキリスト教徒は見返りも求めずあんなに一生懸命に祈る時間を作るんだろう?などと大真面目に考え、レポートに反映したりしていた。私の人生で数少ない、ちゃんと先生に評価されるレポートが書けた。

あと、私は理系だったのと、クリスチャンな物理教師の影響もあって、キリスト教と物理化学の関連性とかにも大変興味をもった。キリスト教って、理系科目との親和性が実はめちゃくちゃ高い。というか、物理化学の歴史だってキリスト教の歴史とともにある。
なんたって、物理の最大目標は『世界を1つの公式で表すこと』らしい。ロマンすぎる。実に一神教徒らしい考え方ではなかろうか。

科学的根拠を信奉し、宗教なんてオカルトだーとかいう人間、案外いるけど、そもそも科学で証明されていることなんて世界のほんの一部にすぎない。

世の中には、f=maとか、e^iπ=-1とか、世の中には神様が作ったとしか思えない、あまりに美しい公式が沢山存在する。しかしこれらもきっと氷山の一角。神様が考えた最高の公式に出会うための人類の旅は、まだ始まったばかりだ。みたいな話は先ほどのクリスチャン物理教師からの受け売りだけど。

やっぱり人文学的教養って本当に大切だなと思う。物理化学をやる人間こそ学んでほしい。

友人の『人文学的教養のない理系学徒なぞただの科学の奴隷でありサルだ』とかいう発言を毎回思い出してちょっと笑ってしまう。言い過ぎだけど、言いたいことは分かる。
これらの学びは学生時代にやっておいて良かったことの1つだなと思う。

あーもう、話がそれがちだな、、理系云々の話は別記事に移動しようかな。
聖歌隊に話を戻そう。

うちは本当に、ケータイも持ち込めないほど無駄に校則の厳しい学校だったが、そこに割と先生が懐疑的だったのも良かった。
独立組織として、ちょっと治外法権的な環境と化していて最高だった。

本当に、毎回一生懸命に発声練習したり、コンクールに向けた缶詰め練習したりとかとは無縁で、ニッチでカッコいい曲をみんなで伸び伸びと歌っていた。

合唱のノウハウが得られないことには個人的に危機感があったけど、今思えばああやって自由に歌ってる人たちにしか得られない、キラリと光るものがあったと思う。

それに、ノウハウためて初めてパートリーダーなるものをやって、リーダーシップを身につける機会を得た。
当時はピアノも弾けない上に上がり症すぎて他人前で話せず、本当に練習運営が下手くそだった。
今の私しか知らない人は、私の上がり症エピソードを全く信じてくれない。そのくらい人前ででのコミュニケーションは私も練習した。

思えばこの頃が一番、無邪気に合唱を楽しんでいた気がする。残念ながら、大学に入って状況は一転することとなった。

③大学サークル編に続く。

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