Twitterでメンタル闘病垢を始めて気づいたこと
メンタル闘病垢というと、どんな事が思い浮かぶだろう?
極度にネガティブなツイートばかりしている、オーバードーズ(過量服薬)の写真や、自傷行為の画像ばかりが流れている…
そんなイメージじゃないだろうか?
私もそうだった。
ネガティブなツイートに引っ張られて、こちらまで気分が塞いだり、嫌な過去を思い出すんじゃないか?
だから、今まで闘病垢というものを作ったことがなかったし、メンタル疾患を患っている人との交流も、デイケア以外に経験した事がなかった。
でも、デイケアを離れ、クローズドでパートとして就労し始めると、関わる人間が健常者の割合が増える。
そのため、世の中には健常者しか居ないような錯覚を覚えるようになった。
もちろん、私と同じようにクローズドで働いている人もいるだろう。
でも、やはり病気というものはデリケートな問題で、本人が打ち明けてくれないと、なかなか分かるものでは無い。
なので、私の抱えている辛さや、程度の些細な悩み事は、私だけが抱えている問題で、
世の中の人はそんな些末なことは、当たり前のように乗り越えて、
今日も世界は回っているのだと思うようになっていた。
そう考えるようになると、より苦しかった。
世の中から取り残されたような劣等感、
苦しみを共有できない孤独感が募った。
こんな考えが浮かんで気分が落ち込む日が続いていたある日、試行錯誤の中のひとつとして、
ツイッターで病名を打ち明けて呟いてみることにした。
初めは病名を記載することにとても抵抗があって躊躇った。
匿名だとしても、病名を記載する事は、恐らくその病名を加味した上で人物像を判断される訳で、勇気が必要だったからだ。
でも、きっと私自身が病気である自分を受け入れられていない事が、困難にさせていたいちばんの理由なんだろうと今は思う。
躊躇いつつもひっそりと病名を打ち明けて、フォロワーを募集すると、そのツイートにいいねがついた。中には自らフォローして下さる方もいた。
その中から、私は穏やかにやり取りが出来そうな方を選んでフォローしてみた。
自傷行為の画像や極端なネガティブツイートをしている人、依存が強そうな人を避けて、
フィーリングが合いそうな方だけをフォローした。
冷たく取られるかもしれないが、自分の精神衛生を守る為に始めた垢で、傷ついたり不快な思いをしたくない。
自分を守れるのは自分だけだ。
自分の許容できる範囲の呟きをされる方と、のんびりゆるく時間を共有できたらいい。
フォロワーさん達がどんな事に悩み、
困難を抱えているのか、
どんな事が嬉しくて、
どうやって困難を乗り越えた日々を送っているのか。
それを共有したり共感できたらそれでいいと思った。
闘病垢を始めて気づいたのは、
私が感じていた不安や悩みは、メンタル疾患を抱えている人にはありがちなものだということだ。
気持ちの起伏の大きさ、生活リズムの崩れ、将来のこと、仕事のこと、家族のこと…
初めて1週間、
まだまだフォローしている人も少ないが、
TLをみていると、私が過去に感じていた不安や悩みに似たことや、未来に感じるだろう不安や悩みが流れてきた。
私は、ひとりで悩んでいると思っていた。
あまり理解されないだろう不安だと思っていた。
でも、匿名ではあるが流れてくるTLには、同じような不安や悩みはごくごくありふれている。
とても安心した。
月並みな言葉だが、ひとりではないことが分かった。
健常者に紛れて過ごしていると、
こんな悩みや不安は理解されないんだろうなぁと思っていた孤独が薄れていく気がした。
気持ちがとても軽くなったのだ。
そして、闘病垢に慣れてくると流れてくるTLの中で、心に引っかかる呟きにリプするようになった。
おはようございます
行ってらっしゃい
お疲れ様でした
おやすみなさい
私も同じような事がありました。
辛いですよね。
こう考えるのはどうでしょうか?
とても素敵な試みですね。
挨拶から始まり、すこしだけ踏み込んだ話まで…
交流する中で気づいたのは、
あの時、悩み苦しんでいた自分自身に声をかけているような感覚だ。
あの時、こう考えられていれば…
あの時、こんな風に声をかけてほしかった…
そんな長年の思いを、目の前に流れてくるTLで今まさに辛さを感じている人達に代わりに声をかけることによって、あの時の自分を間接的に癒していたのだ。
手を差し伸べているようで
支えてもらっているのは私の方だった。
もしかしたら何かの役に立てているのかもしれない。
厚かましい思いかもしれないが、
それが私を支えていた。
そして、あるタグも見つけた。
#ホメ療法 というものだ。
その日の頑張った事、取り組んだ事を挙げて、お互いに労い称えるタグだ。
#ホメ療法 のタグをみれば、メンタル闘病垢の方が、各々頑張っている事がみてとれる。
病気の症状、程度によって取り組んでいる事は様々だが、同じように疾患を抱えながらも前を向いて一歩ずつ進んでいる姿は、私にはとても眩しく輝いて見えた。
病気を理由に、頑張らないを選択して腐って諦めていた自分が情けなく悔しいくらいに、そこでは着々と自分のペースで進んでいる方々が沢山いた。
見習って同じように、ホメ療法を闘病垢開始から続けている。
まだ2週間弱だがこれが積み重なっていくと、自尊心や自信が育ってくるのかなとぼんやり思いながら、ゆるく続けていけたらいいなと考えている。
続けるうちに必ず来るであろう雨の日も続けられるか、まだ自信がない。
でもその紆余曲折した軌跡を、なぞりながら労い、噛みしめる事ができたら、まだ私は変われるのかもしれない。
そんならしくもない希望も密かに抱いている。
今後も、闘病垢を続けることでこの考えが変わるかもしれない。
もしかしたら、続けられなくなるかもしれない。
でも、12日続けられた記録として、
心が動いた記録として、今は記してみようと思う。
もしこれが、貴方の何かの役に立てたのなら、これ以上の幸せはない。
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