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関西か関東か

↓昨日

昨日に引き続き、今日も大阪出張で仕事。
仕事で現地視察に来たのもそうだけど、一番の目的は、私と似た業務をしている関西の部署の人たちに会うことだった。

いつも情報交換している仲で、私たちの部署は先行事例だったから、何かと欠かさずチャットで情報提供するよう心がけていた。でも、当人たちにはほとんど実際に会ったことがなかった。だから、ちゃんと顔合わせして、今後の業務円滑化を図ろう!というよくある試みをしてきた。デスクワーク能力が雑魚な私、せめて人脈だけは一級品でありたい。

視察の結果、無事に皆さんに会えて嬉しいし、我々の業務における反省点がしっかり反映された成果になっているのが分かって本当によかった。頼まれてもないのに一方的に情報送り続けてよかった。同じ悲劇を繰り返さないためなら、余計なお世話と言われようが構わない。事例なんてなんぼあってもいいですからね。

あと、やっぱり関西の部署だけあって皆さん関西人なんだけど、お会いした人たちに結構同郷(=奈良)の人がいて驚き。私の愛する地元から会社に通う人間がいるという事実、なかなか夢がある。正直、間近に迫った異動先はどうせ東京以外あんまり選択肢ないだろうしな、と思っていたし想像もほぼ出来ていなかった。

特に課長は私の地元に限りなく近いところが地元。お住まいも変わらず地元で、ちゃんとお子さんもいて、おまけに週末ベーシストらしい。昔は地元のスタジオで結構チヤホヤされていたとか。最近もかなり良い楽器をご購入なさった様子。私、中学時代に地元離れて久しいので、意外と地元に住む人に対する解像度が低い。おかげでこういう話聞けるのはとても嬉しい限りだ。

ひとしきり音楽トークで盛り上がったあと、『今は大阪の仕事がどうしてもメインだけど、本当は我々も地元の案件をやって、奈良を盛り上げたいと思っている。今は全くないけど、会社的にも今後事業拡大する可能性はおおいにあるよ』と伺った。

何だその魅力的な話は!
正直ちょっと、揺れ動いてしまった。
私は変わらず、関西に住む選択肢が捨てられていない。
そもそも私、大学で街づくりを学んだのも、建物管理の仕事を選んだのも、いつか地元の地域活性化に寄与したかったからだ。
ただ、全国主要都市にのみ展開しているうちの会社には、地元の仕事はそうそうふってこないし、これまで現実味もなかった。採算性的にも難しいもんなぁ。
でも下手な地元の企業より遥かにホワイトだから当面続けたいと思ってるし、今の会社に勤めながら地元の仕事が出来るのなら、それが一番最高だ。

奈良、本当に素晴らしい街なんだけど、とにかく働く先がない。私だってUターンに失敗している。公務員には多少興味あったけど、高校時代に県庁訪問したとき、ちょっと違うな、、と思ってやめた。

税収少なめの街って、民間の力で引っ張って行くことが結構有効だと思う。ただそんな力のある会社もあんまりいないのかもな、、と正直思う。京都なんかは優良企業が沢山あるから羨ましい。

私の地元からあんまり優秀な会社が誕生しないのはなぜなんだろう。その理由には正直まだあまり踏み込みきれていないし、よく分かっていない。複雑な事情もあることだろう。
ただ、私のこれまで見てきた感じでいくと、開発があんまりできない&商才ある人が少ないから、というのは大きいんじゃないかな、と思う。

奈良って、遺跡が出てきすぎる&景観の維持が大変なのもあって、新しい建物はなかなか建てられない、という辛い側面がある。建築計画はすぐ中止になる。反対運動も起こる。守ることと新たに生み出すことはなかなか両立が難しい。

特に私の地元は顕著で、かなり保守的な方だと思う。ただ、守ることに固執して住む人がいなくなり、維持できなくなるんじゃ世話ないんだよな。私だってバコバコとビル建てるのは好まないけど、うまく採算性を担保していかないといけないのも事実だ。

あと、人材がいない説は結構ある。

それこそ『大仏商法』とか『嫁がせるなら近江商人、婿にするなら大和商人』みたいな情けない皮肉が昔からあったりする。奈良県民、みんな真面目で温厚で本当に良い人たちなんだけど、商才はないらしい。
昔から国の庇護によってなんとかなってきてしまっているからとかなんとか。
どこまで本当かは知らん。どちらかというと、働く場所がなさすぎて大阪とか東京とかに流出する人間が多すぎるせいなんじゃないかなと思う。

なんにせよきっと、うかうかしていたら、真綿で首をしめるように地元はゆるやかに衰退していく。私が住んでいた12年間でも顕著にその波を感じたし、今後はより大きく衰退していくことだろう。それはとても悲しいことだ。

