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学校でうまくいかなくても、大人になれば何も困らないよ②

部活でのいざこざがあっても、周りの寛大な許しで、私は美術部に残ることになった。
私は心底後悔していた。
なんで、もっと本音で話せなかったんだろう。
なんで、笑いたくなかったら笑わないようにできなかったんだろう。
初めからそういう態度でいたら、周りの好意を裏切ることはなかったのに。

でも結局、私はクラスでも美術室でも素で周りに接することはできなかった。
むしろ、廊下で十数人に囲まれながら謝った時のトラウマから、増々作り笑いを浮かべるようになってしまった。
周りも以前よりギクシャクしている。本当は「ブログに密かにうちらの悪口書いてた奴が、なんでまだここにいんだよ」と思ってた子もいただろうに、できるだけ前と変わらないように接しようとしてくれているように見えた。

数週間経ち、私の心は限界を超えてしまった。どよんとした重い空気に耐えられなかった。

とうとう高校に行けなくなった。

自分の部屋のベットでただ横たわる日々。廊下で詰められた時のことを頻繁に思い出しては泣き、そんな状況を生み出したのは自分だろと自分を責める。
そんな状況を見かねて、両親は私に通信制の高校を勧めてくれた。高校に進学して2、3ヵ月しか経っていなかった。高い入学金や学費を払ってくれていたはずだった。
だが今の高校で再起をはかる気力は、私にはもうなかった。
悲しみとか怒りとか、負を感情を吐き出しきった私の心はからっぽになってしまっていた。

小学生の頃、「中学は共学か私立かどうする?」と親から聞かれて、「共学の英語の授業はレベル低いんでしょ?私は英語得意だから私立に行く!」と自分で中高一貫の女子校を選んだ。
この学校の制服は可愛いけど、歴史が浅いからダメそうだななんて訳のわからないことを言いながら。

転校先はなんのこだわりもなかった。何かを考える気力もなかった。

高校1年の秋、私はクラスメイトの誰にも言わずに転校した。

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