ナイナイのオールナイト公開説教を長文で振り返る

以前こちらでお伝えさせていただいたnote初心者のみれんさんじゅうななです。37歳会社員で、ナイナイのオールナイトは青春でした。今現在のリスナーでもなく、中高生の時にナイナイのオールナイトを聴いていただけで、すっかり離れておったものがこの事件とコロナ暇(か)で少しだけ舞い戻ってきているものになりますので、その辺りご容赦ください。

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☆二回目以降に読まれる方へ☆

ところどころ事後校正をしながら進めていますので、文章が以前と異なる場合があります!すみません。

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さて、この問題を2つに切り分けた際に、【1】発言そのものの問題【2】こういった発言をしてしまう人間の有り様の問題、と分かれると思います。【1】に関しては、僕はクズ発言だし好きなだけ叩かれてくれと思っています。一方で、発言そのものに社会人としての不快感を感じるものの、僕は当事者としての切迫感がある立場ではありませんので、必要以上に立ち入ることは差し控えるつもりです。上記の記事では【2】について触れており、ざっくりいうと、陰キャのカリスマだった岡村さんが、歳を取り、仲間が徐々に家庭を持ち景色を変えていく中で、岡村さんだけがひとり取り残されて、「風俗に可愛い子が流れてくる」という発言が自然に出てきてしまう感覚のズレを持ってしまった「精神的孤独死」の悲しみについて触れています。

●30分、謝罪ただ一点で時間を使った前半

「こんばんは、岡村隆史です。先週の岡村隆史のオールナイトニッポンで、僕の発言によって、沢山の人達、特に女性の皆さんに、不快感を与えたことについて、まずは、心から、謝罪させていただきます。本当に、申し訳ございませんでした。どういう発言だったのかということを、今ここで詳しく振り返ると、また不快な気持ちにさせてしまいますので、ここは、申し訳ございません。僕の口から直接お伝えさせていただきたいと思い、今日この場で謝罪させていただきます。」

こんな言葉で始まったオールナイトニッポンは、冒頭の30分、謝罪のみで進みました。

「大変な失言だった」「間違いなく、僕、岡村隆史が言った言葉です」「本当に申し訳ございませんでした」「どういう放送をすればいいか分からなくなってしまっていました」「サッカー部の人間・昔の先輩、吉本の養成所の先生からも、ダメなんだと、違うんだと連絡がありました」etc...

時間が経つごとに、岡村さんの口調はどんどん重くなってしまいます。「えー…」「うー…」「おー…」などの口ごもりも目立つようになり、同じような言葉を連発するようになりました。これを聴いて、僕は、正直な話、ラジオとして成立していない、と感じました。本人も言っていたように「何を言うてるかわからない」と思いました。

「具体的な内容に触れると、また不快な思いをさせてしまう」という気持ちもあってかも知れません。しかし、後ほどの矢部さんの登場があることを差し引いても、この一連のくだりの、悪い言葉を使えば「グダグダさ」にはビックリしました。自分の言葉を使って話すにしても、こう言うときはある程度の筋を事前に考え、一定の時間枠の中で行うものです。それが全く無い、いつ終わるのかまるで分からない時間でした。

そんな時間の中で、時折流れる、まるで関係のない楽曲たち。「自分が喋れるだけのこと、皆さんに理解していただけること、お話させていただきたいと思います。Maroon5で、Memories」なんでその曲やねん!あと冒頭もBruno MarsのJust the Way You Are流れてたし。和訳タイトル「そのままの君でいて」あかんあかん!そのままじゃあかんやん!AMラジオってこう言うところあります。いろんな兼ね合いなのでしょうね。笑っちゃいました。すみません。

一方、岡村さんは、この30分の中でただただ謝り、拙い言葉であっても、論点をそらしたり、言い訳に及ぶことはありませんでした。不器用ながらも、言葉にならなくても、自分の納得がいくまで気持ちを伝える、という選択をしたのかも知れません。それにしたって、下手くそ過ぎる、というのはありますが…笑

●緊急事態に、矢部浩之が語ったこと

もう眠いし、そろそろ離脱しちゃおうかなぁ、と思っていたその時、(おそらくスタジオの)扉が開く音が聞こえました。そして、20数年前聞いたあの声よりも、少しだけ落ち着いた、でもそのままの声が。

