イーストライド
「死ね」という言葉を言われたことがあるし、言ったことがある。小学6年生の頃の話だ。
目立ちたがりな性格だった私は、クラブや委員会のリーダーにガツガツと立候補していて、それをよく思わない子たちがいたようだった。
「(◯◯ちゃんが)〝死ね〞って言っといてだって」とクラスメイト伝いに暴言を吐かれたり、「死ね」と書かれた手紙が道具箱の中に入っていたこともある。
今思えば、私もそう言われるような行動をしていたのかもしれない。だけど当時は、自分が言われたひどいことに対して、悲しんだり、考えたりする前に、彼らと同じように「死ね」という言葉を返してしまっていた。
それを今でもすごく後悔しているし、振り返るとあの頃(今でも)、そんな自分を「似合ってないな」と感じていたように思う。
そんなイケイケなメンタルで小学校を卒業し、中学生になった私は、入学してすぐに痛い目を見ることになる。クラスで何かしらのグループワークをしているときのことだった。
小学生の頃は嫌ってくる人こそいたものの、話せばみんな私の話に耳を傾けてくれた。しかしここでは、いくら発言しようとも全く声が通らない。というよりは、私のことなど誰も見えていないようだった。
なぜならば、同じグループにめちゃくちゃ可愛い女の子がいたのである。みんなずっと、彼女のほうばかり見ていて、こちらには目もくれない。
のちに知ることになるのだが、その子は学年で一番可愛いと囁かれている子だった。サラサラの黒髪、ぱっちり二重のまぶた、ほどよい高さの透き通った声。彼女が話せばみんな、身体ごと彼女のほうを向いて話を聞き、いいね、 いいねと肯定する。くせ毛で、ちょっとふくよかで、顔中ニキビだらけだった私の話なんて、誰も聞くわけがなかった。
周囲の反応から、彼女と自分の外見の差を突きつけられる。そうか、ここでは外見の良し悪しで、どれだけ大きな声で話していいかが決まるんだ。
わけがわからず、悲しみすら置いてけぼりになった。ここでもまた、悲しみと向き合う前に、そういう社会での生き方を見つけていくしかなかった。
顔の可愛い子たちが、平然とぎりぎりアウトないじめをしているときも、彼女たちと男子の卑猥な会話に巻き込まれ、胸を見られながら「何カップ?」と聞かれたときも、余計なことは言わず、ただ静かにその場をやり過ごした。
かくしてクラス内での立ち位置を自覚した私は、3年間ずっと、とにかくすみっこのほうで生きて、可愛くない自分に誰も気付きませんように、と毎日祈っていた。
そんなあまりにも短くて狭い人生経験を経て、なるべく嫌われないように、目立たないように、漠然とした恐怖を抱えたまま高校生になった。
と言っておきながら私は、めちゃくちゃ目立つ部活、チアダンス部に入部するつもりでいて、それは入学前から決めていたことだった。
なぜなら私は憧れの先輩を追いかけて、この高校へきたのだ(彼女のおかげで今の私があるのだが、それはまた後述しようと思う)。
制服のネクタイが、大好きな漫画『ストロボ・エッジ』のやつみたいでうれしかった。
中学では校則のせいで着られなかった、イーストボーイのピンク色のカーディガンを絶対に着ると決めていて、それが私にとって〝高校生になる〞ということだった。
いろんな色の髪の毛、いろんな色のカーディガン、中学生の頃よりも少し近い異性との心の距離。すべてがあたらしくて、胸がいっぱいになった。
頭の中で、漫画の世界と重なる部分を探す。
漫画よりもちょっとだけ薄暗く、湿った教室の中で、私の高校生活は始まった。
もう誰にも「死ね」なんて言いたくない。もう自分の顔を隠して歩くような日々は送りたくない。
そういう不安を言語化できないまま、その不安をかき消すくらい、大きな希望に満ちていた。
新しい何かに踏み出すとき、私はいつもそうなのだった。
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こちらは、文学フリマで販売したはじめてのZINE『踊り場でおどる』に収録したエッセイです。
また売るかわからないので、noteでも公開してみました。買ってくれた方、ありがとう。ちなみに各章のタイトルは、高校時代好きだった漫画をもじっています。
あと4篇つづきます。
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