大好きな奈良。本当に歴史のある街だ。奈良が持つ歴史や文化、みんなあんまり振り向いてくれないけど、いずれも本当に深みがあって素晴らしい。昔の人たちが面々と築きあげてきてくださった最高のギフトだなと思う。

歴史的な建造物や街に根ざす文化が脈々と継承され、大切にされてきたのは、そこに住む人があってこそだ。街でも文化でもなんでも、作った人だけが偉いんじゃない。それを大切に活用し、テコ入れし、継承するという営みが続いているからこそ今がある。

そういう理由もあって、私は新しい建物を作る側の仕事にはつかなかった。いや、、建築系の学部に入れるほど優秀じゃなかったのも大きいけど。
私も建物大好きだし、作ることはそりゃもちろん楽しいだろうけど、建物をわざわざ生み出すってそれなりの責任が伴う。

ディベロッパーって、俺が考えた最強の建物建てたぞ!沢山のこだわり!凄いだろ!満足!管理頑張ってね!はい次!みたいな人結構多い気がするんだけど(大偏見)、建物って作って終わりじゃない。

建物は使われてナンボだ。作る側のこだわりとかもそりゃ大事なんだろうけど、使う人間にあう形になっていることが何より大切。見た目が良いだけじゃなくて、機能性が伴う形であって初めて長く愛される建物たりえる。
それを私はめちゃくちゃ実感を伴って仕事で学べているのでラッキーだ。

建物は、ただ放置なんてしていたらすぐ駄目になる。法定点検だって山ほどあるし、結構故障とかもあるし、入居者のトラブルや要望も続々とあるし、防災の観点でも人々を守るため常にしっかり準備もしておかなくてはならない。
常に裏で管理し、支える人たちの存在が不可欠だ。それはきっと、昔も今も変わらない。

日々、維持管理し、時にはテコ入れする。
0から100を生み出すのではなく、100を100のまま維持したり、時には80とかになりかけたものを100にしたり、100からさらに150とかをめざすこともある。地味なこともあるけど、どれもとても大切な仕事だ。

不動産の知識や建物維持管理の知識もつくし、時にはエリア活性化のための企画なんかもする。これを続けていれば、きっと地元にとって何か役に立つに違いない、と思って日々勤務している。ただ、地元でもなんでもない場所で。

これが悩ましい。
関西に住むか、関東に住むか問題。そろそろ本気で直面する大問題だ。
人生の半分を関西、人生の半分を関東で過ごしてしまったので、アイデンティティは関西に置いたまま、友人や趣味、彼氏まで全て関東で作ってしまった。
別にきっと、地元に帰っても友達はすぐ作れるだろうけど、関東の友人達は本当に大切にしたい。関東にいないと得られない経験だってたくさんある。

あと、私は子どもが欲しい。ものすごく。
となった時に、どこまで仕事に本腰を入れられるだろう。地元の活性化にかまけて、肝心の家庭は維持できるだろうか。子どもにはなるべく、ずっと子ども最優先で見守っている家族の存在が大切だと思っている。核家族でやっていくのであれば、やっぱり仕事はセーブしなくてはならない。

正直、こんな理由もあるので、つい昨日まで、東京で子ども育てきって、そこからワンチャン関西に住もうかな、くらいの方針に身が傾いていた。別に私じゃなくても、もっと優秀な人たちが地元で頑張ってくれてるし。

でもやっぱり、関西と関東、さらにそれ以外のエリアに住んで、身を持って得た経験、多少は地元に役に立てられないだろうか。私、口が達者なばっかりで全然仕事できないけど。

実際、奈良には課題が山積みだ。
仕事もないし少子化もひどい。若い子はみんな外に出ていく。自慢できる産業なんて観光産業くらい。と言いたいところだけど、、実はそうですらない。

残念ながら現状、宿泊客数だってまさかの全国最下位クラスだ。涙が出る。観光の中でも宿泊が一番お金落ちるのに。てか観光くらいしか現状伸びしろある産業ないのになぁ。。でかいホテル作れないからなぁ。。京都に観光客をもっていかれすぎている。。

奈良、経済的には、あんまり未来が明るい感じはない。近鉄さんもなんか大変そうだし。。
すごく穏やかで良い街ではあるんだけど、衰退まっしぐらだ。まあ衰退したらしたで、それなりにやっていくんだろうけど、衰退によって悲しんだり辛い思いをしたりする人が出てくるようであれば、それは避けられるよう動きたいものだ。

地元で活躍するチャンス、もしあるのであればちゃんと掴んでいきたい。安定を求めて将来を諦めそうになっていたけど、それは必ずしも得策じゃない。
1度きりの人生、やっぱりある程度自分の夢には正直でいたいものだ。

↓まだ続きます

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