「やったなぁ、お前」

そこから、6年ぶりのナインティナイン2人による、オールナイトニッポンが始まります。

まず意外だったのは、「ごめんね」と謝る岡村さんに対し、開口一番「本番でしか謝らへんよね」と、オフの話に論点を持っていったことでした。そして、冒頭の自分の過去記事にも書きましたが、「岡村さん、何してはるんですか」は、お笑い芸人としてのプロ意識の元で、二人の物語性を利用した「お笑いスタイル」であったことに触れます。俺は「あんた」の、元後輩ではあるけど、お笑い芸人になってからはもう違う。相方だ。でも、岡村さんには、どこかに、先輩の意識が、悪い意味で残っている。だから、オフで謝れないんだ、と。

そこから矢部さんは、徹頭徹尾各論で、岡村さんの人間としての問題点を指摘していきました。内容を、こちらの方が要約してくださっているので、少し引用させていただきます。

○芸人はオンではなく、オフの言動が大事である。
○男尊女卑を改めろ。
○恋愛して、女性のすごさを知れ。
○ADにコーヒー入れてもらった時にはありがとうと言え。
○楽屋を一時期から別にしたのは、そんな岡村を見たくなかったから。
○パッカーンし復帰した後、表でしか謝ってもらってない。
○先輩・後輩からの誘いが嫌ならマネージャーを使わず自分から断れ。
○仕事はできるが、プライベート(オフ)で逃げるな。
○#99annのリスナー・スタッフも含めて、悪い。
○性格変えろ。(以前、19の時に岡村に矢部が言われたが)
○大物になり注意をしてくれる人が減ったから、自分で気をつけろ。
○もう50。景色変えたほうがいい。
○結婚したら?
○困ったら風俗ネタに逃げるが、キツイ。
(50で風俗の話ばっかりしてるの、幽霊みたい。)
○笑われるのイヤっていうけど、笑われてもいいやん。

率直に言って、真摯なダメ出しだったと思います。そして、ここは矢部さんが昔から優れているところだと思うのですが、こう言う大事なところで、言葉のチョイスを間違えない人だと思います。特に今回のラジオは巣篭もりもあって、ネット民総注目の、ある意味GWの一大イベントになっていたはずです(笑)。少しでも、誤解を招くような、揚げ足を取られるような言動をしないよう、しかし各論で、丁寧に「説教」を続けます。

岡村さんの触れられたくないところを抉り出すような説教が続く一方で、矢部さんの指摘の中には、僕が20年前にラジオを聴いていた頃にも、似たようなことが指摘されていたのでは?と感じる部分がありました。先輩に食事に誘われて、その場では調子よく「行きますよー」って答え、後からマネージャーに「ごめん、仕事あるからって断っといて」と断らせるくだりは、ダイレクトに同じ現象ではないものの、昔のラジオでも既視感(既聴感?)のあるエピソードでした。おそらく、20年前のラジオだったら、矢部さんが「うわっ!うわうわうわ!きっつ~。それ、あきませんよ岡村さん」と言ってくれていたはずです。

●愛されてきた、岡村隆史の「ヤバさ」のツケ

僕がラジオを聴いていた頃、岡村さんは、真面目で努力家である一方、人間としてガチでどうなの?と思える側面があり、そこをあけっぴろげにラジオで語り、矢部さんがドン引きしながらも優しくなだめることにより、ナイナイのオールナイトニッポンは成立していました。

少し個人的な話になりますが、当時の僕は中学3年生。運動部に加入する予定が、練習がキツくて早々に諦め、テストの点数も良くなく、クラス内ヒエラルキーの下位にいた僕にとって、テレビの向こう側にいる人が、「完全無欠だから成功している」のではなく、「人間としてのヤバイ部分はあるけれど、成功することが出来ている」、というのは一つの救いにもなっていました。自分のダメなところを、しっかりダメと言いながら受け入れてくれる仲間がいて、楽しい時間を過ごしながら、人間は切磋琢磨して成長することができるのだと。それは間違いなく、深い闇の中で僕が見た希望でもあったのだと思います。

あれから二十数年が経ち、僕は、結婚は出来ていませんが、社会に出、一定の収入と、それから何人かのチームをまとめる役割を頂けています(これからはわかりません。世相は厳しいものですね)。その中で、もちろん、昔だったらこんなこと言わなかったなぁ、という言葉を同僚にかけたり、ああ、こんなことをこの人は思っていたんだ、という、無数の気づきをもらうことが出来ています。完全無欠である必要はありませんが、必要な気遣いはあります

この問題は、少なくとも【2】においては、人間は常に同じではないのだ、というテーマが大前提にあります。今回の発言がどれに該当するかはわかりませんが、20代の岡村隆史が矢部浩之と2人で出ていた90年代の深夜ラジオで、共感されていた、笑って許されていた「ノリ」と、50手前の岡村隆史が1人で2020年の深夜ラジオで共感される、笑って許される「ノリ」は全く違います。例えば僕が職場で、50手前で風俗通ってるオッサンに「コロナの後に風俗に可愛い子が流れてくるからそれ楽しみにしてなよ」とか言われたら、とりあえず笑って流しますがクソキメェな、って思います。普通に軽蔑します。でも、20代の男性社員が「コロナで家にこもってるので、エッチなビデオ見まくってます!」と言ったら、バカだなぁ、で済むかも知れません。

その一方で、ある種の人は、ビックリするくらいそれに気づけません。高齢独身者におそらく典型的な例なんだと思います。

ここにも書きましたが、彼女のいない独身男性の休日って、ある時期から時間が止まったようになっていくんですね。好き放題自分のためにお金使えますし、酒飲みすぎて酔っ払っていびきガーガーかきながら寝ても、誰にも何も言われませんし、決まった友だちとだけ付き合っていると、同じことしか話さないようになりますし。その一方で、同世代の友だちは結婚し、子供を作り、例えば保活で苦しんだり、今でいうとコロナによる在宅勤務で、子守しながらZoom会議をしたりとか、家計的にも、子供を保育園入れて、小学校は私立?大学行くまで何千万円かかるのか…と、しっかりとした「生活者としての当事者意識」を身につけるようになります。寝かしつけのしんどさとか、僕体験したことないからわからないですし。そうしたプロセスの中でも、人間は適切な「気づかい」を学んでいくことが出来ます。

そして、これは本当に身につまされる思いがしたのですが、年齢が上がって職場での立ち位置も上がっていくと、本当に、明らかに間違ったことをしていても、誰からも注意されなくなります。たとえばうちの会社のベテランで、必ず昼食休憩の1時間を1時間5分取る人がいるのですが、誰にも何も注意されません。でも、影で色んな人から言われているんですよね。もちろん、注意すればいいんですが、そうは行かないんです。そうそう簡単に、人間は目上の人に注意なんか出来ません

個人的にも、コロナで仕事が減っちゃってるので、チームメンバーとの会話を増やしているのですが、その中で、こないだの会議の中でひょうひょうと沈黙していたメンバーが、実はその会議で決議されていたことに大反対だったことに気づきました。「えっ、なんで言わないの?言ってよ・・・」と、僕も軽く言っちゃったのですが、「言えないっすよ・・・けっこう(私)さん、ノリノリだったじゃないっすか」彼からしたら、空気を読んでのことだったんですよね。「会議で意見を言わないやつが悪い」というのは簡単ですが、それはただの正論です。人間、自分が思っている以上に、立場が上の人には意見が言いにくい、と感じるものなんですよね。「言えない」が本音なんです。本当に、勉強しなければいけないと感じます。

話をラジオに戻します。岡村さんの、人間としての「ヤバイ」ところは、昔は愛されていました。でも、いつの日からか、それは、触れてはいけないところになりました。「愛されている」という体で、実はいつの間にか、みんなが岡村さんを気持ち悪がっていたのです「愛すべき岡村隆史」を、上っ面で持て囃しながら、実は「このオッサン結構キツイよなぁ」と、心の底では思っている状況になっていったんだと思います。

「パッカーン」が一つのキッカケだったのかもしれません。矢部さんの言葉の感覚は優れているなぁと思ったのですが、「カワイソウさん」になってしまった岡村さんは、矢部さんが言及した「大物化」を含めて、ここ何年かはアンタッチャブルな存在になっていたんだと思います。このラジオでは、それは矢部さんによって「岡村隆史のタブー」という言葉で表現されていました。

いろんなことが重なって、後輩はもちろん、先輩や、親しい仲間さえも、岡村隆史の「本当にヤバイ部分」に触れることが出来なくなっていった。そうした側面はあったのではないでしょうか。

一方で、100%岡村さんが岡村さんの責任で勝手にそうなった、と言うわけではないと思います。矢部さん、極楽とんぼ、よゐこ、めちゃイケメンバーやファンの中で共通してあった「人間としてヤバイし陰キャでモテないけど、真面目で努力家で、いざという時はカッコいい岡村さん」という物語。その物語の中で、岡村さんの「ヤバさ」は、ある意味で許されてきました。みんなで作り上げた、「主人公・岡村隆史」が加齢したツケが、2020年になって猛烈に漏れ出してしまったのです。

その点で、矢部さんは偉いと思います。いや、半分はコンビとしての「ナインティナイン」を守るための、プロとしての計算かも知れません。いずれにせよ、昨日の矢部さんは、みんなで作り上げた「岡村隆史物語」の負の遺産のケツを、一人で拭きにきたんです。責任を取りに来たんです。「説教」という、上から目線にも見える言葉をあえて選んだのは、そういう覚悟あってのものでしょう。

●有事における、矢部浩之の力

長時間に渡る説教が終わって、ラジオの残り時間も僅かになったころ、なぜか、突然通常通り、ネタハガキコーナーが始まりました。内容も本当に通常通りで、岡村さんの発言をいじるネタもなく、笑ってる場合かよ、という空気の中で読まれる極めて通常運転のハガキに、僕は少し笑ってしまいました。謝罪の当事者である岡村さんは笑うことが出来ませんから、同席のスタッフさんと、矢部さんが笑います。「ごめんな、こんな中リアクションしてもらって」「かまへん」そのやり取りが2,3回続きました。

「ミスした後は、切り替えて、頑張っていきましょう。わあわあ言うとります!」「お時間です、さようなら」「…ありがとう」

30分も謝罪に時間を取っても、なお感じるのですが、おそらく岡村さんは、感覚的にはまだ、なぜ自分の発言が問題になったのか、分かっていなかったように感じました。ただ、自分が人を怒らせてしまっていることだけは感じており、ただただオロオロしながら「ごめんよごめんよ」と謝り続けている。そんな光景が繰り広げられていたように感じます。

もちろん、今回の矢部さんの登場は、体の良いガス抜きの側面を持っています。というより、本人も言っていたように、「緊急事態」です。ここでしっかりと収めておかないと、コンビが危機を迎えてしまうからこそ、矢部さんが出てきたんでしょう。ある意味では「一世一代のガス抜き」でした。その面では、岡村隆史を「絶対悪」にすることなく、ダメな点を冷静に指摘しながら「人間・岡村隆史」を浮き彫りにし、誰しもが陥るかも知れない「自分ごと」に落としてみせたのは、すばらしい力量だと思います(実際、僕も問題の本質はそこだと思います)。

これから、社会やネットがどういうリアクションを取るかはわかりませんし、今の時点ではこの問題は「岡村の友人が説教をした」という段階に過ぎず、「岡村さんが人間として改心した」まで至っていません。変われるかどうかは、岡村さんにかかっています。願わくば変わってほしいですが、50手前ですから、変われないかも知れません。(これこそ他人事じゃなく、僕も「これ治せるのかなぁ」という生活の癖を数多く抱えています)そこは、これからほんとうの意味で岡村さんに託されてくる部分だと思います。実際、怒っている方の中にも、こんなのでは納得できないよ、という方もたくさんいると思いますし、何より「根っこ」が変わらなければ、また同じ発言すると思いますしね。

久しぶりに熱くなってnoteにたくさん書いてしまいました。今後普通の生活に戻ったら、青春をともにしたナインティナインを真剣に語ることは、もしかするとないかも知れないなぁ、と感じながら、一方で久しぶりにフルで聞いたナインティナインのオールナイトニッポンで、懐かしい感覚を味わえたことは、楽しい経験でした。コロナ下のGWに、ある意味で人生を考えるいいトピックを与えてもらったのかなぁとも思います。

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